譚海 卷之八 諸獸の論幷獵犬の事
○猪は、常にあるゝ物に、あらず、人を見れば、甚(はなはだ)、おそるるなり。
能(よく)寢る[やぶちゃん注:底本は「寢能」であるが、国立国会図書館本を参考に訂した。]事をすといへども、只、一日、寢るなり。寢くたびれ、腹の枵(すき[やぶちゃん注:これは珍しい底本のルビ。この漢字は中国語で「空しい・空っぽである」の意がある。])たるときは、いつも、暮比(くれごろ)には起(おき)て、食をもとめ、あるくなり。米・麥の穗をはじめ、芋・大小豆(だいしやうのまめ)[やぶちゃん注:大豆(だいず)や小豆(あずき)。]、何にても、食(くは)ざる事、なし。
鼻は、尺八の尻に、よく似て、穴、二つある計(ばかり)の違(ちがひ)なり。
常は、柔(おだやか)なるものなれど、怒(いかる)ときは、石の如く、堅く成(なり)て、石をも掘返(ほりかへ)す勢ひなり。
[やぶちゃん注:「猪」本邦の本土(北海道を除く)産は哺乳綱鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ亜種ニホンイノシシ Sus scrofa leucomystax については、私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 野豬(ゐのしし) (イノシシ)」を参照されたい。]
猪の肝(きも)、下に「きせる筒(づつ)」のごときもの、有(あり)、是を「はちたち」と云(いふ)。
[やぶちゃん注:ネット上で生(なま))から、干し終わるまでの写真を見たが、「熊の胆」等と同型で、特に特殊な形はしていない。「はちたち」の名称由来も不詳。]
此處(ここ)に、鐵炮玉、いあてらるれば、甚(はなはだ)、怒(いかり)を感じて、人をも、さけず、馳(はせ)あるくなり。
[やぶちゃん注:一撃に失敗した手負いのイノシシが非常に危険なことは、よく知られている。]
其後(そののち)は、鐵炮玉、いくつ打(うた)れても、死ぬる事、なし。肝に打(うち)つけられねば、死(しぬ)事なく、野山を咆猛哮吼(はうまうかうく)して、あるくなり。
猪の子は眞桑瓜(まくはうり)のごとく、黃色にて、靑き筋(すぢ)、有(あり)。むくめきて、はね、ありく。
一度に、十二疋づつ、產すれども、多(おほく)は、ひきかへるに、なめらるれば、死(しぬ)ゆゑ、ふたつ、みつ、ならでは、生殘(いきのこる)事、なし。
鹿の角も、ひきかへる、なむれば、消(きえ)うするなり。
鹿は、春の末、多羅葉(たらえふ)のめ、出(いで)しを、くへば、そのまゝ、角を、おとすなり。それより、毛の色、うつくしく成(なり)て、星、あざやかに生ずるなり。
「ふくろ角(づの)」と云(いふ)物、生(はえ)て、段々、秋の彼岸後(ご)、もとのごとくに長ずるなり。
[やぶちゃん注:「鹿」の種は本邦には複数いる。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 鹿(しか) (シカ・ニホンジカ他)」の私の注を参照されたい。
「多羅葉」ニシキギ目モチノキ科モチノキ属タラヨウ Ilex latifolia 。当該ウィキによれば、『和名「タラヨウ」の由来は、先の尖ったもので葉の裏側に文字を書くと黒く跡が残る性質が、インドで仏教の経文を書くのに使われた貝葉の原料であるヤシ科のタラジュ(多羅樹』『 Corypha utan )と同様なので名付けられている』。『日本の本州静岡県以西、四国、九州と、朝鮮半島、中国に分布』し、『山地に生える』。『関東にも植樹されていることがある』。『常緑広葉樹の高木』で、『葉は肉厚で』二十『センチメートル』『ほどもある長楕円形をして』おり、『ツヤがあり、葉縁は細かい鋸歯がある』。鹿の角の脱落と若芽の摂取の関係性は信じられない。]
毛の色も、秋の氣(き)に入(いる)時は、くもりて、星、うすく成(なる)なり。
鹿の妻戀(つまごひ)は、秋の末なり。とつぐも、只、一度なり。ふたたびと、せず。
鹿は、年々、子を壹疋ならでは、產せず。
甲州の狩人(かりうど)、猪しゝを、壹疋、打(うて)ば、百姓より、褒美として、金百疋、貰(もらふ)なり。鹿は、二疋うちて、百疋、もらふなり。
狩人、犬をかけて、猪をとるなり。犬、五疋も持(もち)たる狩人は、鐵炮に不ㇾ及(およばず)、犬、つひに、猪をくひころすなり。
