譚海 卷之八 江戶深川船頭兄を善心にみちびきし事
○深川に船頭を業(なりはひ)とするもの有(あり)。
其子供の兄、放蕩ものにて、勘當して、弟に家をゆづりて居(をり)けるに、其兄、折々、親の所へ來(きた)り、無心、いひつのりて、惡口(あくこう)に及(およぶ)事、數度(すど)なりしかば、其弟、思ひ兼て、ある時、又、兄、來(きた)るを、うかがひ、戶をあくると、そのまゝ、刀にて、兄を切懸(きりかけ)たるに、手疵(てきず)負(おひ)て、驚き、にげさりたり。
其時、此弟、
「仕合(しあはせ)と、兄を切(きり)そこないたる、冥加(めうが)に叶(かなひ)たり。我、しかしながら、弟の身として、かりそめにも兄に手向(てむか)ふ事、是非なき次第なれば、かくせしかども、生(いき)てあるべき道に、あらず。」
とて、卽時に、腹を切(きり)て死(しに)うせたり。
[やぶちゃん注:「冥加に叶たり」神仏の御加護のお蔭で、私が、人道を外れずに済んだ。]
それを、かの兄、聞(きき)つけて、立歸(たちかへ)り、弟の死骸をみて、抱付(だきつき)、
「扨々(さてさて)、不便(ふびん)成(なる)事、是非なき次第、是、全く、我(わが)身持惡敷(みもちあしき)故(ゆゑ)、かやうに死(しし)たる事、我(わが)手をおろして、其方(そのはう)を殺(ころし)たる同然の事なり。しかしながら、云(いひ)てかへらぬ事なれば、是より、われら、急度(きつと)、心をあらため、善人に成(なり)て、其方に成(なり)かはり、親達を養育申(まふす)ベし。せめては、是を、わが志(こころざし)と聞屆(ききとどけ)て、成佛してくれよ。」
と愁歎の淚、せきあヘず。
夫(それ)よりして、此放蕩なる兄、善心(ぜんしん)になりて、よく商買の事に身を入(いれ)、兩親につかへ、孝行にありける。
「あはれ成(なる)事。」
と、人の、かたりし。
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