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2024/02/11

南方熊楠発信「今井三子」宛昭和十年十八日朝五時起筆書簡(サイト版『(Phalloideae の一品)』の正規表現版)

[やぶちゃん注:底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの『南方熊楠全集』の「第十二卷書簡第Ⅴ」(澁沢敬三編・一九五二年乾元社刊)の当該書簡を用いた。戦後の出版であるが、正字正仮名である。

 宛名人の今井三子(いまいさんし 明治三三(一九〇〇)年~昭和五一(一九七六)年)は、当時は自身が修了した北海道帝国大学農業生物学科助手であった菌類学者。後の昭和一三(一九三八)年には北海道産ハラタケ科菌類に関する研究成果を発表し、農学博士を授与され、昭和一八(一九四三)年、北海道第一師範学校教授、翌年からは北大農学部助教授を兼任した。昭和二四(一九四九)年から北海道学芸大学教授に就任、昭和二八(一九五三)年より横浜国立大学学芸学部教授として農学教室主任を務めた。昭和四〇(一九六五)年に横浜国立大学を定年退官した後、フェリス女学院大学教授に就任、昭和四三(一九六八)年からは同校で非常勤講師の職にあった。菌類分類学・植物病理学の分野で貢献し、アミガサタケ科Morchellaceaeイモタケ属 Imaia や、チチタケ属の種 Lactarius imaianus の学名に献名されている。サイト「南方熊楠資料研究会」「キノコ図譜描画中の南方熊楠」では、本書簡送付の翌月、今井来紀の折り、彼が熊楠を撮った写真を見ることが出来る。

 ちなみに、この「ハドリアヌス茸」は、南紀白浜にある「南方熊楠記念館」にて実物標本を閲することができ、私は二〇〇六年九月の南紀旅行で見ることが叶った。

 なお、正式には、これは菌界担子菌門菌蕈亜門真正担子菌綱スッポンタケ目スッポンタケ科スッポンタケ属 PhallusFlavophallus節アカダマスッポンタケ Phallus hadriani の仲間と推定される稀種中の稀種であろう(種同定に至ってはいない)ことは、以下のページを参考にされれば、納得されるであろう。ここではアカダマスッポンダケの生態写真も見られる。〔⇒gecko(ゲッコー)氏のサイト「生き物研究室」の「北海道生物図鑑(写真集)」の「植物・菌類」の「アカダマスッポンタケ」である。また、海外の版の“ Phallus impudicus: The Common Stinkhorn”や、“ Phallus hadriani in Santa Fè ”では、Phallus hadriani の生態のみならず、剖検された部分をも視認出来る。因みに、この属名 Phallusは言わずもがなだが、「ファルス」で、古代ギリシャ語の「勃起した陰茎・陰茎のような形をした物」を意味する語をラテン語にしたものである。

 御覧の通り、図は底本にもあるが、これは国立国会図書館の許可を得ないと使用出来ないので、所持する次に記す『河出文庫』にあるものを、OCRで読み込み、トリミング補正して添えた。但し、この『河出文庫』の図版は、本底本の図と比較するに、明らかに手が加えられてあるので、必ず、比較されんことを望む。

 なお、二行目の「南方熊楠再拜」は下三字上げインデントであるが、ブラウザの不具合を考え、引き上げた。結語の「早々敬具」は、本文最終行の下インデント四字上げであるが、引き上げた。読みは、恐らく編者が附したものと推定されるが、採用した。踊り字「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。

 なお、本篇はサイト版で、「(Phalloideae の一品)」として、一九九二年河出書房新社刊の中沢新一編「南方熊楠コレクション Ⅴ 森の思想」(河出文庫)所収の「ハドリアヌスタケ」(新字新仮名)を底本(末尾に、「(平凡社版『南方熊楠全集』第九巻584586頁)」の親本提示がある)で、一度、電子化注しているが、零からやり直したので、こちらを決定版とする。熊楠は送り仮名が不全である。万一、読みに躓いた場合は、整序されたそちらを見られたい。]