犬を、かくれば、犬、猪の子を、先(まづ)、驅出(かけだ)して、くらふ。
母の猪、是を、うれへて、犬を追(おひ)かくる時、狩人、てつぽうにて、うつ事なり。
甲州に、熊は、稀なり。
柴熊(しばくま)といふものは、多(おほく)あり。是は月の輪は、なし。力も、熊よりは劣(おとり)たり。樹に、のぼりえず。出る時は、五、六疋も、つらなりて、あるくなり。
[やぶちゃん注:「柴熊」本邦の北海道を除く本州・四国(九州は絶滅)に唯一棲息するクマ、食肉目クマ科クマ属ツキノワグマ亜種ニホンツキノワグマ Ursus thibetanus japonicus には、胸部に三日月形やアルファベットのV字状の白い斑紋が入るのが和名の由来だが、実際には、そのマークが全く無い個体も、結構、いる。「五、六疋も、つらなりて、あるく」のは、間違いなく、ニホンツキノワグマの子どもだからに過ぎない。]
常の熊は、よく、樹にのぼる事を、す。むじなも、樹にのぼる事を、す。狐も、おなじ。
[やぶちゃん注:「むじな」は「狐」と併置しており、「樹にのぼる」とあるので、百%、本州・四国・九州に棲息している固有亜種である食肉目イヌ科タヌキ属 タヌキ亜種ホンドタヌキ Nyctereutes procyonoides viverrinus である(後も同じ)。「むじな」は本邦固有種の肉目イヌ型亜目クマ下目イタチ小目イタチ上科イタチ科アナグマ属ニホンアナグマ Meles anakumaを指す場合もあるが、ニホンアナグマは木登りは出来ない。なお、ハクビシン説は私は認めない。詳しくは「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貉(むじな) (アナグマ)」の私の注を見られたい。]
猿は、樹にのぼりては、あなたこなたの枝へ、飛(とび)うつる事、五、六間[やぶちゃん注:九・〇九~十・九〇メートル。]を、へだつるを、たやすく、とぶなり。
猿の子は、鼠の大(おほき)さのごとし。母、猿の尾の上に、
「しか」
と取付(とりつき)て、母猿、いかやうに飛(とび)かけりても、おつる事、なし。平(たひら)なる枝に、母猿、坐して、手をまはして、尾のうへの子を、とり、乳をのましめ、掌(てのひら)にすゑて愛する事、人間の體(てい)に、かはらず。
子猿、よほど大(おほき)く成(なり)ては、樹をとびあるきて、木(こ)のみを口中に、したゝか含(ふくみ)て、あぎと[やぶちゃん注:「顎」だが、ここは「頰」のこと。]の、ふくれるほどになる時、母猿、やがて立寄(たちより)て、口の中なる木(こ)の實(み)を引(ひつ)たくりて、をのれ、くらふ。子猿、鳴(なき)さけべど、引(ひつ)ふせて、うごかさず。愛憐の情も、食物(くひもの)にわするゝは、畜生のこゝろなり。
猿、はらみて居(を)れば、狩人をみれば、腹を、ゆびさして、はらみたる事を示す。それを「ばうたず」と云(いふ)。
[やぶちゃん注:この話、怪奇談や随筆で、非常によく、見受ける話であるが、無論、真実ではない。私のものでは、「大和怪異記 卷之七 第十六 猿をころすむくゐの事」を見られたい。]
老(おい)たる猿は、大かた、二疋、枝上(えだうへ)に並坐(ならびざ)して、ひとつの猿、かたはらの猿の背を、うてば、うたれて、やがて、そのさるの膝を枕にして、よりふすとき、蝨(しらみ)をとりてやるを、とりては、口に入(いれ)、とりては口に入して、頭(かしら)より、手足にいたる迄、とり盡して、引(ひき)おこせば、又、かはりて、しらみを、とりてやる。たがひに、かくのごとくする事、をかしき體(てい)なり。
「しらみをとる手の、はやき事、いはんかたなく、おもしろき事。」
と云(いふ)。
[やぶちゃん注:「猿」は日本固有種である哺乳綱霊長目直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科オナガザル亜科マカク属ニホンザル Macaca fuscata 。私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の冒頭の「さる ましら 獼猴」を見られたい。昨年、全面リニューアルした。
