譚海 卷之六 京都の貧窮の妻狐に托せし事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。「托せし」は「たくせし」徒しか読めないが、憑依したことを言う。なお、底本の「目錄」では、標題の順序がおかしい。国立国会図書館蔵本で訂した。]
○京都の貧窮の者の妻に、狐、托しけるに、其夫、是を、
『幸(さいはひ)なる事。』
と、おもひて、日々饗膳を求め、典物を盡(つく)して、美味を調(ととの)へ、奔走しけり。
日數(ひかず)ありて、此狐、その夫に、いひけるは、
「いかなる譯(わけ)にて、日々、かやうには、馳走ある事にや。日比(ひごろ)、家内のやうすを見るに、殊外(ことのほか)、貧乏にて、質物(しちもの)なども、なきほどのくらしなるに、甚(はなはだ)、ふしんなり。」
と云(いふ)。
其時、此夫、
「されば、我等、御覽のごとく、如何成(なる)不仕合(ふしあはせ)にや、從來、赤貧にして、心にまかす事、なし。然るに、足下の、我等妻に托せられし事、甚(はなはだ)、幸成(なる)事と存ずれば、かく、質物を盡して、日々、馳走し參(まゐら)する也。其故(ゆゑ)は、『狐は福をあたへらるゝ』と申(まふし)たる事なれば、定(さだめ)て、かく、御出(おいで)あるうへからは、福[やぶちゃん注:底本では編者訂正注が『(富)』とある。]を授(さづく)るべし。此末、御影(おかげ)にて、福、有(ある)に罷成(まかりなり)、是迄の難儀をも忘(わすれ)たく存ずる故也。」
と、いへば、狐、甚(はなはだ)、迷惑のやうすにて、
「左樣の次第を承るにつけては、我等、一日(いちにち)も此處(ここ)にありがたし。只今、爰(ここ)を立去(たちさり)、何方(いづかた)へも參るべし。」
と、いへば、夫、甚、驚入(おどろきいり)て、
「折角、是迄、御馳走申せし志(こころざし)をも顧(かへりみる)なく、我等を捨て、立退(たちのき)給ふべしとは、情(なさけ)なき事、とかく、いつまでも、我等かたに逗留ありて、心おきなくおはすべし。我等も足下に捨られては、是迄、賴(たのみ)たてまつる福も得まじければ、難儀、此一時に侍(はべり)。」
とて、達(たつ)て、とゞめければ、狐、又、申けるは、
「それは、人間の了簡にて、我等中間(われらうちのあひだ)の事は存ぜられぬ故也。我等が同志の内にも、福を人にあたふる狐もあり、又、さる事なし得がたきものも有(あり)。我等は、『のら狐』にて、人に福をあたふる事、成(なし)がたし。然しながら、數日(すじつ)かやうに馳走にも預りし事なれば、此一禮には、福を授る狐と入(いれ)かはり、其元(そこもと)、願(ねがひ)のごとくに致べし。」
と、いひければ、此夫、いよいよ疑(うたがひ)を起(おこ)し、
「仰(おほせ)らるゝ事、尤(もつとも)には聞え候得共(さふらえども)、足下、爰(ここ)を立退(たちのか)れ、萬一、替りの狐、來らざる時は、我等、是迄の物入(ものいり)も、つぐなふべきやう、なく、身上(しんしやう)も立所(たちどころ)につぶれ申せば、願くば、其福を授くる狐を爰へ呼寄(よびよせ)られ、卽刻に、入代(いれかは)り給(たまは)れ。」
と、いへば、狐も、理に折れて、
「先(まづ)、よく、思案致すべし。」
とて、一日ありて、又、狐、夫にいひけるは、
「餘(あまり)に申さるゝ所、深切に候まゝ、昨夜、他所(よそ)の仲間の狐へ相賴(あひたのみ)、入替りくれらるゝやうに相談せしかば、得心なれば、我等、只今、罷歸(まかりかへ)るべし。さらば、右の仲間の者、入代りて、いかやうにも、其元へ、福をあたふるやうに致(いたす)べし。」
