「蘆江怪談集」 「火焰つつじ」
[やぶちゃん注:本書書誌・底本・凡例は初回を参照されたい。本篇の底本の本文開始位置はここ。]
火 焰 つ つ じ
一
あとの汽車(きしや)にしたらと云はれたのを聞かずに重助(ぢうすけ)は重い荷物を持つて上州筋(じやうしうすぢ)の汽車に乘つた。其夜の中に先方へ着(つ)いて置く事が、翌日(よくじつ)の仕事の手順(てじゆん)の上から都合(つがふ)がよかつたので、强情を張つたのだが、目的(もくてき)の停車場へ着いた時には一寸(ちよつと)後悔(こうくわい)した。雨だ。而(しか)もどしや降り。
其れも車(くるま)があれば、それを呼んで宿まで駈(か)けさせるのは譯(わけ)はないのだが、其の車がないと來てゐる。加之(おまけ)に荷の重い吳服物(ごふくもの)の見本を持つてゐるのである。
重肋は停車場の出口(でぐち)で呆然(ばうぜん)と暫らく立つてゐた。
「まあ酷(ひど)い降(ふ)り」といふ聲が、自分のすぐうしろで、思ひがけなく聞えたので、振(ふ)りかへつて見ると、二十四五の水々した女が一人、これも今(いま)の汽車(きしや)を下りたものらしい。
女の言葉は强(あなが)ち重助に云つたのではなかつたが、かうなれば乘(の)り合(あ)ふ舟(ふね)のよしみ、お互ひに懷(なつか)し相手の欲(ほ)しい時である。
「酷い降ですね」と重助(ぢうすけ)は水を向(む)けた。
「貴郞(あなた)、雨具(あまぐ)がお有(あり)なさらないんですか」と女はいふ。
「ありませんとも、なあに空身(からみ)ならばね、尻端折(しりぱしを)りで駈(か)け出しても好(い)いんですが、どうもこんな物を持(も)つてゐますので」
「まア、御難儀(ごなんぎ)ですわね、どうしたら好いんでせう」
「さあ殆(ほと)んど途方(とはう)に暮れましたね」
此樣事(こんなこと)を云つてる間に、停車場はもうあとに來る汽車(きしや)もないので、二人を閉(し)め出(だ)しにして、邪慳(じやけん)に扉をどんと閉めて了つた。
「待(ま)つても車は來ないでせうか」
「迚(とて)も來ませんね」
「失禮ですが、今(いま)何時(なんじ)でせう」
「一時一寸[やぶちゃん注:「ちよつと」。]まはりました。いつもは此處に一臺(だい)や二臺の車は屹度(きつと)居(ゐ)るんですがね」
「どうしたら、好(い)いんでせう」
「さあ」と考(かんが)へても、どうしようといふ智惠(ちゑ)は一寸出なかつた。
暫(しば)らく二人とも無言で、降りしきる雨を睨(にら)んで立ちつくした。やがて女が、
「貴郞(あなた)はどちらまで被入(いらつしや)るんですか」と聞く。
「本町(ほんまち)まで行きます、本町の越後屋(えちごや)といふのが定宿(ぢやうやど)ですがね、貴女は」
「私も本町の越後屋といふ宿を聞いて參(まゐ)つたのです、遠(とほ)いんでせうか」
「さうですね、六七丁(ちやう)はありませうよ、始(はじ)めてですか」[やぶちゃん注:「六七丁」六百五十五~七百六十四メートル。]
「はい、一寸(ちよつと)止(や)みさうもありませんわね」
「中々、兎に角お困(こま)りですね、何かよい工夫(くふう)は……」と考へてゐる中に重助は不圖(ふと)思(おも)ひついた事がある、それは荷物(にもつ)の中に入れてある桐油紙(とうゆがみ)であつた。
「かうして夜明(よあけ)まで立つてるわけにも參りませんが、私は桐油紙(とうゆがみ)を二枚(まい)持(も)つてゐます。一枚は小さいんですから、この荷物(にもつ)の蔽(おほ)ひにしまして、あとの一枚を合羽(かつぱ)のつもりでお被(かぶ)んなさい、私は外套(ぐわいたう)を着てますから、そして二人が足ごしらへをして步(ある)きませうぢやありませんか」といひいひ荷を解いて油紙(あぶらがみ)を出した。
