譚海 卷之八 備中國大島の山中貝石の事
○備中、大島と云(いふ)山中(さんちゆう)、谷の石、ことごとく、「しのぶずり」に用(もちひ)る石にて、其紋、あざやかにあり。古來、人、知る事なかりしが、近年、はじめて見出(みいだ)したる、とぞ。
石の色は靑石(あをいし)なり。
又、同所、白地と云(いふ)山中より、「貝石(かひいし)」とて、貝の付(つき)たる石を出す。
冷泉殿門人、現(げん)に掘(ほり)て、京都へ、まゐらせければ、爲泰卿、御歌(ぎよか)を給はせけり。
海遠き山にありとて貝石の
鹽(しほ)じまぬさまを見るもめづらし
[やぶちゃん注:「大島と云山中」岡山県笠岡市大島中(おおしまなか)にある御嶽山(みたけやま:グーグル・マップ・データ。以下同じ)のことか? 但し、ここで「靑石」が採掘された(される)という事実はネット上では見当たらない。さらに不審なのは、標題と、後半の頭の「同所」である。同じ備中なら、「同國」とするだろう。しかも、「同所」は前のロケーションの近くであることを意味する。後の注を見て貰いたいが、かなり苦労したものの、後者のロケーションは、ほぼ確定出来たと考えている。私はそちらの周辺にある山で、例によって聴き書きの津村が山の名を誤った可能性が窺えるのである。
「しのぶずり」「忍摺・信夫摺」。大きな石の上に布を広げ、その上に: シダ植物門シダ綱ウラボシ目ウラボシ科 Polypodiaceaeの歯朶(しだ)の葉をのせ、上から叩いて、その葉の汁を布に染めつけていくもの。その模様の乱れた形状から、「しのぶもじずり」とも言う。古来のそれは、かなり前に廃れており、ネットにはまことしやかに種名を挙げているものもあるが、使用した植物種を限定することは、実際には出来ないようである。要は広汎に種々の草木染めの古式の名ととっておけばよいだろう。
「白地」不詳とする予定だったが、一つ思ったのは、蛍の町として記憶がある、岡山県高梁(たかはし)市落合町福地(しろち)であった。そこで調べてみたら、サイト「ソトコト」の『「福地」って“ふくち”じゃないの?! 岡山県高梁市にある蛍のまち。地名に込められた願いとは』に、『高梁市が発行している「広報たかはし」579号によると、戦国時代頃の表記は「白地」で、地名の由来はこの地域で白い土が多く出ていたこと。江戸時代の文献にも「白地」に「しろち」という振り仮名がふられているのだとか。しかし、のちに洪水が起こったことから、「福」という良い字で書くことになったという言い伝えがあるという。全国でも珍しい読み方には、先人たちの「災害が起こらないように」との願いが込められたのかもしれない』とあった。さらに、先の地図を再度見られたい。同地区の西に接する高梁市成羽町(なりはちょう)成羽に、「成羽の化石層」があるのである。サイド・パネルの説明版画像を見られたいが、そこに『成羽層群は貝化石を産出することで知られています』とあるのである。ここと断定してよいだろう。
「爲泰」冷泉為泰(れいぜいためやす 享保二〇(一七三六)年~文化一三(一八一六)年)は公卿・歌人。上冷泉家で冷泉為村の子。門人に、かの屋代弘賢らがいる。歌集に「三代十百首」等がある。]