譚海 卷之九 入眼入鼻の事
[やぶちゃん注:本篇は現在は差別用語として使用しない言葉や、差別的な話者の語りがある。その辺りは、十全に批判的視点を持って読まれたい。]
○今時(こんじ)は、すべて技能の事も精密になりて、入眼(いれめ)・入鼻(いれはな)などいふ事を考へ出(いだ)し、かたわなる人も、療治を得(う)れば、平常の人に異なる事なきやうにみゆるなり。
番町の御家人何がしの息女、片目、あしかりしを、入眼せしかば、よき目よりは、よくみなさるゝやうに成(なり)たり。但(ただし)、それをしりて、心をとめてみれば、入見[やぶちゃん注:底本に編者の補正傍注が『(瞳)』とある。これで「いれめ」と読ませるつもりであろう。]のはたらかざるゆゑ、入眼の事とは、しらるれども、うちつけに、しらぬ人の指向(さしむか)ひたるには、さらに入眼成(なり)とも見わけかたきほど也。
其のち、此息女、かたわを、かくして、媒介(なかうど)によりて婚娶(こんしゆ)[やぶちゃん注:「結婚」に同じ。]の事、さだまり、緣付(えんづき)たり、とぞ。
又、大門通(だいもんとおり)に馬具をあきなひするもの、師走ころ、牛込の邊(あたり)へ、馬具のあたひを請取(うけとり)に行(ゆき)たる歸路(かへりみち)に、夜陰、盜賊にあひて切付(きるつけ)られ、
「にぐる。」
とて、鼻を切落(きりおと)されぬ。にげ歸(かへり)て、いそぎ、入鼻の醫師を求(もとめ)て、療治せしかば、木をきざみて、鼻の形になし、付(つけ)そへたりしに、元來(もとより)、鼻の色、少(すこし)もたがふ事なく、奇特成(きどくな)ることに、人も、あざみ[やぶちゃん注:この場合は「意外なことに驚き」の意。]、いひたり。
但(ただし)、酒徒(しゆと)成(なる)故、沈醉(ちんすゐ)にをよぶ[やぶちゃん注:ママ。]ときは、顏色、あかく成(なる)にしたがつて、鼻の色ばかり、かはらず、たしかに、入鼻、わかれて、見えたり、とぞ。にげ歸(かへえり)て、そのままに、うちふし、療治して、後(のち)、數日(すじつ)ありて、おきあがり、衣裳をぬぎかへたれば、きられたる鼻の肉、懷中に落(おち)とまりてあるが、しなびかへりて出(いで)たる。やがて、醫師のかたへ、持行(もちゆき)てみせければ、
「其儘ならば、いかにも、これを、とりつけて療治すべきに、かく、日ごろ、へぬれば、かひなし。」
とて、やみけり。
「いと本意なき事。」
と物がたりぬ。
[やぶちゃん注:「大門通」現在の東京都中央区日本橋小伝馬町から日本橋人形町二丁目までの道路の呼び名(グーグル・マップ・データ)。同区が定める道路愛称名の一つ。江戸時代初期に吉原遊廓(元吉原。その大門)があったことによる。同遊郭は「明暦の大火」(明暦三年一月十八日から二十日(一六五七年三月二日から四日)で焼失し、浅草寺裏に移った。]