最後に出る「グルーミング」(grooming)は、シラミ取り以外にも、毛繕いでもあり、ニホンザルの場合は、集団内での序列形成と密接な関係がある、社会的意義が含まれてもいる。]
山には、狼の外に、「山いぬ」と云(いふ)有(あり)。狼は、瘦(やせ)て、腹、ほそく、手足、ほそく、「山いぬ」は、ふとりて、手足、細し。狩人、あやまりて、「山いぬ」を壹疋、うちとむとき、夜々(よよ)、數百(すひやく)の「山いぬ」、あれ、怒りて、往來(わうらい)成(なり)がたき事に到(いた)るなり。但(ただし)、ふじの根がたの村にのみ、つねに、山犬を、うちころす事とす。
[やぶちゃん注:「狼」我々が滅ぼしてしまった哺乳綱食肉目イヌ亜目イヌ科イヌ亜科イヌ属タイリクオオカミ亜種ニホンオオカミCanis lupus hodophilax(北海道と樺太を除く日本列島に棲息していた)。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 狼(おほかみ) (ヨーロッパオオカミ・ニホンオオカミ・エゾオオカミ)」を参照されたい。
「やま犬」は野犬のこと。私は「ノイヌ」と和名擬きにカタカナ書きにするのを、甚だ嫌悪する人種である。]
「むじな」は、ともすれば、「小豆(あづき)あらひ」・「絲(いと)くり」などする事、有(あり)。「小豆あらひ」は溪谷の間(かん)にて、音、するなり。「絲くり」は樹の「うつぼ」の中にて音すれど、聞(きく)人、十町[やぶちゃん注:一・〇九キロメートル。]、廿町、行(ゆき)ても、其音、耳をはなれず、おなじ事に聞ゆるなり。
[やぶちゃん注:私はここで「むじな」=ホンドタヌキの妖異に出くわそうとは思わなかった。しかし、民俗社会的には納得出来る記載ではある。「小豆あらひ」・「絲くり」は私の『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 小豆洗ひ』を参照されたい。個人的には、前者は渓間や小川の見た目には見えない流水が引き起こす物理現象と見るし、後者は昆虫綱鞘翅目多食亜目ナガシンクイ上科シバンムシ科 Anobiidae のシバンムシ(死番虫)類が、木や家屋の材木を蚕食する際の音と考えている。]
狩人の犬は、つねは、繩、付(つけ)て、山へ牽行(ひきゆき)て、獸(けもの)をみれば、繩を解(とき)て、心のまゝに、放(はなし)、かくるなり。よるに入(いる)ときは、其まゝに、狩人は、かへれども、犬を、跡にとめて、かならず、かへりくるなり。又、竹を切(きり)て笛となし、ふくときは、一里、二里、遠近(をちこち)に放(はなち)たる犬も、皆、聞付(ききつけ)て、そこに歸りよらざる事、なし。
山犬をとるには、石の室(むろ)をこしらへ、その内にかくれ居《ゐ》て、犬の長鳴(ながなき)するこゑをして、地にふして、長く、嗚(なき)まねをすれば、山に其聲、ひゞきて、山いぬ、出(いで)くるなり。室のまへに、獸の肉を蒔置(まきおい)て、山犬、それをくらふを、室のうちより、てつぽうにて、打(うち)とむるなり。
又、狩人のうちたるけものは、鹿・猪のたぐひにても、山にすて置(おく)に、山いぬ・狼など、鐵抱のあとのあるをば、くらふ事、なし。狩人、その皮を、はぎとりたるをみて、其の後(のち)、その肉を喰(くら)ふなり。是は、狩人のものをくへば、おのれ、うたれん事、恐(おそろしく)て、くはぬなり。
猪は、田に入(いり)て、深く、泥を、うがちほりて、それを身にまとひ出(いで)て、松の樹によりて、泥のうへに、松やにを、すりつくるゆゑ、うるしにて、かためたるやうに、毛、とぢあひて、大ていの鐵炮の玉は、とほりがたきやうに成(なる)事なり。
[やぶちゃん注:この行動は、]
兎は、子を、うみすつるゆゑ、時々、山に有(ある)を、とらふるなり。前脚(まへあし)、みじかきゆゑ、くだり坂には、よく、とらへらるゝなり。
[やぶちゃん注:先の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 野豬(ゐのしし) (イノシシ)」の私の注で引いたイノシシの泥浴を行う「沼田場(ヌタバ)」のことである。毛を固めるための行動というよりは(それもあるが)、第一義的には夏場の暑気時に体を冷やすこと、また、ノミ等の寄生虫を除くための行動である。]