大きな油紙をうけとつた女は、それを擴(ひろ)げて見(み)て、
「あの、これを私だけ頂(いたゞ)いては、貴郞(あなた)に申し譯がありませんから、寧(いつ)そお一緖(しよ)に被(かぶ)つて參つては如何(いかゞ)でせう」と云ひ出した。
「なるほど、それはよい工夫(くふう)です、併し御迷惑(ごめいわく)ですね」
「いゝえ私(わたし)こそ」
二人はすつかり身仕度(みしたく)をして跣足(はだし)になると、重助は荷物を背中に背負(せお)うて、一枚(まい)の大桐油紙の中に女と一緖(しよ)に包(くる)まつた。
女も男も一寸(ちよつと)ためらつたが、ためらつては兩方(りやうはう)濡(ぬ)れるので、すぐにぴつたり寄(よ)り添(そ)つた、さうして雨の中へ突(つ)き進(すゝ)んだ。
二
越後屋(えちごや)へ着いた時、二人の身體が骨(ほね)の髓(ずゐ)まで泌(し)み入るほど濡(ぬ)れてゐた事はいふまでもない、丁度寢入り端(ばな)で中々起きないのを叩(たゝ)き起(おこ)して、漸々(やうやう)二人は中へ入ると、直ぐに湯殿(ゆどの)へ行つて、冷めかかつた湯で手足を洗(あら)ひ身體を拭(ふ)いた。
さうして薄暗(うすぐら)くなってゐる廊下(らうか)を幾曲(いくまが)りかして、此方(こちら)へと入れられた座敷は八疊の一間であつた。
「もう何も出來ないだらうかね」といふと、番頭(ばんとう)は眠(ねむ)さうな目で、而(しか)も物をいふのさへ不足(ふそく)らしく、
「ヘイ」とばかり「どうぞお寢(やす)みなすつて下(くだ)さいまし」と云つた。
番頭の不機嫌(ふきげん)も無理はないと思つて、重助はすべての我儘(わがまゝ)を控(ひか)へて默(だま)つてゐた。それに構(かま)はず番頭はお辭儀(じぎ)だけ恭(うやうや)しく直ぐに引下つた。
「仕方がない贅澤(ぜいたく)はいへませんね」といふと女が、
「え、何しろ遲(おそ)いんですから」とこれは左程(さほど)困(こま)つた顏もせず「でも身體を拭(ふ)いたので、さつぱりしましたわ」と云つた。
「相宿(あひやど)といふ始末でお迷惑(めいわく)ですね」
女も冷(つめ)たくなつた茶を啜(すゝ)つた。
「いゝえ貴郞(あなた)こそ本當に御迷惑ですわね」
「どういたして……併(しか)し緣(えん)といふものは妙(めう)なものですね」
「全(まつた)くですわね」
「や、失念(しつねん)いたしましたが、御安心の爲に私の名剌(めいし)を差上(さしあ)げて置きませう]と重助はさすが商人である、實は相手の素性(すじやう)を聞いて置く爲めに白分の名刺を女に差(さ)し出(だ)した。
「御丁寧(ごていねい)に」と女はそれを受取つて、自分の名刺(めいし)を重助に差出した。名刺には東京××區××町の岩崎(いはさき)すみとあつた。
そしてお互(たが)ひにお寢(やす)みなさいと云つて、寢にくい寢にくい枕(まくら)についた。
何處かで時計が三時を打つのを聞(き)いた時(とき)、女は、
「お暑(あつ)かありませんか」と聞いた。
「暑うござんすね、まだ此樣(こんな)陽氣(ようき)でない筈(はづ[やぶちゃん注:ママ。])だのに」
「一寸(ちよつと)雨戶(あまど)を開けませうか、雨のしめりで幾何(いくら)か凌(しの)ぎよいかも知れません」と女はもう起上(おきあが)つてゐた。