 

 昭和六年十月十八日朝五時

  今 井 三 子 樣   南 方 熊 楠 再 拜

 

 拜啓、昨日大阪より舊友來り候付、承り合せし處、大抵大阪より和歌山市まで四十分、又は一時間、和歌山より當地まで四時間にて、優に到着を得ることに御座候。何れも汽車と電車とにて大阪より南部(みなべ)町に到り、南部町より、此田邊町までは自働車(乘合)を用ることに御座候。然し御都合にて大阪天保山(てんぽうざん)より夜の九時に汽船に乘らば、明朝四時に、當田邊町近處文里(もり)といふ小港に着、上陸して乘合自動車に乘らば、小生宅と同町内の終局點(右乘合自動車會社本店)に達することにて、それより小生宅まで小半町ばかりに御座候。これらのことは大阪の旅宿より電話にて、船會社又はその大阪市内切符賣捌(うりさばき)所へ聞き合(ききあは)さば、直ちに知れることの由に御座候。[やぶちゃん注:『河出文庫』版に従うなら、以下の頭に『御都合にて、』とある。]夜分御存知なき初めての所に着し、汽車、自働車[やぶちゃん注:ママ。]にのり後(おく)るゝ等のことありて、如何はしき旅宿に夜を過し、近所喧噪(けんさう)のため眠ることもならぬよりは、夜分御出發を餘儀なくさるゝ節は、船便の方が樂(らく)なることと存じ侯。大阪より當地までの航海は、以前は隨分難路なりしも、只今は船が大きくなりし故、大風などのことなき限りは安樂なものに御座候。

 小生は足惡きをもって、自ら諸方へ御案内申すことは、或は不可望と存じ候故に、諸地の心安き友人を招集し、貴殿御着の上、それぞれ部署して諸方へ御案内申し上ぐるやう賴みおき候。その人々も每度拙宅へ來り、どこに菌が多く產する位い[やぶちゃん注:ママ。]のことは熟知しおる[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 

Hadorianusu1

[やぶちゃん注:図一。キャプションは右の茸に「成熟品」、左の茸に「未熟品」とある。]

 

 拙方の標本圖記は、きわめて多數、且つ混雜しおる[やぶちゃん注:ママ。]を以て、悉皆御覽には數日を全くその方に費やさゞる可らず。小生、時として色々用事もあり、是亦不可望のことに付き、先づ重(おも)立たものを御覽に入るべく、用意致し置べし。而して先日も一寸、書面で申上おきし如く、小生方に近來の雜誌報告等、屆かず、又、家累と老齡衰弱の爲め、精査を遂るに由なく、久しく打ちやり置たるもの多し。其内に必然、無類の新屬と思ふPhalloideaeの一品あり。記憶のまゝに申上ると、上圖[やぶちゃん注:図一。]の如きものなり。生た時は牛蒡(ごばう)の臭氣あり、全體紫褐色、陰莖の前皮がむけたる形そつくりなり。印度より輸入して久しく庫中に貯へられたる綿花(わた)の塊に生したる也。

 

Hadorianusu2

[やぶちゃん注:図二。]

 

 昔し和蘭人が爪哇(ジヤワ)邊で(多分アンボイナ島)寫生せしLejophallusとか申す菌屬の圖が尤も之に似おり候。( Nees  ab  Esenbeck  の圖を小生持ち居る)然るに此屬の記載、甚だ怪しく簡に過るを以て、サッカルドの菌譜には、たゞその名を載せるのみ、記載すら移し入れおらず[やぶちゃん注:ママ。]。その圖は只今、うろ覺えのまゝ寫生すれば、こんな怪しきもので[やぶちゃん注:図二。]、紫といふよりは紺靑色に彩色しありしと記臆[やぶちゃん注:ママ。]す。

