譚海 卷之八 武州靑梅領禪寺の住持盜賊にあひて才覺の事 / 卷之八~了
[やぶちゃん注:この前の二話「九州海路船をうがつ魚の事」、及び、「房總幷(ならびに)松前渡海溺死幽靈の事」は既にフライング公開している。
なお、本篇を以って「卷之八」は終っている。]
○武州、靑梅(あをめ)領に、金龍寺と云(いふ)禪寺あり。
ある宵の程、盜人(ぬすびと)、二、三人來りて、異儀なく、門番をしばり、
「聲、たてなば、殺害(せつがい)すべし。住持の居間へ、案内すべし。」
とて、門番を先に立(たて)て拔身(ぬきみ)の刀のまゝながら、庫裏(くり)へ行(ゆき)けり。
和尙の居間へ至(いたり)てければ、和尙、たばこ呑(のみ)てゐたりしに、
「金子、借用に參(まゐり)たり。とく、出(いだ)されよ。」
と、いひければ、和尙、少しも、さわぐ氣色(けしき)なく、
「成程。先(まづ)、各(おのおの)、抜身にて、あぶなし。金子もかし申(まふす)べきまゝ、かたなを、收(をさめ)られ、靜(しづか)に致されよ。」
と、いひければ、盜人、刀を、をさめて坐(ざ)したる後(のち)、和尙、申けるは、
「爰(ここ)に、金子五兩、有(あり)。是より外(ほか)になければ、是を取(とら)するなり。持參致されよ。」
と、いひしに、此ぬす人、
「あまり少金(しやうきん)なり、是計(ばかり)にはあるまじ、かくす所なく、かし給はれ。」
と、いひしかば、和尙、
「沙門の身といふものは、さのみ、餘計(よけい)の金子、たくはふる物に、あらず。たくはへても、用なければ、我等、持合(もちあひ)たるは、是のみなり。もし、不足におもはれなば、寺の者、持合(もちあはせ)たるも、あるべし。取揃(とりそろへ)、進(しん)ずべし。」
とて、弟子の僧、又は、下人など呼出(よびいだ)して、
「かやうの無心に逢(あひ)て、せんかたなし。其方達、たくはへあらば、此五兩の上に、少し成(なり)とも餘計にして進じたし。何とぞ、今宵、かし進(しん)せよ。」
とて、彼(かれ)を、さとし、是を、すゝめて、金子、二步、三步、取(とり)あつめて、六、七兩に成(なり)たるを、ぬす人に渡し、
「見らるゝ如く、かほどまでせんさくしても、此ほかに寺中(てらうち)に持合(もちあひ)たる金子、是、なし。不肖ながら、是をもち歸られよ。」
と、いひしに、盜人も、ことわりにおぼへて、其金(かね)を懷中せしかば、和尙、又、
「各(おのおの)、空腹(すきばら)にも成(なり)たるべし。茶漬にても、參られよ。」
とて、ありあふ食事などすゝめ、時をうつして後(のち)、ぬす人、いとまごひて、立出(たちいで)しに、暫(しならく)有(あり)て、和尙、ぬす人の跡を、とめて[やぶちゃん注:「問めて」。行く方を探って。]、ひそかに、しりにたちて、付(つき)そひ往(ゆき)けり。
やゝとほく行(ゆき)て、ある家の長屋門ある百姓の家へ入(いり)ぬれば、和尙、これを見屆けて、其邊(そのあたり)の、みぞの泥を、掌(てのひら)にぬりて、戶びらに手のかたを、おし、其上の方に、「一」の字を書(かき)て、かへりぬ。
夜あけて、和尙、弟子を呼(よび)て、
「此(この)何村の内に手の『かた』をおして、『一』の字を、泥にて書付(かきつけ)たる戶びらある家に行(ゆき)て、何となく、『昨夜、止宿の人は何と申(まふす)や。』、姓名を聞(きき)て、かへるべし。」
と、いひければ、弟子、敎(をしへ)のごとく、聞糺(ききただ)したるに、何某(なにがし)と云(いふ)武家、四百石、知行(ちぎやう)ある人、泊(とまり)たるよし。」
を、いひければ、其姓名、聞(きき)、歸(かへり)て、和尙に云(いひ)しまま、和尙、やがて、其家に行(ゆき)て、案内し、其武家に逢(あひ)たるに、昨夜のぬす人に、まぎれなかりしかば、則(すなはち)、和尙、其人に申けるは、
「昨夜、御無心ゆゑ、御用立(ごようだて)たる金子、かへさるべし。」
と、いひしに、此武家、あらがふかたなくて、無下(むげ)に金を出(いだ)して、かへしける、とぞ。
[やぶちゃん注:「武州、靑梅領に、金龍寺と云禪寺あり」東京都青梅(おうめ)市だが、「金龍寺」という寺は現存しない。或いは、筆者か話者が、変名にしたものかも知れない。]