南方熊楠「守宮もて女の貞を試む」(正規表現版・オリジナル詳細注附き)
[やぶちゃん注:本稿は南方熊楠が出版を企図していた『續々南方隨筆』の原稿として書かれたものであるが、結局、未発表に終わった。ちなみに『續南方隨筆』の刊行は大正一五・昭和元(一九二六)年十一月で、南方熊楠の逝去は昭和一六(一九四一)年十二月二十九日である。但し、『南方閑話』(一九二六年二月)・『南方隨筆』(同年五月)、『續南方隨筆』と、この時期の出版は矢継ぎ早であることから、かなり早い時期から書き溜めていたと考えてよいと思われる。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『南方熊楠全集』の「第七卷文集第Ⅲ」(澁沢敬三編・一九五二年乾元社刊)のここ以下にある当該論考を用いた。戦後の出版であるが、正字正仮名である。書名・引用等は傍点「丶」は下線に代えた。なお、これは底本では「動物隨筆」という大パートの中の一篇である。また、本作をお読みになった方は、私の電子テクストである寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」の「蠑螈」(イモリ)・「守宮」(ヤモリ)・「避役」(インドシナウォータードラゴン)の部分等も、併せてお読みになることを、是非、お薦めする。
底本には、ごく僅かしかルビがないが、若い読者のために、ストイックに《 》で推定の読みを歴史的仮名遣で添えた。一部は所持する平凡社『南方熊楠選集』第五巻に添えられたルビを参考にした。また、書名・雑誌名・引用・直接話法部分等には鍵括弧・二重鍵括弧を附した。その関係上もあって、一部に句点を補塡してある。傍点「◦」は下線に代えた。漢文部分は直後に私がよしとする訓読文(熊楠の訓点にはやや不審があるので、必ずしも従ってはいない)を〔 〕で補った。そこでは私の判断で一部に歴史的仮名遣で読みを添えてある。
実は、私は、二〇〇八年五月四日に、一九八五年平凡社刊「南方熊楠選集 第五巻 続々南方随筆」を底本としたサイト版「守宮もて女の貞を試む 南方熊楠」を公開しているが、今回は零からやり直した。されば、これが決定版になる。]
守宮もて女の貞を試む
「古今圖書集成」、「禽蟲典」一八四に、「淮南萬畢術」を引いて云《いは》く、『七月七日、採リ二守宮ヲ一、陰ニ乾カシㇾ之ヲ、合ハスニ以シ二井華水ヲ一、和テ女身ニ塗リ、有リ二文章一、即チ以テㇾ丹ヲ塗リㇾ之ニ、不ルㇾ去ラ者ハ淫セ、去ル者ハ有ㇾ奸。』〔『七月七日、守宮(しゆきゆう)を採り、陰に之れを乾(かは)かし、合(あ)はすに井華水(せいくわすい)を以つてし、和(あ)へて、女身に塗り、文章(もやう)有り、即ち、丹(に)を以つて之れに塗り、去(さ)らざる者は淫ざる。去る者は、奸(かん)有り。』と。〕。晉の張華の「博物志」四には、『蜥蜴、或ハ曰フ二蝘蜓ト一。以テㇾ器ヲ養フニ以テスレハ二朱砂ヲ一、體盡ク赤シ、所ㇾ食フ滿チ二七斤ニ一、治擣スルコト萬許。點スレハ二女人ノ支體ニ一、終年不ㇾ滅セ、唯タ房室ノ事ニハ則滅ス、故ニ「守宮」ト號ス。傳ニ曰ク、『東方朔語ル二漢ノ武帝ニ一、「試ミルニㇾ之ヲ有リㇾ驗。」。』〔蜥蜴(せきえき)、或るいは、蝘蜓(えんてい)と曰ふ。器(うつは)を以つて養ふに、朱砂(しゆさ)以つてすれば、體(からだ)、盡(ことご)く赤し。食ふ所(ところ)七斤に滿ち、治(をさ)め擣(つく)すること萬(まん)許(ばかり)。女人(によにん)の支體(したい)に點(てん)ずれば、終年、滅(めつ)せず。