譚海 卷之八 信州山中猪を狩事
[やぶちゃん注:標題は「しんしう、さんちゆう、ゐのししを、かること」と読んでおく。なお、この前話「加州の樵者鎗術をあざける事」は既にフライング公開している。]
○信濃山中の民は、猪(ゐのしし)を突(つく)事、妙手をえしなり。
「猪を鐵炮にて打てば、肉の味(あじは)ひ、臭(くさ)し。」
とて、竹鎗(たけやり)にて、突(つき)とむる事を、す。
常のきせい[やぶちゃん注:底本では「せ」の右に編者の補正注で『(を)』とあるが、「きをい」では歴史的仮名遣としておかしい。「競・勢」なら「きほひ」、「気負」なら「きおひ」である。意味は孰れでも「意気込み」である。しかし、このままでも、いいのではなかろうか? 「氣勢」である。]にては、手柄成(なり)がたき故に、から鐵炮など打(うち)て、猪をおどろかし、わざと、猪を、いからする樣にして突(つき)とむるなり。
猪、怒(いかり)て、馳來(はせきた)る道に、五、六人、鎗を構(かまへ)て待居(まちをり)て、初手より、次第に突(つき)とむる。
もし、突(つき)そこなふ時は、いかり、猪に、かけらるゝゆゑ、突(つき)そこなふと、其儘、鎗を地に立てて杖となして、それにすがりて、そのまゝ、猪の尻へ、とびて、かへりざまに、猪の尻を、つく。
次第に並居(なみをり)たるもの、皆々、此定(このさだめ)にして、突とむる事とす。
「さしも、猛(まう)なる猪の馳懸(はせかく)る振𢌞(ふるまひ)にあはせて、飛(とび)ちがひ、はたらく事、物馴(ものなれ)たるわざ、言語同斷成(なる)事なり。」
と、かたりぬ。
[やぶちゃん注:「言語同斷」ここでの用法は否定批判的用法ではなく、ポジティヴな「あまり強烈で、言葉ではそれが言い表わせないほどであること」の意。また、直接話法の末尾であるかた、特殊な感動詞的用法で、「並外れた物事に接して驚いた!」という気持ちを表わしているともとれる。]