と、いへば、夫は、
「昨日も申せし如く、もし僞(いつはり)に相成(あひなり)ては、我等、此上の迷惑なれば、是非に入代るべき狐を同道ありて、願(ねがひ)の如く致さるべし。」
と、いふ。
狐、
「いやいや、人の骸(むくろ)は一つなれば、二つ、狐、卽時に入替る事は成(なり)がたし。殊に、人に托するには、先(まづ)、我等が骸を、よきやうに隱し置(おき)て後(のち)、さる事にあるわざなれば、卽時には成(なし)がたし。是迄、馳走に罷成たる一禮も有(あり)、此上、何ぞ僞を構へて、其許(そこもと)を欺(あざむ)き申べきや。必ず、疑を、やめらるべし。」
と、いへば、此夫、
「左樣ならば、早々、福をあたふる狐と入替り給るべし。遲々(ちち)に相及(あひおよば)ざるやうに賴み奉る。」
と、許諾して、此妻、外へ出る眞似して、其儘、氣絕して、たふれけり。
其夜に入(いり)、約束の如く、他の狐、入代りて、又、今までの如く物語し、此夫に、いひけるは、
「其元(そこもと)妻に托せし仲間の者に據(よんどころ)なく賴(たのま)れ、昨夜より入代り、種々(しゆじゆ)の福をあたふべき手段を考見(かんがへみ)れども、其許(そこもと)、生得(しやうとく)貧乏の因緣にて、一向に福を得(う)べき便(たより)見えず。乍ㇾ去(さりながら)、餘り深切の志(こころざし)ゆゑ、少しばかりの福をば、あたふべし。只(ただ)、夫婦、一日(ひとひ)ひだるきめをせず、喉をうるほす程の幸(さいはひ)のみ也。」
と、いひければ、此夫、大(おほい)によろこび、
「それは。千萬、忝(かたじ)けなき仕合(しあはせ)。何とぞ、いかやうにも、是迄のなんぎ、少々は樂々(らくらく)とならば、此上のねがひ、何か有(ある)ベき。」
と、云(いふ)とき、此狐、申けるは、
「其元は、以前、娘壹人(ひとり)もたれたるべし。」
と、いふ。
「成ほど、前年、妻、懷胎致し、女子一人、出生(しゆつしやう)致したれども、剩(あまつさ)へ、乳も、すくなく、養育致(いたす)べき手段なくして、夫婦、いだき出(いで)て、棄(すて)侍りし也。」
と、いふ。
此狐、
「されば、其娘、今は相應の仕合にて有(あり)。是(これ)、右にいふ所の、喉をうるほす程の福を得べきたより也。やがて此娘に逢(あへ)る事、出來(いでく)べし、然し、只、一度、逢る事也。二度(ふたたび)、『逢(あひ)たき。』などと思ふ心ありては、折角、我等、考付(かんがへつき)たる福を授(さづけ)ても、始終、全(まつた)ふしがたきまゝ、此事を急度(きつと)承知ならば、願(ねがひ)の通(とほり)、かなへやるべし。」
と云(いふ)。
夫、いよいよ悅び、
「偏(ひとへ)に御庇(ごひ)[やぶちゃん注:「御庇惠(ぎひけい)」の略であろう。「御恩惠」に同じ。]にて福を得侍(えはべ)るべき事、御禮申盡(おんれいまふしつく)しがた
し。忝(かたじけなし)。」
とて、又、種々、馳走を致しければ、狐、甚(はなはだ)、迷惑して、
「其元(そこもと)、如ㇾ此、貧乏のやうす、かやうに物入をかけ馳走せらるゝほど、 甚(はなはだ)、安心致さず。必ず、左樣にては迷惑の至(いたり)也。もはや、われらも、外(ほか)に用なければ、此家を去(さる)べし。」
と暇乞(いとまごひ)をせしかば、夫、殊外(ことのほか)、名殘(なごり)を、をしみ、
「せめて、今しばらく。」
と、とゞめけれど、
「いやいや、かやうの難儀の體(てい)を見うけて、いかで片時(かたとき)も逗留成(なす)べき。」
とて、やがて、
『狐、歸るよ。』