「どうも憚(はゞか)り樣(さま)」と重助が云つた頃には雨戶を一枚(まい)繰(く)りあけたが、どうしたのか「アツ」と細(ほそ)く悲鳴(ひめい)をあげて、直ぐにぴつたり戶を閉(し)めた。
「どうしました」と重助(ぢうすけ)が身を起した時に、女は重助の傍近(そばちか)く俯伏(うつぶ)せになつてゐた。
「どうしました、何があつたんです」と重助は不安(ふあん)心さうに、女の背中(せなか)のあたりを見つめた。[やぶちゃん注:「不安(ふあん)心」「ふあん」は「不安」の二字にのみある。「不安」と同義の「ふあんしん」もあるので問題はないが、個人的には、三字で「ふあん」と当て訓したい気はする。]
「どうしました」と重(かさ)ねて聞く重助の言葉(ことば)に女は、
「どうぞ、わけを聞(き)かないで下さい、それよりも何か面白(おもしろ)い世間話(せけんばなし)をして下さい、譯(わけ)は明日(あす)、夜が明(あ)けたらお話しいたしますから」とのみ云(い)つた。
重助は女の怯(おび)えてゐる樣子を氣(き)の毒(どく)がつて、成るたけ毒にも藥にもならぬやうな世間話(せけんばなし)をしつつ、女の心を紛(まぎ)らしてやらうとした。
女は其れに氣(き)を紛(まぎ)らされようとしながらも、重助を賴(たよ)る樣子であつた。
女の樣子が、幾分(いくぶん)づつ安(やす)まつて來るに從(した)がつて、重助の心は平(たひ)らになつて行つた。
改(あらた)めていふが、女は二十四五、男は三十を三つ越(こ)したばかりである。
三
夜(よ)が明(あ)ける頃、二人はぐつすり眠(ねむ)つた。
驚(おどろ)いて目をさましたのは彼(か)れこれ十時頃であつた。
「そろそろ起(お)きませうかね」と重助が云ふと、
「え」と女は重助(ぢうすけ)の顏を見(み)た。
「けふはこれから何方(どつち)へ行くの」と重助は、全(まつた)く打解(うちと)けた言葉を使つた。
「これからね、又三里山の中へ入(はい)つて行(い)くんです」
「東京へは歸(かへ)らないんですか」
「え、歸(かへ)りたくも歸れません」
「どうして」
「歸る家がないし、それから東京(とうきやう)に落付(おちつ)いてゐるわけに行かない身體(からだ)です」
「昨夜(ゆふべ)なぜあんなに怯(おび)えてゐたんです、もう夜が明けたから話しても好(い)いでせう」
「え、雨戶(あまど)を開けない中(うち)に話しますわ」
「話して下さい、一體(たい)何(なに)が居たの」
「何も居やしません、居ないことは判(わか)つてゐるんですけれど、それが怖(こは)くてたまらなかつたんです」
「居ない事が判(わか)つてて怖(こは)いといふのは」
「私には生靈(いきりやう)がとつついてゐるんださうです」
「生靈」
「え、女の生靈(いきりやう)ですつて、それがね、不斷(ふだん)は何ともないんですけれど、つつじの花が咲(さ)いてるところに行くと其生靈が業(わざ)を始(はじ)めるんです」
「つつじの花と生靈とどんな關係(くわんけい)があるんです」
「恥(はぢ)を云はなきあ判(わか)りませんが、私は二十の年まで東京で藝者(げいしや)をしてゐまして、その秋に落籍(ひか)されて、ある人のお妾(めかけ)になつたんですの」
「ぢや本妻(ほんさい)の生靈とでもいふんだな」
