譚海 卷之七 相州つく井の神大蛇祭禮の事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。国立国会図書館本のそれが正しい。]
○相模國、つく井と云(いふ)所に、大(おほい)なる蛇、あり。其村の神に祭りて、每年六月十八日には、祭禮とて、一村、群集して、にぎはふ。其日、かならず、此蛇、いでて、道にも、よこたふを、人々、集りて、
「蛇殿を、ころばせ、ころばせ、」
と、いひて、かはるがはるに、此蛇を、終日、社頭に、まろばし、もてあそぶ事なり。
其日、過(すぎ)ぬれば、又、二度(ふたたび)、蛇、出(いづ)る事、なし。
蛇の大(おほい)さ、かしらは醬油樽の如くなる、とぞ。
其形も、あはせて、おしはかるべし。
その祭禮の日は、村のもの、三人、極(きめ)て、役にあたりて、曾我五郞・朝比奈三郞・けはひ坂の少將の眞似をなして、五郞にあたれる人は、木綿衣裳に鎧のごときものを着て、終日、立(たち)てあり。かたへに、朝比奈にあたる人も、くさずりをとらへて、終日、片膝(かたひざ)たてて、あり。少將にあたりたるものは、手ぬぐひを頭(かしら)にまとひ、女(をんな)めきたる裝束(しやうぞく)して、其かたはらに坐し、膝に兩手を置(おき)て終日ある事、いづれも、木偶(でく)[やぶちゃん注:人形。]のごとし、とぞ。
片山里(かたやまざと)の風俗、おもふに、質朴なる所作(しよさ)といふべし。
[やぶちゃん注:「つく井」現在の相模原市緑区の旧津久井地区。「ひなたGPS」の戦前の地図を参照されたい。一部は人口湖の津久井湖に沈んでいる。ここで「社頭」とある神社は不詳。多様なフレーズでネット検索をかけても、見当たらない。或いは、明治の神社整理で消えたか、或いは、津久井湖に沈んでいる可能性もあろう。なお、後半の「曾我五郞・朝比奈三郞・けはひ坂の少將の眞似をな」すというのは、歌舞伎狂言「壽曾我對面」(ことぶきそがのたいめん)を模したものであろう。延宝四(一六七六)年正月、江戸中村座で初演された初春を寿ぐ祝祭劇である。詳しくは当該ウィキを見られたい。私は文楽好きの歌舞伎嫌いであるので、三人の人物も、そちらに譲る。因みに「けはひ坂の少將」(「化粧坂の少將」)は遊女の通り名である。]
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