唯(た)だ、房室の事には、則ち、滅す。故に「守宮」と號す。傳(でん)に曰(いは)く、『東方朔、漢の武帝に語るに、「之れを試みるに、驗(しるし)、有り。」と。』と。〕。「本草綱目」四三と本邦本草諸家の說を合せ考ふるに、大抵「蜥蜴」はトカゲ、「蝘蜓」はヤモリらしいが、古人は之を混同して、何れも又「守宮」と名づけたらしく、件(くだん)の試驗法に、何れか一つ用ひたか、兩《ふた》つともに用ひたか分らぬ。李時珍が『點スルㇾ臂ニ之說、「淮南萬畢術」、張華「博物志」、彭乘「墨客揮犀」に、皆有リ二其法一、大抵不ㇾ眞ナラ、恐クハ別ニ有ランㇾ術、今不ㇾ傳ハラ。』〔『臂(ひぢ)に點(てん)ずるの說、「淮南萬畢術」、張華「博物志」、彭乘「墨客揮犀《ぼくかくきさい》」に、皆、其の法(はう)、有り。大抵、眞(しん)ならず。恐くは、別に術(じゆつ)、有らん。今、傳はらず。』〕と云《いへ》る如し。「墨客揮犀」には、北宋の煕寧中《きねいちゆう》、京師久しく旱《ひで》りしに、舊法により雨を禱《いの》るとて、蜥蜴を水に泛《うか》べる積りで、蠍虎《けつこ》(乃《すなわ》ち蝘蜓)を用ひ、水に入《いる》ると死んで了つたので、何の効も無《なか》つたと記す。事の次第を按ずるに、北宋朝に京師で蜥蜴と名《なづ》けたは、トカゲに非ず、水陸兩棲のヰモリだつたのだ。かくトカゲ、ヤモリ、ヰモリを混じて同名で呼《よん》だから、昔し女の貞不貞を試みた守宮は何であつたか全く判らぬ。
[やぶちゃん注:「古今圖書集成」清代(十八世紀)の類書(百科事典)。現存する類書としては中国史上最大で、巻数一万巻。正式名称は「欽定古今圖書集成」。「維基文庫」のここ(「博物彙編 第一百八十四卷」)で、当該原文の電子化されたものを視認出来る。標題は『淮南畢萬術』の『守二則』。上記引用部の後に、
*
守宮塗臍婦人無子,取守宮一枚,置甕中,及蛇衣,以 新布密裹之,懸於陰處百日。治守宮蛇衣等分,以唾 和之,塗婦人臍,磨令溫,即無子矣。
*
とあった。
「淮南萬畢術」(わいなんばんひつじゅつ)は前漢の第五代文帝期(在位の始めは紀元前一八〇年)から武帝期(在位の終りは紀元前八七年)にかけて生きた淮南王劉安(紀元前一七九年~紀元前一二二年)が、全国の学者や方士(=道士)を招致して編纂した神仙方術書。彼は思想書「淮南子」(本邦では何故か、古くから、この書名をのみ「えなんじ」と読む)の作者として、とみに知られる。
「井華水」丑の刻に井戸から汲み上げた水。現在の茶の湯でも、この水を一陽来福の水と称して用いる。
『張華「博物志」』三国時代の魏から西晋にかけての政治家で文人の張華(二三二年~三〇〇年)が書いた幻想的博物誌にして奇聞伝説集。全十巻。「維基文庫」の電子化物で探したが、見当たらない。但し、同書の原本はもっと内容が多かった(一説に四百巻あったものを武帝が削除を命じたとも言う)ともされる。フレーズ検索を続けたところ、「国立公文書館デジタルアーカイブ」の「庶物類纂」の「蛇類屬 自十三至十四」(PDF)の9コマ目に発見出来た。
『彭乘「墨客揮犀」』北宋の彭乗の撰。宋代の遺聞逸事及び詩話文評などを記したもの。中国の方のブログ「風中的貓咪」の「墨客揮犀 - 蜥蜴祈雨」の冒頭に原文が載る。
「北宋の煕寧」神宗の治世で用いられた元号で、一〇六八年から一〇七七年まで。]