「え、さうなんです、何も彼(か)もお話ししますわ、落籍(ひか)されてから、半年ばかりは旦那の本妻(ほんさい)に知れない儘(まゝ)で暮(くら)してゐました、けれど、其中に不圖(ふと)した事から奧樣に知れましてね、私も旦那も一寸(ちよつと)困(こま)つたんですけれど、今更(いまさら)仕方(しかた)がありませんわ、面倒(めんだう)になつたら私は身を引くつもりでゐましたの、するとね、其の奧樣が大層(たいそう)捌(さば)けた方でね、家を二軒(けん)持(も)つてゐては物入りも大變(たいへん)だし、お自分も氣(き)づまりだらうから、いつそ一緖(しよ)になつたら如何(どう)ですと仰(おつし)やり始めたんです、本妻と妾(めかけ)と一緖(しよ)になる事はあんまり好(い)い事とは思ひませんでしたけれど、それを嫌(いや)だといへば何だか依估地(いこぢ)に當りますから、まあ不性無性(ふしやうぶしやう)に一緖に住(す)まふ事にいたしました」[やぶちゃん注:「依估地」「意固地・依怙地」が一般的だが、この「估」を用いる場合もある。]
「一緖(しよ)になると、本妻が貴女(あなた)を邪魔(じやま)に仕始めたな」
「處(ところ)が、さうぢやないの、何事につけても私を立ててくれるし、それはそれは大事(だいじ)にしてね、よく庇(かば)つて下さいました」
「それがどうして生靈(いちりやう)になつたんです」
「今(いま)足許(あしもと)の雨戶を開けると見えますが、この家の庭に眞赤(まつか)なつつじが咲(さ)いてゐます、其のつつじの咲いてゐる頃に一緖(しよ)の家に住むやうになつて、二度目の花(はな)が咲(さ)いた時ですから、まア一年目ですわね、私に赤(あか)ン坊(ぼう[やぶちゃん注:ママ。])が出來たんです」
「ふん、ぢや、一緖の住居(すまゐ[やぶちゃん注:ママ。「居」は当て字で「すまひ」が正しい。])になる時分(じぶん)から宿(やど)つたんですね」
「え、まアさうですわね、旦那(だんな)の家のお庭(には)にもつつじの花がありました、それが眞盛(まつさか)りに咲いてゐる時、私は無事(ぶじ)に身二つになつて、而(しか)も男の子を生(う)みました。私に子が出來ると、奧(おく)さんはそれはそれは喜(よろこ)んでね、といふのは、奧(おく)さんと旦那とは十年から連(つ)れ添(そ)つてゐるのに、子供がない爲め、いろいろな養生(やうじやう)をなすつたんださうです。其位(それくらゐ)欲(ほし)しがつて被居(いらつしや)るところですから、私の生んだ赤ン坊は私よりは奧さんに馴(なづ)く[やぶちゃん注:「なつく」は「なづく」とも書く。]ほどに、奧さんが可愛(かあい)がつて下すつたんです、私も全(まつた)く仕合(しあは)せな身の上だと思つて居りました、それで奧樣(おくさま)が赤ン坊を可愛(かあい)がつて下さるので、私は其子の行末(ゆくすゑ)の爲め、いつそ奧樣(おくさま)の子のやうにして置(お)いた方が好(い)いかも知れぬといふ氣が出まして、奧樣の思ふまゝに、成(な)るだけお任(まか)せ申して、私の方へ三度(ど)抱(だ)く間に、奧樣の手へ五度(ど)以上(いじやう)渡(わた)すやうにく渡すやうにとしてゐました、尤(もつと)も其の子の籍(せき)も奧さんの胎(はら)から出たやうに屆(とゞ)けてあるんです、かうしてゐる中に、どうもその子が何處(どこ)が惡いといふのでなく弱(よわ)いのです、年中醫者と藥(くすり)は絕(た)やした事はない有樣(ありさま)だものですから、私も奧さんも旦那も元より隨分(ずゐぶん)苦勞(くらう)をしました、けれども一向(かう)强(つよ)くなりません」
「貴女(あなた)のかげにまはつて、奧樣が子供を苛(いぢ)めるんではないか」
