譚海 卷之六 大坂土地風俗の事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。]
○大坂は、冬、あたゝかなる事、江戶にくらぶれば、衣裳ひとつ、ちがふ也。
二月になれば、足袋(たび)を、はく事、なし。
風のふく事、はげしき事、なし。小雨のみにて、雨、はるれば、天氣、よろし。
砂地なるゆゑ、道、かはきやすきまゝ、おほかた、下駄のみを、はきて、あしだをもちゆる事、稀也。日和げた・ざうり下駄、はなたず。又、皮にて作りたるくつを、上下とも、このみて、時雨(しぐれ)にも、おほくは、はなたず。いやしきものも、是を用ざるは、なし。
梅・柳などの、春を催すも、江戶よりは、十日も、はやかるべし。
「夏は、暑氣(しよき)、堪(たへ)がたし。」
といふ。
冬は、雪、つもる事、稀也。
其所(そこ)、東橫堀より、西橫堀までの間は、川すぢ、いくらも、絲すぢの如く、掘(ほり)とほしたるゆゑ、一町ごとに、はし、有(あり)。凡(およそ)、橋のかず、百八十八あり、とぞ。
町の住居(すまひ)は、普請、みな、念を入(いれ)て、心ゆくまで、作り、すむ所は湯どの・臺所・路次のはしばしまで、皆、たゝき土(つち)にて、かためたるは、畢竟(ひつきやう)、たゝき土、心やすく出來るゆゑ也。
[やぶちゃん注:「たゝき土」花崗岩などが風化して出来た漆喰土(しっくいど)。]
下水の樋(かけひ)、掘入(ほりいれ)たる家、すくなく、皆、土下(つちした)を、うがちて、樋を、とほし、川へ、水をながすやうに、せり。
かまどは「六臺」とて、しつくいにて、ぬりあげたる也。大小、六つは、ならべすゑざる家、なし。竈(かまど)の底は、瓦(かはら)にて、敷(しき)つめ、灰を、たくはふ事、なし。火を焚止(たきやむ)ときは、卽(すなはち)、灰を、かきすてて、さる。貧家といへども、六代[やぶちゃん注:「代」の右に編者の補正傍注があって、『(台)』とする。]をかまへざるもの、なし。灰を「こやし」にかふ者、つねに、たえず。小便は桶(をけ)のみにして、みだりに外(そと)へ失(しつ)する事、なし。小便を菜にかふる事は、京と同じ。
井(ゐ)、稀にして、皆、川水をくみて飮(のむ)。
石、自由なるゆゑ、價(あたひ)も安ければ、住居、石を用(もちひ)て造(つくり)たるもの、おほし。
そのほか、諸物のあたひ、江戶にくらぶれば、ことごとく、貴(たか)し。
諸物のあきなひもの、町々に、わかれて有(あり)、江戶をはじめ諸方へ出(いだ)すとひや[やぶちゃん注:「問屋」。]、おほきゆゑ也。
船は、江戶の屋根船の如く成(なる)も、又、二階ある船、まゝあり。大なる船には、殊に、二階を作(つくり)たる、おほし。
「べか車(ぐるま)」とて、くるまのわを、木にて、丸くつくりたる小車(こぐるま)あり。少しのものを、のせて、引(ひき)あるくに、甚(はなはだ)、便利なり。大八車は、すくなく、馬、少(すくな)くして、牛を用(もちひ)て、おほく、用をなす。
[やぶちゃん注:「べか車」は人力台車。detailofmodel氏のブログ「模型の詳細」の「大阪と江戸の荷車の違い」が、模型写真と当時の絵附き解説(「街廼噂」(ちまたのうわさ:戯作者畑銀鶏(はたぎんけい 寛政二(一七九〇)年~明治三(一八七〇)年)の著。畑は上野(こうずけ)七日市藩藩医。天保五(一八三四)年から一年間、大坂に滞在して滑稽本風の風俗書である本書や、人情本「浪花夢」(なにわのゆめ)などを刊行した)があって、大八車との違いや形が視覚的にも理解し易い。当該ウィキによれば、『「ベカ車」の名称が現われるのは、安永年間』(一七七二年~一七八一年)『である』ともあった。]
肴(さかな)は、やはらかに、酒は、からく、醬油は、味、うすし。
たばこは、油、引たる、おほくして、よき品、少(すくな)し。
諸國の米は、輻湊(ふくそう)[やぶちゃん注:方々から集まって来ること。]するゆゑ、米を、もちて、奇貨とす。米商内(こめあきない)よりして暴富(ばうふ)を得たるもの、あり。
人の、ものいひ、やさしきゆゑ、短慮なる人を、見わかたず。
又、綿服(めんふく)を、きるもの、おほきは、商人(あきんど)の常體なるべし。