「塵添壒囊抄《ぢんてんあいなうしやう》」八に、『「ゐもりのしるし」と云《いふ》は何事ぞ。是れ和漢共に沙汰ある事也、「いもり[やぶちゃん注:ママ。後掲する板本も同じ。]」とは「守宮《しゆぐう》」共《とも》書けり。「法華經」にも侍り(熊楠按ずるに、「法華經」「譬喩品《ひゆぼん》三」に、長者の大宅頓弊《とんぺい》[やぶちゃん注:衰え廃(すた)れること。]せるを記して、「鴟梟、鵰鷲、守宮、百足等、交橫馳走す」とあるを指す。)其本《そのもと》の名は蜥蜴《せきえき》也。是《この》血を取《とり》て、宮人の臂等にぬる事あり。其法取リ二蜥蜴ヲ一、飼フニ以テシ二丹砂ヲ一、體悉ク赤キ時、搗キㇾ之ヲ、〔其の法、蜥蜴を取り、飼ふに丹砂を以てし、體(からだ)、悉(ことごと)く赤き時、之れを搗(つ)き、〕其血を官女の臂に塗るに、いかに洗ひ拭へ共《ども》、更に落《おつ》る事なし、然共有レハ二浮犯一、〔然(しか)れども、浮犯(ふはん)有れば、〕其血則ち消失する也、此を以て敢《あへ》て不調の儀なし、仍《よつ》て守宮とはいふ也。去は[やぶちゃん注:「されば」。]古詩にも、「臂上守宮何ノ日ニカ消エン、鹿葱花落チ、淚如シㇾ雨ノ」と云《いへ》り。鹿葱《ろくそう》は宜男草《ぎなんさう》なり。去は[やぶちゃん注:同前。]又和語(歌?)にも、「脫ぐ履《くつ》のかさなることの重《かさ》なれば、守宮《ゐもり》のしるし、今はあらじな。」。「ぬぐ履の重なることの重なれば」とは、人の妻のみそかごとする節《をり》に、著けたる履の自《おのづか》ら重なりて脫置《ぬぎおか》るゝ事有《あり》と云《いふ》也。「忘るなよたぶさに付《つき》し蟲の色の、あせては人に如何《いかが》答へん。」。是は其驗《しる》しあせぬべければ難シㇾ合ヒ〔合(あ)ひ難(がた)し〕と云《いへ》る也。此返歌に曰く、「あせずとも、われぬりかへんもろこしの、守宮の守る限りこそあれ。」。』、と出づ。古歌にもろこしのいもり[やぶちゃん注:ママ。]とあるので、守宮もて女人の貞操を試《ため》したことは古く日本に無《なかつ》たと知る。然るにどう間違つたものか、いつの頃よりか、水中のヰモリが雌雄中《なか》よく、交《まじは》れば離れぬとかで、其黑燒きを振懸《ふりかけ》れば、懸られた男又女が、忽ち振かけた女又男に熱く成《なつ》てくるといふ事が、淨瑠璃など(例せば「朝顏日記」)に著はれ出た。然しこれは守宮で女の貞不貞を試すと全く關係なく、古來日本に限った俗信とみえる。序(つい)でにいふ、蜥蜴類で埃及《エジプト》とサハラの沙中にすむスキンクスは、古く催淫劑として著名なと同時に、其羹(あつもの)を蜜と共に啜《すす》れば、折角起《おこつ》た物も忽ち痿了《いえをは》る由。「淮南萬畢術」に、守宮を婦人の臍《へそ》に塗れば子《こ》無《なか》らしむ、とあるも似た事だ。支那の廣西橫州に蛤蚧《かふかい》多し。牝牡上下し相呼ぶこと累日《るゐじつ》、情《じやう》洽《あまね》くして乃《すなは》ち交はる、兩《ふたつ》ながら相抱負して自《みづか》ら地に墮つ。人往《ゆき》て之を捕うるも亦知覺せず。手を以て分劈《ぶんへき》[やぶちゃん注:交合した二個体を縦に立ち割るの意であろう。]するに死すと雖も開かず、乃《すなは》ち(中略)[やぶちゃん注:丸括弧は底本にはないが、躓くので特異的に挿入した。]、曝乾《さらしほし》して之を售《う》り、煉《ねつ》て房中の藥となし、甚だ効ありといふ。是は學名を何という蜥蜴か知《しら》ぬが、昔しは雌雄相抱《いだ》いた儘《まま》紅絲《べにいと》で縛り、源左衞門が非道のやいば、重ね切りの代りに重ねぼしと、乾かして本邦へも舶來したといふ。(一九二〇年三板、「劍橋《ケンブリッジ》動物學」八卷五六一頁。プリニウス「博物志」二八卷三〇章。「本草綱目」四三。「重訂本草啓蒙」三九。)。
