譚海 卷之七 上總國某寺に樹下に木の子生たる事 附鮹魚梅酢毒する事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。「木の子」は茸(きのこ)のことで、「生たる」は「はえたる」と訓じておく。「附」は「つけたり」、「鮹魚」は二字で「たこ」。]
○上總の國、ある寺の山に、あやしき「きの子」、生たり。
寺の僕(しもべ)、採りて、物(もの)に入置(いれおき)たりしに、夜中、殊外(ことのほか)、光、ありて見えしかば、皆々、あやしみをなせしに、住持、聞(きき)て、
「夜(よる)ひかる「きの子」には、必(かならず)、毒あり。かまへて、食(しよく)すべからず。」
と制して、棄(すて)させける。
翌日、又、同じ所に、かたの如くの「きの子」、生(しやう)じありしかば、いよいよ、怪(あやし)みて、心を付(つけ)て、せんさくせしに、其側(そのそば)の樹の枝に、大(おほい)なる「くちなは」[やぶちゃん注:蛇。]、死して、枝に、かゝり有(あり)。
「さては。此死(しし)たる蛇[やぶちゃん注:底本ではここに補正注で『(の)』とある。血だけではなく、腐れた肉の体液などを含めたものであろう。]したゝりより、生じけるこそ、かしこく、食さゞりける。食しなば、いかなる禍(わざはひ)にかゝるべきも、しらず。」
と、皆々、恐れあひし、とぞ。
又、江戶にて、ある垣(かき)にて、人々、日々、蹴鞠(けまり)せしに、ある日ことに、あつかりしかば、
「一盃、くむべし。」
とて、休(やすみ)たるに、料理人、「たこ」の足の煮たるに、折節、有合(ありあは)せつる梅漬(うめづけ)の酢を、かけて、出(いだ)したり。
殊に、うつくしく、紅に、はへ[やぶちゃん注:ママ。「映ゆ」で「はえ」でよい。]ければ、人々、興じて、
「是は、よき趣向をせしなり。先一(さきいち)より[やぶちゃん注:まずは最初に。]、まりをけてのち、酒、吞(のむ)べし。」
と云(いひ)て、又、垣に入(いり)、鞠、終(をはり)て、
「已前の肴(さかな)は。」
とて、蓋(ふた)を明(あけ)たれば、此「たこ」の足、殊外、大きく成(なり)て、さながら、すさまじく見得(みう)ければ、あやしみて、指にて、いろひ[やぶちゃん注:「弄(いろ)ふ・綺ふ」で「いじる」の意。]みるに、此「たこ」、石・くろがねを、いろふ如く、甚(はなはだ)かたく成(なり)て、中々は、のたつ[やぶちゃん注:「のたくる」で「体をうねくねらせて動く」ことで膨れるの意か。いやいや、タコは普通にそうしましがねぇ?]べき物とも覺えざりしかば、大(おほい)に驚き、
「此(こ)は、たこに酢(す)の氣(き)、きん物(もつ)なる故、如ㇾ此(かくのごとく)、大きくふくれたるべし。先程、そのまゝくひたらましかば、いかなるどくにも、あたりつべき事、しれがたし。くはずして、又、一(いち)より、まりけし[やぶちゃん注:「し」は過去の助動詞。]によりて、ふしぎに、いのち、ひろひたる事。」
と、をのゝきて、やかて、そのたこを、鼠壤(そじやう)[やぶちゃん注:細かな土。]へ、すてさせしに、日をふるほど、放前(はなつまへ)の形の、一倍に、ふえて、すさまじき事、いふばかりなし。
「かく、數日(すじつ)、ふれど、犬・猫のたぐひも、あへて、くらふ事、なければ、どく、有(ある)事、しられぬ。」
と、かたりつ。
「『「うなぎ」に酢を「どく」。』と、いひしが、鮹(たこ)などにも、『す』は、『どく』成(なる)事、はたして、しられたり。但(ただし)、穀汁(こくじる)にて製したる「す」は、猶、さまでに、あらねども、梅、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、『しどみ』などの木(こ)の實(み)より、自然にとりたる『す』は、魚肉に和(わ)して、『毒』となる事、殊に甚し。」
とぞ。
「取肴(とりざかな)などに、『うなぎのかばやき』に、梅漬の物など、盛合(もりあはせ)て出(いだ)す事、まゝ有(ある)事なれど、用心すべき事なる。」
とぞ。
[やぶちゃん注:「上總の國、ある寺の山に、あやしき「きの子」、生たり」「夜中、殊外、光、ありて見えし」ロケーションから、菌界担子菌門ハラタケ綱ハラタケ目クヌギタケ科クヌギタケ属ヤコウタケ Mycena chlorophos であろう。私は知人の撮った写真で見たことがある。当該ウィキによれば、『日本では小笠原諸島や八丈島を主な自生地とし、仙台以南の太平洋側地域に分布が見られる』とある。
「しどみ」バラ目バラ科サクラ亜科リンゴ連ボケ属クサボケ(草木瓜)Chaenomeles japonica 。ウィキの「ボケ(植物)」によれば、クサボケは『果実にボケ』(ボケ Chaenomeles speciosa )『同様の薬効があり、日本産の意で和木瓜(わもっか)と称される生薬となり、木瓜(もっか)と同様に利用され』、『果実酒』にもあるあった。
「たこに酢の氣、きん物なる」んな、ことは、ないね。私は蛸の酢和えは好物だ。
『「うなぎ」に酢を「どく」』同前。私は複数の料亭で、何度も、食べたことがある。「うなぎ」の危険なのは、生血である。目に入ると、失明する危険さえある。]