譚海 卷之八 同國猿橋幷鮎一步金等の事
[やぶちゃん注:「同國」は前話「甲州にてからいもの毒にあたり死たる事」を受けたもの。「幷」は「ならびに」。]
○江戶より甲州郡内へ廿八里、郡内より甲府へ十二里なり。郡内の町を出(いで)はなるれば、猿橋あり。橋くひをもちひず、左右の岸より持出(もちいだ)して造(つくり)て、橋より、水際までは、三十三尋(ひろ)あり。橋の長さは八十間餘(あまり)と云(いふ)。
橋をわたりて、甲府へ行(ゆく)かたの橋ぎはに、「猿のやしろ」、有(あり)。此橋を敎(をしへ)て、かけはじめたる猿を祀(まつり)たるゆゑに、里民、甚(はなはだ)、崇敬して「おさる殿」と稱するよし。
「此川の邊(あたり)をはじめ、甲州はすべて、鮎(あゆ)、名所なり。二月より、產す。二月は、鮎の大(おほき)さ二寸有(あり)、三月は、三寸有、八月比(ごろ)は壹尺四、五寸に生長す。至(いたつ)て美味なり。鮎の骨を拔(ぬき)て、くはるゝ事なり。」
と、いへり。
亦、武田家の時、製(せい)ありし金(かね)、今猶、殘りて、甲州の内にては、今時(こんじ)も、文金・古金に交(まじり)て通用する事、とぞ。壹朱金・二朱金・壹步金と三品(さんぴん)なり。壹朱といふは二朱の半金にあたるものなり。三品とも、金(きん)にて鑄(いり)たるものなり。世に「甲州金」と稱するもの、是なり。今時は、此金、甲州にも不足に成(なり)て、百兩の内、二步ばかり、甲州金を交(まぜ)遣ひて、八分は文金、或は、二朱銀を用(もちひ)る事に成(なり)たる、とぞ。
[やぶちゃん注:「猿橋」現在の山梨県大月市猿橋町猿橋にある桂川に架かる刎橋(はねばし:岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込んで中空に突き出させ、その上に同様の刎ね木をさらに突き出させて下の刎ね木に支えさせる。支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出し、これを何本も重ねて中空に向けて遠く刎ねださせ、これを足場として上部構造を組み上げて板を敷いて橋とした架橋をいう。橋脚を立てずに架橋することが可能となる。現在、木造で現存するのはこの山梨県大月市の猿橋のみ。ここはウィキの「刎橋」に拠った)。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。ウィキの「猿橋」も参照されたい。
「猿のやしろ」現在の桂川(現在は人造湖である相模湖に流入する)右岸猿橋のたもとに建つ「山王宮」(さんのうぐう)。]
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