譚海 卷之九 岩國半紙幷岩國八幡宮の事
[やぶちゃん注:前回とは前の箇所が紙繋がり。]
○半紙は、周防(すはう)の岩國より、漉出(すきいだ)すをもちて、海内に用(もちひ)る事故(ゆゑ)、領主吉川家(きつかはけ)、殊に富有なり。
半紙、上・中・下、數品(すひん)あれども、皆、岩國より出(いづ)るなり。
此外、常州水戶より漉出すといへども、萬分の一にも、あらず。
岩國の瀕海に、八幡宮、有(あり)。海上へ遠く築(つき)いだしたるところにて、皆、大石を持(もつ)て石垣を築立(つきたて)たる上に、社頭、有(あり)。社頭の壯麗なる事、比類なし。吉川家、建立(こんりふ)なり。船中より望(のぞみ)みるに、言語同斷なり。
「大坂より西國まで、海路の中(うち)、岩國八幡宮程、目に立(たち)たるやしろは、なし。」
と、いへり。
「社(やしろ)の下の海水、赤泥(せきでい)のやうに見えて、波、うづまき、外(そと)より見るに、甚(はなはだ)、おそろしきやうすなり。いかなるゆゑともしらず、至(いたつ)て深き所なるゆゑ、かくあるにや。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「八幡宮」吉川家の創建で、城壁のような高い石組みのある八幡宮となると、山口県岩国市岩国四丁目にある椎尾八幡宮がそれに当て嵌まるのだが、この神社は、錦川の川沿いながら、海とはかなり隔てた場所にあり(錦川自体が下流で今津川と門前川に別れて、初めて二つの川が、瀬戸内海に河口している)、岩国の古絵図を見ても、その立地に変わりはなく、本文の「社の下の海水」というような場所ではないので、「不詳」とするしかない。話者がいい加減なことを言っている可能性もあるが、識者の御教授を乞うものである。]