譚海 卷之八 同所筑波山來由の事
[やぶちゃん注:「同所」は前の話を受けて「常陸國」を指す。「筑波山」(つくばさん)はここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。標高八百七十七メートル。]
○筑波山に、每年五月晦日(みそか)、龍燈を現ず。
其夜、東海より、遠く、火、來(きた)る。
夫(それ)に合(あはせ)て、近き山中、又は、池中・澤中よりも、皆、龍燈、現じ來る。數(す)百に及(およぶ)事なり。
「小の月は、廿九日にある。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「龍燈」私のサイト版の南方熊楠の「龍燈に就て」(PDF)を見られたい。]
「每年、此夜、人、參詣して見るに、山をこえ、林をうがちて、所々より來る火、螢の如くに集る事。」
とぞ。
又、筑波山に屬せる加波山(かばさん)と云(いふ)山、有(あり)。此山に、櫻、多し。土人は「かんば櫻」と云(いふ)。
「是、『かには櫻』の事なり。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「加波山」筑波山の北東北のここ。標高七百九メートル。
「かんば櫻」「かには櫻」バラ目バラ科サクラ属サクラ品種カンバザクラ Cerasus × media ‘Kaba-zakura’ があるが、これではなく、加波山に多いのは、一般的なサクラ属ヤマザクラ Cerasus jamasakura である。恐らく「加波櫻」(かばざくら)が訛ったものであろう。因みに、材木名にブナ目カバノキ科カバノキ属カバノキ(タイプ種)Betula pubescens を「カバザクラ」と呼ぶが、無論、全く縁はない。]
つくばの東の麓に「大御堂(おほみだう)」と云(いふ)有(あり)。坂東覩音の札所なり。其所(そこ)にて順禮の者、うたふ歌に、
「入相の鐘はつくばの名にたちて
かく夕暮に家ぞ戀しき
と、いへり。是は筑波山に大成(だいなる)鐘(かね)、有(あり)、龍宮より來(きた)る物にて、往古、此鐘を撞(つく)事のありしに、山壑にひゞき、東海より、つなみ、おほく押入(おしいり)、人民、多く溺死せり。かゝる事、兩度迄、有しかば、今は、此かねを地上におろして、長く、つく事を、ゆるさず。誠に大成鐘にて、形も奇異成(なる)物なり。鐘のひゞく時は、龍宮より、
「鐘をとりかへさん。」
とて、かく、津波などは入(いり)たる事のよし、「風土記」にも、しるせり、とぞ。
[やぶちゃん注:「大御堂」現在は護国寺別院筑波山知足院中禅寺大御堂が正式名。真言宗豊山派で、本尊は十一面千手観世音菩薩。坂東三十三観音第二十五番札所。但し、明治初年の忌まわしき「神仏分離」により、一度、廃寺となった。現在は東京都文京区大塚にある真言宗豊山派大本山護国寺別院で、鐘は当時のものではないのだろうが、普通に吊られてあり、普通に打っている。現在位置は筑波山の「東」ではなく、「南西」である。]
又、筑波山は天竺の靈鷲山(りやうじゆせん)の一峯(いつぽう)、とびきたりて成(なり)たる山成(なる)由。花山法皇、御順禮のついで、御製とていひ傳へたる歌、
「わしの山飛來(き)てこゝにつくばねの
女神を神へみつきとぞ成(なす)
といふ、此事も「風土記」に見えたり。
靈鷲山の東西の隅を裂(さき)て、諸神、取來(とりきたつ)て、いざなぎ・いざなみの大神に貢(みつぎ)す、としるしたり、とぞ。
[やぶちゃん注:「靈鷲山」インドのビハール州のほぼ中央に位置する山(この中央附近)で、大乗経典にでは、釈迦が「観無量寿経」や「法華経」を説いたとされる山として知られる。サンスクリット語では「グリドラクータ」、パーリ語では「ギッジャクータ」。
「花山法皇」「御製」和歌集には見当たらない。]