譚海 卷之八 備前國洞穴鍾乳の事
[やぶちゃん注:先行する「譚海 卷之二 信州戶隱明神奧院の事」の本文及び私の注を参照されたい。]
○信州、戶隱山、奥の院、九頭龍權現の洞穴も、其ふかき事を、しらず。
天台宗にて、其僧、相詰(あひつめ)て、日々、寅の刻に御供(ごくう)を備ふ。
洞(ほら)の中(うち)へ入(いる)事、三町ほどにして、供物を備ふる所、杭を四本うちて、其上へ供物を箱に入(いれ)たるまゝに置(おき)て、跡じさりして、洞の口まで出歸(いでかへる)、とぞ。
若き僧ならでは、勤(つとま)りがたし。
權現の御心(みこころ)に叶(かなひ)たる僧は、年へても、つとむる者、おほし。又、暫時、つとめて、退(しりぞ)く者も、おほし。
供物は、箱の内にて、日々、うする事なり。又、幾日も、箱のうちにあるまゝにて、ある事も、有(あり)。
是も、
「不思議。」
とし、且(かつ)、權現の御きげんよき、あしきを、うらなふ便(たより)とす。
洞穴より、本社の戶隱明神までは、三十二町[やぶちゃん注:約三・四九一キロメートル。]、有(あり)。
「信州の六兵衞と云(いふ)者、信心にて、近來(ちかごろ)、石碑を道じるしに建(たて)て、三十二町を二十町にさだめたり。」
といふ。
「九頭龍權現は白蛇にてまします。」
よし。
「本地(ほんぢ)は辨才天。」
と、いへり。
洞穴の前に拜殿あり。拜殿より、ほらの口までは、よほど高き所なるに、廊下をつくりそへて、通行するやうにせしなり。
山中、冬は至(いたつ)て、雪、深ければ、「雪なで」とて、雪の絕頂より、くづれおつるにおされて、人家、多く、そこなはるゝゆゑ、大盤石(だいばんじやく)の本(もと)を楯(たて)にとりて、盤石より、庇(ひさし)をかけたして、その下に、冬・春までは住居(すまい)する事なり。「雪なで」、くづれ落(おち)ても、盤石にさゝへて、住居のおしうたれぬやうに、かまへたること、とぞ。