譚海 卷之九 同國布引瀧の事
[やぶちゃん注:三連チャンで瀧繋がり。「布引の瀧」は以下に見る通り、「雄瀧」と「雌瀧」の二つがある。グーグル・マップ・データ(以下同じ)では、現在は兵庫県神戸市中央区葺合町(ふきあいちょう)布引遊園地(ぬのびきゆうえんち:正式住所。ネットでは瀧の名では「ぬのひき」と清音とする記載もあるが、正式な住所に従い、濁音を採る)にあるのを「布引の滝 雄滝(おんたき)」と呼び、少し下流の葺合町布引山にあるのを「布引の滝 雌滝(めんたき)」と呼んでいるので、ここでもそれに倣う。なお、この兵庫県神戸市中央区葺合町は江戸時代は「攝津國」である。]
○同國「布引(ぬのびき)の瀧」は摩耶山(まやさん)より落(おち)て、末は生田川と成(なり)、海へ入(いる)なり。
[やぶちゃん注:「摩耶山より落て、末は生田川と成、海へ入なり」兵庫県神戸市灘区摩耶山にある六甲山地中央に位置する標高七百二メートルの山。正確には摩耶山北側後背の灘区六甲山町(ろっこうさんちょう)附近に源を発し、南流して、「布引の滝」を経て、大阪湾神戸港に注ぐ二級河川生田川。現行では、源流から一貫して「生田川」である。]
其所(そこ)の人、物がたりせしは、
「『布引のたき』、山中に、ふたつあり。「雄瀧(をんたき)」・「雌瀧(めんったき)」と稱(しやうす)。山口(やまくち)にあるは、「雌瀧」なり。先年、地震によりて、石(いし)落(おち)て、瀧にかゝり、留(とどま)りたるより、瀧、二段に成(なり)て落(おつ)るゆゑ、「布引」の名、昔(むかし)に、たがへり。大かたの人、此瀧を見て、『布引』とおもひては、不案内なる事なり。なを[やぶちゃん注:ママ]、半道あまり、山中に分入(わけいれ)れば、『雄瀧』あり、瀧の高さ、はじめに、まさりて、千仭の石壁(せきへき)を一筋に落(おつ)る、誠に『布引』の名、今にかはらず壯觀なり。但(ただし)、魔所成(なる)由にて、申の刻[やぶちゃん注:午後三時。]より後(のち)は、人、行(ゆき)て見る事を禁ず。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「地震」本巻の最新記事は寛政元(一七八九)年であるから、天明期の摂津にあった地震を調べたが、見当たらなかった。]