[やぶちゃん注:「塵添壒囊抄」先行する原「壒囊抄」は室町時代の僧行誉の作になる類書(百科事典)。全七巻。文安二(一四四五)年に、巻一から四の「素問」(一般な命題)の部が、翌年に巻五から七の「緇問(しもん)」(仏教に関わる命題)の部が成った。初学者のために事物の起源・語源・語義などを、問答形式で五百三十六条に亙って説明したもので、「壒」は「塵(ちり)」の意で、同じ性格を持った先行書「塵袋(ちりぶくろ)」(編者不詳で鎌倉中期の成立。全十一巻)に内容も書名も範を採っている。これに「塵袋」から二百一条を抜粋し、オリジナルの「囊鈔」と合わせて、七百三十七条としたのが、「塵添壒囊抄」(じんてんあいのうしょう)全二十巻である。編者は不詳で、享禄五・天文元(一五三二)年成立で、近世に於いて、ただ「壒囊鈔」と言った場合は、後者(本書)を指す。中世風俗や当時の言語を知る上で有益とされる(以上は概ね「日本大百科全書」に拠った)。南方熊楠御用達の書である。「日本古典籍ビューア」のここ(第八巻の「二十一」「守宮驗事(ヰモリノノシルシノコト)【付本名事 詩歌作倒事】」で当該部が視認出来る。熊楠の引用部は、版本が異なるのか、或いは、熊楠が読み易く改変しているものか、やや表現に異同があるが、叙述全般には問題はない。
「法華經」「譬喩品三」「法華経」の第三。「三車火宅(さんしやくわたく)」「火宅」は三界(衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界を欲界・色界・無色界の三つに分けた世界。「三有」(さんう)とも言う)の喩え。ある長者が、火の燃えさかる家から三人の子どもを助け出すために、それぞれが好む羊車・鹿車・牛車を与えようと約束し、逃げ出して来た後、それぞれに大白牛車を与えた、という話。羊・鹿・牛の三車、すなわち声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩の「三乗」の教えによって、火に包まれる家にも等しい三界から、仏が衆生を導き出そうとしたことを指す)の譬(たと)えで知られる。サイト「近松門左衛門と広済寺」の「妙法蓮華経譬諭品第三」他で確認したが、「鴟梟、鵰鷲、守宮、百足等、交橫馳走す:(しきゅう、ちょうしゅう、しゅきゅう、ひゃくそくら、こうおうちそうす:現代仮名遣)と読むものと思われるが、「法華経」の「譬喩品」の本文とはちょっと異なっている。正しくは「鵄梟鵰鷲 烏鵲鳩鴿 蚖蛇蝮蠍 蜈蚣蚰蜒 守宮百足 鼬貍鼷鼠 諸惡蟲輩 交橫馳走」で、」『その古び朽ちた長者の家には、鳶(とび)・梟・熊鷹・鷲・鴉・鵲(かささぎ)・山鳩・家鳩・蜥蜴・蝮・蠍・百足・蚰蜒(げじ)・守宮・馬陸(やすで)・鼬(いたち)・狸・鼷鼠(はつかねずみ)といった、あらゆる害毒を持った生き物どもが住み着き、傍若無人・縦横無尽に走り回っている。』という意味である。
「宜男草」甘草(カンゾウ)のこと。単子葉植物綱ユリ亜綱ユリ目ユリ科ワスレグサ属 Hemerocallis のヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso 、又は、ノカンゾウ Hemerocallis fulva var. longituba を指していよう。
