譚海 卷之九 房州おぼこ魚の事
○「おぼこ」と云う[やぶちゃん注:ママ。]を、生長して「ぼら」と號す。
房州瀕海には、所々に、「いけす」を、こしらへて、「おぼこ」の時より、かひ置(おき)て、獵し、得る事を、きんず。
夜陰、他所(よそ)の漁人、來りとらん事を、殊に、ふせぐ事なり。
「おぼこ」、あそびに出(いづ)る事、有(あり)。時、ありて、いけすに、ひとつもなく、うする事、有。
然して、晚來(ばんらい)は、いつも數(す)萬頭、沖のかたより、群來(むれきたり)て、いけすに入(いり)、水の色、黑く見ゆるほどに、あまた、つどひ來(きた)る事なり。
寒中に至(いたり)ては、「すばしり」・「ぼら」などといふものに生長する。
其時、初(はじめ)て、網を、おろして、獵し、とるなり。
「寒中には、『ぼら』の眼、くらがりに心よく走る事、叶はず。さるがゆゑに、もらさず取得(とりえ)らるゝ事。」
と、いへり。
又、大龜も、同國島崎と云(いふ)所には、漁人、もつぱら、とる事にするなり。
取ると、甲(かふら)をはぎて、江戶へ出し、鼈甲(べつかふ)の贋作(がんさく)を造る工人へ沽却(こきやく)[やぶちゃん注:売ること。]する事なり。
[やぶちゃん注:ボラ目ボラ科ボラMugil cephalus 。江戸時代にここにあるような半養殖が行われていたことは、大阪の老舗の魚屋「鮮魚川崎」の公式サイト内の『臭い魚の代名詞「ボラ」がイメージ回復中 高い適応能力で養殖事業化も』に、『身も美味しく、卵巣やへそが珍味で重宝されそうなボラですが、今ではほとんど食用とされていません。古くは高級魚としても扱われ、江戸時代などは贈答用などにも使われ、一時は千葉県内房浦安沖などでは養殖も行われているほど重宝されていたボラ』(☜)。『それがなぜこんなにも嫌われる存在になってしまったのでしょうか。それには私たちの文化の発展が大きく関わっています』。『高度経済成長の頃、当時は今のように排水などは管理されていなかったため、多くの川が汚染されていました。しかし、ボラは強靭な生命力、そして適応能力を持っていたため、その頃の水質汚染にも耐えることが出来てしまった為、汚染された水によって臭みのあるボラが多くなってしまったのです』。『この頃からボラを食する文化は徐々に薄れていき、「臭くて食べれないサカナ」というイメージが残ってしまったのです』。『関東地方ではまだまだ食用のイメージは薄いかもしれませんが、関西では近年少しずつ流通量が増えているようです。また、海外においてはフィリピンなどでも強い生命力、環境への適応能力から養殖の研究が進められているそうです』。『日本近海の水質環境がもっと向上すれば、もしかしたら近い将来には昔のように多くの人から愛されるサカナになっているかもしれません』。『美味しい魚であり、よく釣れる魚であり、冷蔵庫を使わなくても淡水で生かしておくことが出来る【ボラ】。今後の活躍に期待です』とあることでも、判る。因みに、この「いけす」(生簀)というのは、一部に出入りする開口部が作られており、餌が少ない時期、この生簀で人が餌を与えていれば、それを記憶して、沿岸に出ても、再び戻っているようになっていたものと思われる(彼らは、有意にジャンピングをするが、私は何度も見かけたが、それで閉鎖型の海面部が開放された生簀に戻るというのは、ボラ側のリスクが大きく、私には考えられない。そもそもがボラのジャンピングの理由自体が目的が今も明瞭ではないのだから)。私の
「大和本草卷之十三 魚之上 河鯔 (ボラの幼魚の別種誤認)」
「大和本草卷之十三 魚之下 鯔魚(なよし) (ボラ・メナダ)」
『大和本草附錄巻之二 魚類 「神仙傳」の「膾」は「鯔魚」を「最」も「上と爲す」とするに就いて「ぼら」と「いな」に比定 (ボラ) / 魚類 撥尾(いな) (ボラ)』
で、「出世魚」の地方変化や、同種及び近縁魚の特徴も詳注してあるので、見られたい。。]