「いゝえ、さうぢやないんです、奧樣(おくさま)は全つたく可愛(かあい)がつてでした[やぶちゃん注:ママ。会話表現としては私は躓かない。]、それに利口(りこう)な奧樣(おくさま)でしたからね、私といふものは、イザとなつたら追(お)ひ出(だ)す事の出來る身體(からだ)ですが奥樣と子供とは引放(ひきはな)す事の出來ない戶籍(こせき)の關係(くわんけい)になつてゐるんでせう、だから奧樣としては子供(こども)を大事にすればする程(ほど)弱味がつくんですわ」
「成(な)る程(ほど)、それもさうだな」
「何しろ餘(あん)まり心配ですから、私はある時、人に勸(すゝ)められる儘(まゝ)に、銀座の易者(えきしや)に見て貰(もら)ひに行つたのです、さうすると易者が不思議(ふしぎ)な事を云ひました」
「不思議な事(こと)」
「え、私と子供の身(み)の上(うへ)に生靈(いきりやう)がとりついてゐるといふのです、若(も)し子供(こども)の身體が丈夫になる事があれば、其時、私の身體に故障(こしやう)の出來(でき)る時だつて」
「はあ、矢張(やは)りよくは見せても本妻(ほんさい)のやきもちだな」
「いゝえ、そればかりは誰(だ)れが何と云つても少(すこ)しもない事は私が承知(しようち)して居ります、決(けつ)して奧樣に其樣(そんな)心持(こゝろもち)は毛程(けほど)もありません」
「ぢや誰(だ)れの生靈(いきりやう)だらう」
「それが私にも判(わか)りませんから、一體(たい)どうすれば私と子供の身體(からだ)が兩方とも丈夫(じやうぶ)になるのかと聞きましたら易者(えきしや)は、私といふものが旦那(だんな)の家に入つてゐる事がいけないのださうです」
「それぢや矢張り本妻の生靈といふ事になるぢやないか」
「まア、さうだわね、それで私は決心(けつしん)して旦那におひまを頂(いたゞ)く事にはしましたものの、扨(さて)、それが云ひ出せないんです、旦那にも奧樣にも隨分(ずゐぶん)義理(ぎり)があるんでせう、其樣(そんな)水(みづ)くさい事が云ひ出せないほど奧樣は親切(しんせつ)にして下さるんですもの、今日は云はうか明日(あす)云はうかと思(おも)ふままに、一年は過(す)ぎて、又つつじの花の眞赤(まつか)になる頃になつて了(しま)ひました。するとある日旦那も奧樣(おくさま)もお留守(るす)の時の事です、私は不圖(ふと)緣側(えんがは)へ出ますと、お庭(には)の端(はし)にムラムラと火焰(くわえん)が上つて、大きな庭一面を燒(や)き盡(つく)しさうにしてゐる樣な樣子を見ました」
「庭(には)の火事つてのは可笑(をか)しいね」
「ですけども、全く庭が燃(も)えてるんです、私びつくり仕了(しちま)つて、あツ誰(だ)れか來ておくれと云つたまでは覺(おぼ)えてゐましたが、もう其あとは何も判(わか)らなくなりました、漸(や)つと氣(き)が付(つ)いた時は、もう私の身體は蒲團(ふとん)の上に寢(ね)かされて醫者(いしや)は來てゐるし、奥樣はちやんと枕許(まくらもと)について下すつて、頭を冷(ひや)して下すつたり何か大變(たいへん)な騷ぎなのです」
「庭を見た時、目が眩(くら)んだんだらう」
「いゝえ、目は決(けつ)して眩みません、確(たし)かに燃(も)え上る火を見たにちがひないんです、其れが眞晝間(まつぴるま)なんでせう、たしかに火でした、今(いま)考(かんが)へても目の前にちやんと見えますわ、燃(も)え上(あが)る火の下には私の大事な子供(こども)が、素裸(すつぱだか)になつて轉(ころ)がされてゐるんですもの、あツ、私は、もう此話は止(よ)しませう、貴郞(あなた)、雨戶は閉(し)めてありますか」
「あ、閉(し)まつてゐるよ、もう十一時(じ)位(くらゐ)だらうけれど、こんなに暗(くら)いぢやないか、まあ私がついてゐるんだから怖(こは)い事はない、貴郞のは神經(しんけい)なんだよ、それからどうしたの、話しをした方が紛(まぎ)れて好(い)いんだから」