「脫ぐ履のかさなることの重なれば、守宮のしるし、今はあらじな。」「忘るなよたぶさに付し蟲の色の、あせては人に如何答へん。」最初の和歌は延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」の「卷三十二」「雑十四」に「読人不知」で所収するが、この二つの和歌は、それよりも前の平安末期、文治年間(一一八五年~一一九〇年)に歌僧顕昭が撰した歌学書「袖中抄」(しゅうちゅうしょう)の「六」に所収する。但し、やや表記に異同があるので、以下に示す(「GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは」の以下のページから孫引きさせてもらった)。
*
ぬぐくつのかさなることのかさなれば ゐもりのしるし今はあらじな
*
忘るなよたぶさにつけし虫の色の あせなば人にいかにこたへむ
返し
あせぬとも我ぬりかへむもろこしの ゐもりもまもるかぎりこそあれ
*
「朝顔日記」 正しくは「生寫朝顏話」(現代仮名遣「しょううつしあさがおばなし」)。司馬芝叟(しばしそう)の長咄(ながばなし:小説)の「蕣」(あさがお)を元に、奈河春助(ながははるすけ)が「けいせい筑紫のつまごと」という歌舞伎台本に改作、それを近松徳三が浄瑠璃化したものであるが、未完成で、それを翠松園主人なる人物が完成させたとする。初演は天保三(一八三二)年(以上は河原久雄氏の「人形浄瑠璃 文楽」の「生写朝顔話」の記載を参照して簡約した。当該サイトはリンクの通知を要求しているのでリンクは貼らない)。
「スキンクス」トカゲ亜目スキンク下目Scincidae科 Scincus 属クスリサンドスキンク Scincus scincus か。和名が如何にもではある。英文の同種のページがある。但し、『アルジェリア発祥の 十三世紀のイスラム神話の中で、小さいながらも、重要な役割を果たしている。今日に至るまで、この地域の遊牧部族は、このトカゲが、砂に潜って天敵を避ける能力を持っており、砂漠の危険から身を守ってくれる恩恵の賜物と信じており、この動物をペットとして飼うことが多い』とあるばかりで、催淫剤の話は載らない。他の言語の記載も見たが、ない。この種ではないのかも知れない。
「源左衞門」「與話情浮名橫櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)は歌舞伎の演目。嘉永六(一八五三)年五月、江戸中村座初演。九幕十八場。三代目瀬川如皐(じょこう)作。通称の「切られ与三」・「お富与三郎」・「源氏店(げんやだな)」の通称の方が通りがいい。その登場人物地元の親分で、お富を妾にしていた親分が赤間源左衛門。冒頭、彼に与三郎は彼と子分どもに滅多斬りされる。
『一九二〇年三板、「劍橋動物學」八卷五六一頁』原書に当たれなかった。
『プリニウス「博物志」二八卷三〇章』プリニウス『博物志』二八巻三〇章:以下に所持する一九八九年雄山閣刊の「プリニウスの博物誌Ⅲ」(中野定雄他訳)より、当該箇所を引用する。
《引用開始》
スキンクから四種[やぶちゃん字注:次の「三〇」の上には節の通し番号の[119]がある。また(注1)は訳者によるもの。]
三〇 それに[やぶちゃん注:この部分の前掲二九章の薬物の得られるカメレオン十五種を指す。]似た動物はスキンクスそれに似た動物はスキンクス(注1)である――そして実際それは陸のワニと呼ばれた――しかしそれはもっと色が薄く、皮も薄い。だがワニとのおもな違いは鱗の並び方であって、これは鱗が尾から頭の方へと向っている。インドのスキンクスがいちばん大きく、アラビアのそれが次に大きい。これを塩づけにして輸入する。その鼻面と足を白ブドウ酒に入れて飲むと催淫剤になる。