譚海 卷之九 榊原政敦朝臣政績の事
○「榊原式部大輔政敦(まさあつ)朝臣、在所へ入部ありし年、顏をしられざるを幸(さいはひ)にして、常に郡國を潛行せられ、下情を察し、弊政を撓(たわめ)られける。それまでは、越後高田の家司、有德(うとく)成(なる)ものは、皆、手舟(てぶね)をもちて、町人にかして、利を得たりしが、嚴敷(きびしく)停止(ちやうじ)ありし事など、おほく、大に惠政(けいせい)を行(おこなは)れ、善治(ぜんぢ)をえられし。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「榊原式部大輔政敦」(宝暦五(一七五五)年~文政二(一八一九)年)。越後国高田藩第二代藩主。官位は従四位下・式部大輔。寛政元(一七八九)年、父の隠居により家督を相続した。文化七(一八一〇)年、家督を長男の政令(まさのり)に譲って隠居した。]