重助は女の背中(せなか)を撫(な)でさすつてやつた、女は少しづつ氣(き)が落(お)ちついたらしかつたが、顏(かほ)の色(いろ)は眞靑(まつさを)になってゐた。
四
「でもね、神經(しんけい)だつたかも知(し)れないんですわねえ、あとで怖々(こはごは)庭を覗(のぞ)いて見ましたら、たしかに火焰(くわえん)が上つたと思ふ場所(ばしよ)には、例(れい)のつつじの花が眞赤に咲いてゐて、子供が裸(はだか)に轉(ころ)がされてゐたと思ふ場所には、靑石の捨石(すていし)が一つあつたのですもの、だけれどそれが私には神經(しんけい)と思はれないほどはつきりしてゐるんですよ」
「銀座(ぎんざ)の易者先生がすつかり祟(たゝ)つたんだ、脅かされちや不可ませんよ」[やぶちゃん注:「祟(たゝ)つたんだ」は、底本では、「崇(たゝ)つたんだ」。誤植と断じ、特異的に訂した。]
「火焰(くわえん)の事があつてから三日目でしたか、ある日、晝間(ひるま)の用向が張物(はりもの)だの、解(と)きものなので、奧樣も私も相應(さうおう)に忙(いそ)がしくて、日一杯で仕事が納(をさ)まらず、到頭(たうとう)暮(く)れて了(しま)つてから、其處中[やぶちゃん注:「そこうち」。]を片付けて、私が庭先(にはさき)の戶じまりをしに行きました、其時(そのとき)庭先(にはさき)には、いつの間にか雨(あめ)が降り出してましてね、眞暗(まつくら)でしたが、其眞暗な中からヒーヒーつて聲がするんです、何(なん)の聲だらうと思(おも)つて耳をすましてゐると、確(たし)かに子供の泣(な)き聲(ごゑ)でせう、ああ坊やが泣(な)いてるのかしらと聲のする方へ目をつけると又(また)驚(おど)ろきましたね」[やぶちゃん注:「泣(な)いてるのかしら」この「かしら」は、底本では、「しから」。誤植と断じて、特異的に訂した。]
「又(また)火焰(くわえん)ですか」
「いゝえ、今度は坊(ぼう)やがね、矢張(やは)り裸(はだか)にされて庭先に轉がされてゐるんです、而(しか)も腋(わき)の下から胸のあたり、顏(かほ)へかけて、血(ち)みどろなんです」
「それもつつじだな」
「貴郞は自分に關係(くわんけい)のない事だから、そんなに同情(どうじやう)のない事を仰(おつし)やるけれど、私は眞劍(しんけん)ですよ」
「私も眞劍に聞(きい)てるからこそ、神經(しんけい)だといふんです」
「何とでも仰(おつし)やいな、私は知らないわ」と女はくるりうしろを向(む)いた、そして何と云つても、もう重助の方を振(ふ)りかへらなかつた。
重助は遉(さす)がに持餘(もてあま)して、
「少しお前さんの厭(いや)がらない方の雨戶を開(あ)けようね、そしたら氣(き)が晴(は)れるかも知れないから」と捨臺詞(すてぜりふ)のやうに云ひながら、ついと立つて雨戶を二三枚(まい)繰(く)つた。
雨はいつの間にか止(や)んで、きらきらと眠不足(ねぶそく)の目を刳(えぐ)るやうな日が當つてゐた。
「さあ、頭をあげて御覽(ごらん)なさい、こんな好(い)い天氣になつたから」
女はやうやう氣を變(か)へた樣(やう)になつた。
「氣分(きぶん)はなほつたかえ」
「え、もうさつぱりしたわ、だけど、それ以來(いらい)つつじの花(はな)が咲くと、さういふ事が必(かな)らず一度(ど)づつあるんですもの。」
「昨夜(ゆふべ)だつてそれなんです」[やぶちゃん注:言わずもがなだが、これも前と続けて同じ岩崎すみの台詞である。一息入れて、きっぱりと言ったととれば、私は違和感はない。]