とくにサテユリオン<ランの一種>およびカキネガラシの種子を加えたものがよいが、この三つを合せて一ドラクマとコショウ二ドラクマを調合する。この調合物の一ドラクマの丸薬を内服[やぶちゃん字注:ここの頭に節の通し番号[120]が入る。]する。脇腹の肉だけの二オボルスに、没薬およびコショウを同じ割合だけ加え内服すると、同じ目的に対してさらに有効だと信じられている。アベレスの報告によれば、それを負傷の前または後に用いると矢の毒に効くという。それはまた、もっと有名な解毒剤の成分として加えられる。セクスティウスは、重さ一ドラクマ以上を一へミナのブドウ酒に入れて飲めば、それは致死量だと、そしてさらにスキンクスのスープをハチ蜜といっしょに摂ると制淫剤なると言っている。
注1 トカゲの一種。現存のスキンク(トカゲ)でなく、もっと大きい。
《引用終了》
『「本草綱目」四三』「漢籍リポジトリ」の同書同巻の「蛤蚧」が当該部。ガイド・ナンバー[102-18a] にある「蛤蚧」を見られたい。影印本画像も見られる。
『「重訂本草啓蒙」三九』国立国会図書館デジタルコレクションの「重訂本草綱目啓蒙」(弘化四(一八四七)板本)ここの「守宮」の次の「蛤蚧」の方を参照されたい。]
誠や老《おい》たるも若きも、後家も比丘尼も、此迷ひの一《いつ》ぞ忘れ難きで、小生などは、早七十近い頽齡を以てしてなほ、この文を草する内すら、名刀躍脫、さやつかのまも油斷成《なら》ず。ヰモリの黑燒など何のあてに成ぬ物が、年々此迷ひの殊に盛んな歐米へ數萬圓の輸出あり、大分國益となると聞《きけ》ば、件(くだん)の蛤蚧も早く臺灣邊へ移し入《いれ》て養成したらよかろう。榕樹《ようじゆ》間に住む物の由。
[やぶちゃん注:「榕樹」イラクサ目クワ科イチジク属ガジュマル Ficus microcarpa のこと。]
守宮で女の貞否を驗するに似た事、支那以外にも多い。其一例は、一九〇六年板、デンネットの「黑人の心裏」八九頁に、レムべてふ腕環を佩《おび》て嫁した人妻をンカシ、レムべと呼び、其夫の凡ての守護尊の番人たり、斯《かか》る婦人が「伊勢の留守、天の岩戶をあけ放し」、鬼の不在に洗濯をさせると、夫が歸り來て、婚儀の守りとした品々を入れ置いた籃《かご》を開けば、悉くぬれている[やぶちゃん注:ママ。]ので、扨《さて》は嚴閉《がんぺい》し置《おか》れ乍ら、鬱情勃發して誰かを引き入れ、ぬれ事をしたと判ずとある。
[やぶちゃん注:『一九〇六年板、デンネットの「黑人の心裏」八九頁』ちょっと疲れたので、調べる気にならない。悪しからず。]
昭和七年[やぶちゃん注:一九三二年。]一月二十八日追記。バープ・サラト・カンドラ・ミトラ氏說に、アフガニスタンとベルチスタンではトカゲを壯陽劑とし、此印度[やぶちゃん注:ママ。筑摩版『選集』では『北インド』である。誤植であろう。]の沙地にすむトカゲの一種ウロマチスク・ハルドウヰキイは陰萎の妙藥と信ぜらる。又印度の或土人はトカゲの油を催淫劑とすと(一八九八年發行『ベンゴル亞細亞協會雜誌』六七卷三部一號、四四―四五頁)。
[やぶちゃん注:「ベルチスタン」バルチスタンとも呼ぶ。パキスタン南西部の地方(グーグル・マップ・データ)。広くはイラン南東部からアフガニスタン南部を含む。イラン高原の南東部を占め、一般に大陸性の乾燥気候を呈する。イラン系バルチ族などが遊牧生活を営む。]
« 不審な事件(あなたも巻き込まれる可能性大) | トップページ | 譚海 卷之六 淡路國住人森五郞兵衞海上無難に渡る事 附長州家士村上掃部淨沓家藏の事 »