譚海 卷之九 畿内・勢・尾の人產業の事
譚海 卷の九 畿内・勢・尾の人產業の事
[やぶちゃん注:言わずもがなであるが、「畿内」は大和・山城・摂津・河内・和泉の五国。現在の奈良県・京都府中南部・大阪府・兵庫県南東部を合わせた地域。「勢」は伊勢国、「尾」は尾張。]
○五畿内・伊勢・尾張などの人は、耕作の外に、一種の業(わざ)をなして、貨殖を事とし、利に走る事、其(それ)、性(せい)なり。中國・西國に至(いたる)迄、みな、しかり。
茶をうゑ、「こかひ」[やぶちゃん注:「蠶飼」。]をなし、瀨戶物をやき、松の油煙(ゆえん/やに)をとるなど、瑣細(ささい)[やぶちゃん注:「些細」に同じ。]の事にいたるまで、其土地に應じたる事を、かまへなさずといふ事、なし。
あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、梅の樹を、數(す)千本、うゑて、年々梅干を數萬の桶に漬出(つけいだ)し、又は棕櫚(しゆろ)の樹を植(うゑ)て、皮をはぎ、「はゝき」に造り、「たはし」に製し、繩に、なひなど、塵芥(ちりあくた)にいたるまでも、すたる事、なし。
「しゆろ、千本あれば、十口(とくち)のくらしにあたる。」[やぶちゃん注:「十口」一般の町人の十軒分。]
と、いへり。
「はぜ」をうゑて、實をとり、蠟となすなど、至(いたつ)て辛勞(しんらう)する事にて、關東の人は敎(をしへ)ても、なしうる事を、せず。
鷄(にはとり)を飼(かひ)て、玉子を產し、海の藻をとりて、「ところてん」を製しなど、智力を盡(つく)し、心を用(もちひ)る事、あげて、かぞへがたし。
關東の農夫は、本業の外に、心をもちゆる事、少(すくな)し。終年、徒然(つれづれ)として遊惰(いうだ)に暮す事、奥羽をかけて、一般の風俗なり。然る間、貧を愁(うれふ)る事も、又、甚し。
[やぶちゃん注:「しゆろ」通常の漢字表記は「棕櫚」。ヤシ科シュロ属の常緑高木。ここでは、ワジュロ(和棕櫚: Trachycarpus fortunei )とトウジュロ(唐棕櫚: Trachycarpus wagnerianus )の両方を挙げておく。両者の区別は、前者が葉が折れて垂れるのに対して、後者は優位に葉柄が短く、葉が折れず、垂れない。近年、二種は同種ともされるが、園芸では、敢然として区別される。ウィキの「シュロ」によれば、『樹皮の繊維層は厚く』、『シュロ縄として古くから利用されている』。『また、ホウキの穂先の材料として使われる、日本の伝統的な和箒』(わほうき)『の棕櫚箒』(しゅろほうき)『としての利用も一般的である。繊維は菰(こも)の材料にもなる』とある。
「はぜ」双子葉植物綱ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum 。当該ウィキの「果実」によれば、『果実を蒸して』、『圧搾して採取される高融点の脂肪、つまり木蝋は、和蝋燭(Japanese candle)、坐薬や軟膏の基剤、ポマード、石鹸、クレヨン、化粧品などの原料として利用される』。『日本では、江戸時代に西日本の諸藩で木蝋をとる目的で盛んに栽培された。また、江戸時代中期以前は時としてアク抜き後』、『焼いて食すほか、すり潰してこね、ハゼ餅(東北地方の』「ゆべし」『に近いものと考えられる)として加工されるなど、救荒食物としての利用もあった。現在も、食品の表面に光沢をつけるために利用される例がある』。二十『世紀に入り安価で大量生産可能な合成ワックスにより、生産が低下したが、近年』、『合成ワックスにはない粘りや自然品の見直し気運などから需要が増えてきている』とある。]