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2024/02/02

甲子夜話卷之八 22 京都御所えは申樂入ことを禁ず。又、「平家」をかたるも、撿校、申樂へは、不ㇾ傳事

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、恣意的正字化変換や推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之七」の後半で既にその処理を始めているのだが、それをルーティンに正式に採用することとする。なお、カタカナの読みは、静山自身が振ったものである。標題の「え」はママ。]

 

2-22 京都御所えは申樂(さるがく)入(いる)ことを禁ず。又、「平家」をかたるも、撿校(けんげう)、申樂へは、不ㇾ傳(つたへざる)事

 禁廷の御能には、能役者、其場に入ることを禁ず。

 因(よつ)て素人(しろうと)のみなれば、能役者のする能を、關東にて見物する如くならず。

 院御所には、その禁、なし。

 先年、觀世大夫、上京のときも、召(めし)て叡覽あり、と。

 此等の談話、今春、高倉宰相の旅館に赴(おもむき)たるとき、聞(きき)し所なり。

 時に、傍(かたはら)に、勝與八郞、居(をり)て云(いふ)。

「平家をかたるも、能役者には、撿校等(ら)、傳へず。」

と。

 是も始(はじめ)て聞(きき)たり。河原者(かはらもの)を賤(いや)しめる古風の遺(い)なり。

■やぶちゃんの呟き

「高倉宰相」「甲子夜話卷之八 18 高倉宰相家傳唐櫃のこと幷圖」で注済み。

「勝與八郞」御勘定組頭であったようだ。

「河原者」江戸時代における諸舞台の役者を始め、芝居関係者・大道芸人・旅芸人などの蔑称。「河原乞食」(かわらこじき)とも称した。本来は、中世に、河原に居住した人々の称で、十二世紀頃から、天災・戦乱・貧困などによる流亡民のうち、非課税地の河原に逃れた者を卑称したのが始まりである。零細な農耕・行商・屠畜、皮革の加工・染色、清掃・死体埋葬などのほか、散楽(さんがく)の伝統を引く雑芸能を行なう者が多かったのが特色である。近世に入ると、彼らの一部は、独立した職業として確立したが、大半は、厳格な身分制度の下で、四民の下の「制外者」(にんがいもの)扱いにされ、差別を受けた。しかし、寺社の権力を背景にして、いろいろな特権を得て、特に、諸種の芸能の勧進興行は河原で催されることが多かったため、河原者が、その支配権を握り、説経・浄瑠璃・操(あやつ)り・からくり等に、地方の新芸能も加わって、近世の庶民芸能は、殆んどが、河原を発信・発展した経緯がある。京都・四条河原で行われた「出雲の阿国」の歌舞伎踊りは、最も有名で、こうした発生の由来から、劇場が河原を離れた後も、「河原者」という語が、芝居関係者への差別語として用いられ、一般社会から卑しめられる風習が明治になるまで続いた(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

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