譚海 卷之九 京都婦人用意ふかき事
○京都の町人何がしの妻、緣付(えんづき)て、七、八年にもいたり、子供も、壹人、出生(しゆつしやう)せしに、此子、五、六歲の比(ころ)、母の乳(ち)をふくみながら、手すさみに、母の鬢(びん)の毛を引(ひき)たれば、あやまたず、引おとしぬ。
元來、此妻女、びんの毛、かたがた、はげてなきを、かづらを付(つけ)て、まことに、鬢のあるごとく、つくろひたるなり。
それを、七、八年の際、夫(をつと)にも、しられず、かくしとげたるに、おもひがけず、小兒に引とられて、大(おほい)に恥らひ、赤面に及び、夫も、はじめて、妻の鬢の、はげたる事をしりて、驚(おどろき)たり、とぞ。
すべて、京都の女は、たしなみ深く、朝(あした)に起き出(いづ)る時、いつも、鬢のそそげたるをみたる事、なし。女の寢起(ねおき)の顏、人に、みする事、なし、とぞ。起出(おきで)んとする時、先(まづ)、閨(ねや)にて、あらかじめ、髮、なで、そゝげ、つくろひて後、扨(さて)、厠(かはや)へも行(ゆく)事、とぞ。
「大かた、京都の下女は、臺所の業(なりはひ)、終りて、人、しづまりて後、あんどうに、むかひ、燈心一すぢの光りにて、髮ゆふてのち、いぬるなり。朝に、髮ゆふ事、なし。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:本篇は、人体の欠損(法的には髪は「人体」であり、本人の意向を聞かずに切った場合、立派な「傷害罪」となる)という点で、前話の「入眼入鼻の事」と確信犯の連関性が認められる。]