あきなひの事に、かしこきゆゑに、人々、姦智、おほし、人を欺(あざむく)事を、常とせり。
武家、少(すくな)き故、公邊(こうへん)へ、うとければ、世間の大體(だいたい)を、しらず。
私のみを、いふて、おのづから、義理にかなはぬ事、おほし。
人、禮讓(れいじやう)なく、あぐらかき、疎略(そりやく)をする事を覺えざる[やぶちゃん注:認識しない。気にしない。]は、武家のすくなきゆゑ也。
女は、殊の外、ながき笄(かうがい)をさし、髮の容體、仰山(ぎやうさん)にて、見ぐるしく見ゆる也。
夏・冬、共に、綿帽子を、きる。
夜中にも、女のあるく事を、いとはず、獨(ひとり)あるけども、なぶる人、少(すくな)し。
美婦は、すくなく、大かたは、丸ひたへ[やぶちゃん注:髪の生え際(ぎわ)が丸く剃ったような額。]、生れつきにて、内裏雛(だいりびな)の顏の如し。
たて臼(うす)にて米をつく家、なし。からうす斗(ばか)りを用る也。
藥種は、諸方に、すぐれてあたらしきは、年々、長崎より、先(まづ)、此地にひさぎ、諸方へ賣出(うりいだ)すゆゑ也。
天滿(てんま)はし・天神橋・難波橋(なにはばし)を、大はしとす。百二十間餘(あまり)づつあり、江戶兩國のはしよりは、長かるべし。
[やぶちゃん注:「天滿はし」ここ(グーグル・マップ・データ)。その下流のそれが「天神橋」で、そのまた下流のそれが「難波橋」。]
天滿宮(てんまんぐう)の社、おほき所也。淀川のたよりよきゆゑ、京へ往來する事、鄰(となり)あるきのやうに覺たる所也。
雪駄(せつた)なほしの非人よび聲、つかふとなく[やぶちゃん注:必要でない時でも、しょっちゅう。]聞ゆ。すべて、非人おほき所也。ゑたも、皮をなめしつくる事、妙を得たり。又、「犬とり」といふものあり、箭(や)を負(おひ)、棒を突(つき)て、町中を、あるき、死(しし)たる犬あれば、やがて籠に入(いれ)て去る。蠟燭のたぐひに、獸肉を用(もちゆ)る故、かくの如し。「犬とり」を見れば。群犬、ほゆる事、甚(はなはだ)、さわがし。圍繞(ゐねう)せらるゝ時は、「犬とり」、此棒をもちて、道をひらき通る也。
遊女も、あまたあるゆゑ、ことさらに獨行(ひとりありき)すれども、缺落(かけおち)の氣遣(きづかひ)なきにや、其家(そのいへ)、制せず。旅客、遊女にしたしめば、常に旅館へ來(きた)り、起臥(きが)して、側室の如く馴(なれ)たり。人あやしむ事、なし。町小路の木戶ごとに、觀音・不動・金毘羅神等の像を安置せざる所、すくなし。人家にも、堂を仕(し)つけて、安置し、又、木戶の際(きは)にも小祠をかまへて、まつれり。
橋々は、殘らず、其橋の名を、板に書(かき)て打付(うちつけ)て有(あり)。
帶刀(たいとう)の人を見れば、皆、道を避(さけ)て、甚(はなはだ)、恐る體(てい)也。
常には、物を借(かる)事、心とせず、五節句には、きびしく、かけを、はたる也。
世事、いとま、おほしとみえて、常に、婦人、遊山(ゆさん)に出(いづ)る事、おほし。
女兒は、七、八歲、十二、三歲迄、大かた、切禿(きりかむろ)[やぶちゃん注:「きりかぶろ」とも。頭髪を肩の辺りで、切り揃え、結ばないでいる子ども。所謂「おかっぱ」である。]にて、おく也。
男子は、前髮、すくなし。幼稚より、皆、「やらう」にする也。[やぶちゃん注:「やらう」「野郞」で前髪を剃り落とした若者。一般には一人前になったことのしるしを示す髪型である。]
鴻の池・加島屋・袴屋(はかまや)など、すべて諸大名の仕送りをするもの驕奢(きやうしや)、甚し。人も敬(うやま)ふ事、神の如し。是等の類(るゐ)、海濱へ新地を築出(つきいだ)し、黃金を盡して、大莊(たいさう)なる普請をかまへ、別莊となし、新田(しんでん)等を開き、もちたるもの、多く有(あり)。誠に逸樂の一世界といふべし。
蜜柑・蕪菜(かぶらな)は、大(だい)にして、牛房[やぶちゃん注:「牛蒡(ごばう)」。ゴボウ。]・うどは、細し。其餘(そのよ)、何も菜疏(さいそ)[やぶちゃん注:「蔬菜」。人が副食物とする草本作物の総称。]のものは、和(やはらか)なる事、江戶に、こえたり。