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2024/02/23

譚海 卷之九 駿河富士山裾の浮田つなぎ田の事

[やぶちゃん注:本篇の前の三話、

「濃州百姓山居うはゞみを討取たる事 / 因州うはゞみの事」(カップリング公開)

「常州外海ゐくちの魚の事」

は、既にフライング公開している。]

 

○駿河富士の南の根かたの村には、「浮田」・「つなぎ田」といふ事あり。

 霖雨(りんう)の中(うち)は、一村の田地、浮きて、流るゝゆゑに、つなぎとむるなり。

 太き竹のながきを、田每(たごと)に、深く、さしおけば、田地、ながれず、是を「つなぎ田」と云(いふ)なり。

「此地に限り、浮きてながるゝ事、ふしぎ成(なる)事なり。『浮島が原』と云(いふ)も、かゝるゆゑに名付(なづけ)たるにや。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:これと同じような内容の記事を電子化した記憶がある(地方は江戸辺縁の東北部であった)のだが、見出せない。発見したら、追記する。にしても、これは、話者に津村が騙された感が強い。まず、騙しの元の実際にある田は、「掘り上げ田」(ほりあげた/ほりあげでん)で、これは低湿地帯での開田法の一種を指す。当該ウィキによれば、『地域により呼称が異なり、堀上田(ホリアゲタ)、畝田(ウネタ)、浮田(ウキタ)、新起こし(シンオコシ)、掻上田(カキアゲタ)、堀田(ホリタ)などの呼称がある』。『掘り上げ田は』、『干拓や埋め立てが困難な水面下』、或いは、『地下水位が極めて高く』、『水生植物が繁茂するような低湿地における開田法で』、『このような開墾技術は日本の低湿地帯で広く行われ、少なくとも』十四『世紀中葉にまで遡ることができる』。寛政六(一七九四)年の『大石久敬』が著わした「地方凡例録」には『「堀田」として説明があり、水田湿地において』、『田の内部を掘上げ畔を立てて、その高みに稲作を行う方法としている』。『水路(地域によりミヲ、掘潰れ(堀潰れ)、掘付(ほっつけ)などという)を掘削して田(耕作部分)の盛土を行うため、水田と水面が櫛状に並ぶ景観となる』。『冠水しやすく農作業に田舟などを用いることもあり』、『農作業の労働効率は低い』。「掘潰れ」『などと称される水路は』、『水運にも利用されたほか』、『漁場としても重要な役割を果たした』が、『一方』では、『時間の経過とともに掘り上げ田より土が掘潰れへと流れ』、『堆積し、水路が浅くなるなどの弊害も起きる。そのため』、『定期的に掘り潰れより』、『掘り上げ田へと土を盛り直す作業(のろ上げ、ノロ上げ、ノロアゲなどと称する)が行われた。なお、掘り上げ田を開発する以前の湖沼・沼沢地には周辺からの水路が流入していることも多く、それらは「附廻堀」として掘り上げ田の造成時に併せて再整備されていることが多い』とあった。水上勉の「飢餓海峡」に出てくる、最低の沼のような「汁田」だな。さても、柳田國男の「地名の硏究」の第四章に当たる『地名考說』の中に以下がある(初出は雑誌『歴史地理』(三省堂書店発行)の明治四三(一九一〇)年二月から明治四十五(一九一二)年八月までの孰れかである)。底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「地名の硏究」(昭和一一(一九三六)年古今書院刊)の当該部を視認した。読みの一部は所持する「ちくま文庫」版全集を参考にしつつ、歴史的仮名遣で《 》で挿入した。

   *

 

      一一 ドブ、ウキ

 東京では下水堀のことをドブと謂ふが、右は明かに轉用であって、以前は阿原《アハラ》[やぶちゃん注:先行するここを参照。]と同じく排水不十分なる足入の地のことである。澤山の例があるけれども單に二三のものを揭げて置く。此地名の普及したのは、全くドブが水稻の栽培に通ずると云ふ經濟上の意義があるからである。

  武藏南葛飾郡綾瀨村大字小谷野土富耕地《どぶかうち》

  同 橘樹《たちばな》郡城鄕《しろさと》村大字岸根島ドブ

  常陸ひたち眞壁郡中村大字土深(ドブ)

  同 同  騰波ノ江《とばのえ》村大字筑波島《つくはしま》字土腐《どぶ》

  磐城双葉郡幾世橋《きよはし》村大字棚鹽《たなしほ》ドブ谷地《やち》

  伊勢三重郡朝上村大字田口ドブ

 相模にも無數のドブと云ふ地名があるのみならず、普通名詞にも此意味に用ゐられて居る。ドブは昔の語ではウキである。諸國にある浮田と云ふ地名は、卽ち又武藏などの土浮耕地《どぶかうち》である。愛鷹山《あしたか》の南麓なる浮島ケ原なども、古來有名な爲に却つて勿體ぶつた傳說もあるが、決して島が浮遊するわけではなく、神代紀に所謂浮渚在平處《うきしまりたいら》の浮渚《ふと》で、嶋と云ふ語も今よりも廣き意味をもつて居たのである。千載集雜下道因法師、けふかくる袂に根させあやめ草うきは我身にありと知らずや。ウキは菖蒲《あやめ》などの生ずべき地なることが是でわかる。今日深泥の田をフケ田と云ふのもウキ田の轉であらう。

   *

以上の、道因法師の一首は、「五月五日菖蒲をよめる」という前書がある。歌意は、

   ※

今日の五月五日の『菖蒲(あやめ)の節会(せちえ)』なれば、続命縷(しょくめいる[やぶちゃん注:この端午の節供において、邪気を払って不浄を避けるものとして、麝香・沈香・丁子などの香料を錦の袋に入れ、円形にして、糸や造花で飾り、菖蒲や蓬をあしらって、五色の糸を長くたらしたものを言う。「薬玉」(くすだま)とも称する。])を掛けるのだが、その袂(たもと)に、根を生やせ、菖蒲草(あやめぐさ)よ。泥(うき)は私の身にこそあると、お前は、知らぬのか?

   ※

で、言わずもがな、「泥(うき)」には「憂(う)き」を掛詞にしてある。

「浮島ケ原」静岡県東部、富士山の南東に聳える愛鷹山南麓の田子ノ浦に沿った低湿地帯の名。ここ(グーグル・マップ・データ)。「富士川の戦い」の際、平維盛の軍勢が、水鳥の羽音に驚いて逃げた所とも伝える。]

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