譚海 卷之七 官醫池原氏の弟子蛇の祟にあひし事 / 卷の七~了
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。国立国会図書館本のそれが正しい。本巻は底本冒頭の竹内利美氏の解題によれば、巻中初出の最新年次を寛政三(一七九一)年とするが、ある論文で、信頼出来る幕府資料の記載に、この五年前の天明六年の記録があり、この「官醫池原氏」のことと思われる幕府奥医師「池原雲洞」の名を見出せた。
なお、本篇を以って「卷の七」は終っている。]
○官醫池原氏の弟子下野(しもつけ)[やぶちゃん注:現在の栃木県。]の者成(なる)が、江戶に久しくありて、老後在所へ歸り住(すみ)けり。在所は日光山の北にあたりたる所にて、山ふかき里なり。
ある日、せど[やぶちゃん注:「背戶」。家の裏山。]の山へ行(ゆき)たるに、長さ三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]ばかりもあるらんとおぼしき蛇、よこたはりてうごかずして有(あり)。
母・娘など、大(おほい)に怖(おそれ)て、せんかたなければ、竹にて、蛇のあたりの草を、しづかに、はらひはらひしければ、蛇、やうやく動(うごき)て、山のかたへ行去(ゆきさり)けり。
其後(そのご)、此蛇、日々、此醫師の家ちかくきたりて、後々(のちのち)には、甚(はなはだ)馴(なれ)たるさまなれば、いよいよ、おそれて、
「何とぞ、此蛇、來たらぬやうに。」
と、修驗者(しゆげんじや)などたのみて、祈禱させなどしたるに、其しるしも、なし。
ある日、朝、とく、戶を明(あけ)たれば、此蛇、その庭に來りて、緣頰(えんづら)[やぶちゃん注:「緣側」に同じ。]ちかくに、とぐろ卷(まき)て、あり。
室内、大に驚き、さはぐ時、例の修驗者、門を過(すぎ)ければ、呼入(よびいれ)て、
「何とぞ、守札(まもりふだ)給はれ。」
と、いひしに、修驗者の家にある犬、同じく來(きた)るをみて、修瞼者、犬を呼びて、かけゝれば、犬、やがて、蛇のかたはらにはしり行(ゆき)て、くひつかんさまにて、聲をたてて、しきりに吠(ほえ)ければ、此蛇、首をもたげて、犬をにらまへ、口より息を吐(はき)て、うなりいかるさま、おそろしさ、たとへんかたなし。
犬は、ますます、うめきほえて、とびかゝらんとす。
蛇は、犬を、くはんとて、うなりいかるに、後々(あとあと)は、たがひに、息もせず、にらみあひたるまゝにて、勝負、わかたず。
既に、あした[やぶちゃん注:ここは「朝」の意。]より夕(ゆふべ)に成(なる)まで、かくありければ、家内の者も、修瞼者も、物くふ事もわすれて、まもり見つゝゐしが、あまりに時をうつしたれば、修驗者、庭におり立(たち)、竹を持(もつ)て、蛇の喉(のど)を突(つく)ともなく、少しばかり、竹にて、いろひたるに[やぶちゃん注:いじったところが。]、蛇、あやまたず、たふれて、息たへたるさまなり。
犬も、同時、たふれてありけるが、死(しせ)ずと、いへり。
蛇は、かくて、二、三日、置(おき)けるに、色もかはりて、死(しし)たると覺えければ、哀(あはれ)なる事に思ひて、うしろの山に大なる穴を掘(ほり)て、蛇を、うづめ、其上に塚を築(きづき)て、石を、たてておけり。
其邊(そのあたり)のわかきものをはじめ、修驗者、頭(かしら)とりて、かく、築ける、とぞ。
蛇は、ながさ二間五尺[やぶちゃん注:五・一五メートル。]あり、もつこに、三つに入れて、運び、うづめしと、なん。
扨さて)、其程(そのほど)過(すぎ)さず[やぶちゃん注:程無く直ぐに。]、修驗者は胸をやみ、此蛇のくるしむごとく、うめきて終(つひ)に病死せしかば、いよいよ、
『あしき事。』
に、おもひて、夜は、外へ出るものなきほどに、おそれあへりしが、ある日、鄰村より、病人の療治をたのみて、此醫師のもとへきたりしに、
「遠き所なれば、夜に成(なり)ぬべし。此節、夜は通行を恐るゝ事なるうへに、殊に川わたしもありて、夜は、わたし守なければ、行(ゆき)がたき。」
よしを、いひけれど、例のわかきものら、氣の毒におもひ、
「御越(おこい)ありて療治せられば、一人助(たすか)る事に侍る。もし、夜分に及びなば、われら、川ばたまで迎(むかへ)に參りて、わたし守なくとも、舟を出(いだ)し、渡して歸(かへり)給ふやうになすべし。」
と、すゝめければ、
「さらば。」
とて、醫師、行けり。
扨、いひしごとく、川の邊(あたり)にては、夜に成(なり)しかば、聲を立(たて)て呼(よぶ)に、むかひのきしにも、此わかきものら、待出(まちいで)て、いそぎ、舟を出(いだ)さんとするに、竿、なかりしかば、
「そこら、竹を、もとむる。」
とて、しばし、てうちんを、かたへの家の軒(のき)につりおきけるに、一陣の怪風、
「さ」
と、吹來(ふききた)りて、あやまたず、此火、軒に、もえうつりければ、人々、手まどひ[やぶちゃん注:慌てふためくこと。]をして、
「うちけさん。」
と、しけれど、火、暫時に盛(さかん)に成(なり)て、一村、のこりなく、燒亡に及(および)けり。
醫師も、此體(てい)を見て、
「舟に乘歸りても、家もやけぬれば、住居(すまい)する所なし。」
とて、病家へ、もどりて、二、三日、とまりてありしに、村のものども、このわかきものらをからめとらへて、醫師の泊り居(を)る病家へ、つれ來り、
「此たびの出火は、全く、此ものどもが所爲にて、其張本は、こゝにある醫師なれば、とらへて、そのよし、代官所へ訴申(うつたへまふす)べし。」
とて、つひに、醫師をも、からめて、失火のしだい、うつたへければ、殘りなく入牢せられ、拷問の上、火をつけし科(とが)に定(さだま)りけるこそ、是非なき次第なり。
此由を醫師のはゝ、歎悲(なげきかな)しみて、色々に詫(わび)をなし、人を賴み、金子・賄賂等、用(もちひ)ける爲(ため)に、所持の田地をも、殘りなく賣(うり)はらひなどして、やうやうに、
「其科(とが)に、あらざる。」
よしに、定(さだま)り、出牢せしかど、田地もなく、家もやけぬれば、在所に住居(すまい)する事、かなはで、母・娘も、人の許(もと)に奉公する身となり、醫師も又、江戶へ立歸(たちかへり)て、甚(はなはだ)貧窮成(なる)體(てい)にて、さまよひあるきけるを、知(しり)たる人の行(ゆき)あひて、
「いかゞせられし事にや。」
と問ひしに、此醫師、件(くだん)の次第を物がたりして、
「不幸の事にはありけれど、然し、是も彼(かの)蛇の祟に遇(あひ)侍りし故なるべし。」
と、かたりぬるとかや。