譚海 卷之七 京都六月十九日座頭納涼の事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。国立国会図書館本のそれが正しい。
なお、この前に配された長い話である「譚海 卷之七 武州熊谷農夫妻の事」は、既にフライング公開してある。]
○京都座頭の涼みは、四條淸凉院(せいりやうゐん)にて、あり。
每年六月十九日、檢校(けんげう)・勾當(こうたう)、在京の限(かぎり)、三、四十輩、會集(かいしゆ)するなり。
床の間に、琵琶、三面を飾る。一(ひとつ)は「靑山(せいざん)」、その餘(よ)は名を忘(わすれ)たり。いづれも、重代の名器なり。
その前に、壺に酒を入(いれ)て供(きやう)す。「太平の壺」と號す。東照宮より賜りたる壺なり。職(しよく)の檢校、侍者を呼(よん)で、
「『太平の壺』を、ひらきまうせ。」
と云(いふ)。
侍者、卽(すなはち)、床(ゆか)に就(つい)て、壺をおろし、銚子に、うつし、宴(うたげ)を、もよほす。
同じく、答ふるに、
「『太平のつぼ』を、ひらきまゐらす。」
といふを以(もつて)す。
故事なり。
扨(さて)、職の檢校、「開口(かいこう)」といふ物を、唱ふ。みじかき章(しやう)なり。
章、終れば、一座の座頭、
「よいちや、よいちや。」
と、ほむる事なり。
其後(そののち)、勾當をして、「平家」をうたはしむること、琵琶にあはせて、三曲、有(あり)て、事、終(をはる)。
此宴席、數(す)十金の費用に及(およぶ)事なり。
每年、恆例にして、絕(たゆ)る事、なし、とぞ。
[やぶちゃん注:「京都座頭の涼み」底本には竹内利美氏の後注があり、『盲人の当道座の行事として、職祖[やぶちゃん注:「しょくそ」。]天夜王子(尊)[やぶちゃん注:「尊」で「あまよのみこと」と読む。]を追福するため、毎年二月十六日在京の検校・勾当・座頭が集って四条河原に積石供養し、また高倉清聚庵[やぶちゃん注:「たかくらせいじゅあん」。京都高倉綾小路にあった、歴代の惣検校の霊を祀った寺。]で平家を語って法会をおこなった(積塔会[やぶちゃん注:「しやくたふゑ(しゃくとうえ)」と読む。])。さらに、毎年六月にも、「座頭の涼み」として同様の法会がおこなわれてきた。その模様をここには伝えている』とあった。
「檢校・勾當」視覚障碍者の上位官位である「盲官」のトップとナンバー・ツー。その下には勾当・座頭などの位階がくる。これを当道制(度)と言う。
「靑山」琵琶の名称。唐(とう)から伝来した名器で、平経正が琵琶の名手であったので、仁和寺の守覚法親王から、一時、下賜されたとされ、「平家物語」の「卷第七」の「經正都落」でその「靑山」を返すシークエンスがある。
「太平の壺」不詳。現存しないようである。
「開口」近世、幕府の大礼能や、本願寺の礼能などの儀式的な演能に於いて、脇能の初めに、ワキの役が新作の祝賀の文句を謡うこと。また、その謡(うたい)を指す 。
「よいちや」「太平の壺」は、本来は茶壺なのであろう。]