と、おぼえて、又、妻、夢中の如く、暫時、氣絕し、其後(そののち)、やうやう、本復(ほんぷく)、平生に成(なり)し故、是迄の事を物語するに、妻は一向、何事もしらず。
「ともあれ、托せし狐の、少し斗(ばかり)の福をば、あたふべき由なれば。」
とて、たのもしくおもひ、日々、福の來らん事を待(まつ)ほどに、二(ふた)・三月(みつき)迄、何の消息も、なし。
かくて、ある日、
「下京通(しもぎやうとほ)より。」
とて、男一人、此家(このいへ)を尋(たづね)きたりて、
「娘の口上(こうじやう)にて、不思議成(なる)事にて、爰許(ここもと)に、實(まこと)の兩親(ふたおや)、御座有事(ござあること)承及候(うけたまはりさふらふ)まゝ、明日、御目にかゝりに參るべし。必(かならず)、外出なく御待下さるべし。」
と、いひければ、夫婦も兼(かね)て待(まち)まうけし事なれば、大(おほい)に悅び、約束して、男を返し、そのまうけして居《を》るに、果して、翌日、此娘、尋來(たづねきたつ)て、始(はじめ)て、兩親に、あひ、泣々(なくなく)、かたらひ、暫時、物語して、
「歸る。」
とて、金子三百疋、目錄を殘して行(ゆき)けり。
其後(そののち)、每月、金三百疋づつ、此娘のかたより送りけるにつけて、やうやう、赤貧の心をも、忘れ、夫婦、以前よりは、ゆるやかに、くらしける。
されど、娘には、一度(ひとたび)逢(あひ)たるまゝにて、二度(ふたたび)逢(あふ)事ならず。
娘の方(かた)よりも、
「必(かならず)、尋(たづね)給ふべからず。尋給ひなば、たがひの身のためにも、よろしからず。」
と、度々(たびたび)、聞えければ、さて、そのまゝにて、ありける。
これは、此(この)捨(すて)たる女子(ぢよし)を拾(ひろひ)たる親、此娘を島原へ賣(うり)たるが、今は、大夫(たいふ)の女郞(ぢよらう)に成(なり)てありしゆゑ、かくは、對面、憚(はばかり)たる事、とぞ。
さて其實(まこと)の親なる事をしりて、かく、わざわざ、一度、逢(あひ)に來りしは、いかなる事にて尋知(たづねし)りたるにや、その譯(わけ)は、たしかならず。
「もし、彼(かの)、『福をあたふべし。』と、いひける狐、夢などにや、告(つげ)たりけん。」
と、いひし。
[やぶちゃん注:底本の竹内利美氏の後注に、本書には『狐などの動物霊が人に憑依して怪異の所業をさせる話いくつか収録されているが、このキツネツキは一風変わっていて、親しみぶかく、接待して福を与えたことになっている』とある通り、まず、本邦の狐憑き譚の中では、かなり珍しい仕上がりとなっていて面白い。本邦では珍しいが、この話の発想は、恐らく中国の志怪小説が元ネタであろうと推定する。私の偏愛する「聊齋志異」等には、人に福を齎す女の狐妖がさわに出るからである。但し、この話が嘘臭く、作り話であることは、捨てた娘は、この「前年」に生まれたと言っていることである。仮に前年の正月に生まれたとしても、話柄内時制の最後は、せいぜい満二歳が上限となり、凡そ、最後の方のシークエンスで「始て、兩親に、あひ、泣々、かたらひ、暫時、物語」するというのは、どう考えても、無理がある。『せめて、「先年」とぼかしておけばよかったのに。』と、私が昔、これを読んだ後に残念に感じたのを思い出したのである。
「島原」現在の京都市下京区に位置する、日本及び京都五花街で最古の花街の名。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
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