 小生知る所ろ、拙藏の標品の外に例類なきものなり。貴下は拙方に御滯在中に、この菌(酒精に藏しあり、故に變色はせるものゝ)全體の寫生と記載は(外部に關する限り、十分に致して今ももちおれり[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:以上の丸括弧注は:『河出文庫』版に従うなら、「((外部に關する限り、十分に致して今ももちおれり[やぶちゃん注:ママ。])」である。これは本底本編者が、丸括弧の不全ととり、修正を加えた可能性が高い。]を小生立會ひの上、解剖鏡檢して大抵要點を控え[やぶちゃん注:ママ。]去り、御歸札の上、精査して命名發表下ずや[やぶちゃん注:「くださらずや」。]。顯微鏡は、當方に三四臺あり、故に鏡檢に差支へなきも、なにか貴下得意の手輕な要品あらば(解剖刀等)御攜帶を乞ふなり。藥品等は當地で調ふべし。而して大抵、御心當りの右の圖に近き菌品の文献を、御しらべおき被下度候。外にも一二品、貴下の精査命名を乞度[やぶちゃん注:「こひたき」。]品あり、昨日、人を派して生品を採らせあり、今日、自ら寫生しおく。又、御來臨の上、その菌生ぜる現場へ御案内申し上ぐべし。   早々敬具

 

[やぶちゃん注:当時、南方熊楠は満六十四歳。先立つ昭和三年に長男熊弥の精神病(統合失調症と思われる)が悪化し、京都の岩倉病院に入院させている(大正一四(一九二五)年三月に高知高等学校受験のために高知に赴いたが、その旅先で発病し、それまでは自宅療養をしていたが、発作を起こした彼が熊楠の粘菌図譜を破り捨ててしまうなどの異常行動等があったことが知られている彼は明治四〇(一九〇七)年生まれで、後に海南市藤白(ふじしろ)で療養した。熊楠の死後(昭和一六(一九四一)年十二月二十九日(享年満七十四歳。死因は萎縮腎であった)、五十代半ばで昭和三五(一九六〇)年)に亡くなっている)。

「アンボイナ島」アンボン島(グーグル・マップ・データ)。

Lejophallus」(斜体でないはママ。熊楠は邦文論考でも斜体にしていないことが多い)これは、同じスッポンタケ属アカダマノオオタイマツ Phallus rubicundus のシノニムである。サイト「Picture Mushroom」の「アカダマノオオタイマツ」を参照されたい。

Nees  ab  Esenbeck」ドイツの博物学者にして医師のクリスティアン・ゴットフリート・ダニエル・ネース・フォン・エーゼンベック(Christian Gottfried Daniel Nees von Esenbeck 一七七六年~一八五八年)はゲーテと同時代人で、リンネの存命中に生まれ、博物学者として多くの動植物の記載を行うとともに、一八一八年から一八五八年まで『ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ』(Leopoldina)の会長を務めた人物。詳しくは当該ウィキを見られたいが、思うに、熊楠の所持する図譜は、彼の‘ Das System der Pilze und Schwämme. Ein Versuch. 2 Bände ’(一八一六年~一八一七年刊行:全二巻:「茸類と海綿類の体系の試論」であろう。

「サッカルド」イタリアの植物学者・菌学者ピエール・アンドレア・サッカルド(Pier Andrea Saccardo 一八四五年~一九二〇年)。当該ウィキによれば、主に『菌類の研究に従事し、有性生殖を営むステージが未発見の「不完全菌」やフンタマカビ綱 (Sordariomycetes)に関する』百四十『編以上の論文を発表した。ほぼ完全なキノコの目録』‘ Sylloge ’(シロージュ:「コレクション」の意)『が有名である。胞子色や形によって、不完全菌類を分類する体系を開発し、DNA分析をもとにする分類法の前に主流な分類体系であった』とある。]

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