「矢張りつつじが燃(も)え出(だ)したのかえ」
「いゝえ、子供(こども)が血みどろになつたんです、後生(ごしやう)ですから彼方側(あつちがは)の雨戶は開(あ)けないでおいて下さいね」
「ああ、好(い)いとも、然しもうお午(ひる)だぜ」
「え、何だか始(はじ)めて泊(とま)つた宿で、こんなに寢坊をしてきまりが惡(わる)いわ」
「始めての宿なら好(い)いが、始終(しじう)定宿(じやうやど[やぶちゃん注:ママ。])にしてゐる僕はもつときまりの惡(わる)い人だよ、いつでも商賣用で來るんだから、店(みせ)の者を連(つ)れて來るか、さもなければ一人だのに、すつかり連(つ)れ込(こ)み扱(あつか)ひにされたんだからね」
「御迷惑(ごめいわく)さまですわね」
「どういたしまして、手前(てまへ)こそ」
五
どうやら女の心持(こゝろもち)も治(なほ)つて、二人とも顏を洗(あら)つてさつぱりしたところで、座敷(ざしき)ヘ戾ると「開けないで置いて下さい」と女が云つた雨戶(あまど)は名殘(なご)りなく開(あ)け放(はな)してあつた。稍々(やゝ)深(ふか)くなりかけた庭木の綠(みどり)は、目(め)を射(い)るやうに照(て)りかへした雨後の初夏の日蔭(ひかげ)に、きらきらと輝(かゞや)いてゐた。
「ヤ、開けて了つたね、もう好(い)いだらう」と重助が努めて元氣よく云ふと、女は、
「え」ともう氣(き)にもしないらしく云つた。
お茶を淹(い)れてゐる女の手つきのしとやかさをぢつと見ながら、重助(ぢうすけ)は、
「そして到頭(たうとう)旦那(だんな)と別れて了(しま)つたのかえ」と聞いた。
「え」
「子供(こども)は」
「子供は先方(せんぱう)へやりました、大方無事に達者(たつしや)に育(そだ)つてゐると思ひます」
「いつ別(わか)れたの」
「つい二三日前(にちまへ)です」
「旦那は無事に納(をさ)まつたかえ」
「大分(だいぶん)六(むつ)ケ敷(し)かつたんですけれど」
「それで東京に居(ゐ)たくないといふわけだな」
「え」
「ここから三里先の田舍(ゐなか)つてのは、親(おや)の家(うち)かえ」
「いゝえ、兄(あに)の家(うち)なんです」
「兄さんの家では少し氣兼(きが)ねだな」
「え、ですけれど仕方がないんですもの」と淹(い)れたお茶を重助(ぢうすけ)の前へさしよせた、襟足(えりあし)がくつきりと白い橫顏(よこがほ)の美くしい、頰(ほゝ)のあたりに得難(えがた)い愛嬌(あいけう)のある女だと重助は思つた。
「兄の家に行(い)つてどうするつもり」
「どうと云(い)つて的(あえ)はありませんけれど」
重助(ぢうすけ)はかねがね思つてゐる事を考(かんが)へて居た。かねがね思つてゐる事とは、月(つき)に一度(ど)づつはこの土地へ來なければならぬ商賣(しやうばい)を持つてゐるのだから、其都度(そのつど)宿屋住居(やどやずまゐ[やぶちゃん注:ママ。]でなく、出張所を一軒(けん)造(つく)らうかと思つてゐるのであった、併(しか)しそれには經費(けいひ)と收入(しうにふ)とがしつくり合ふかどうだかと思つてゐたのであるが、このおすみの住居を(すまゐ[やぶちゃん注:ママ。])造つてやつて、それを出張所にして置(お)いたらと思ひついた事である。そして思(おも)つた事を直(すぐ)と云ひ出した。
「お前さん、此(この)土地(とち)で家を持つ氣になれないか、さうすれば私がうしろ楯(だて)にならうぢやないか」
「嬉(うれ)しいわね、願(ねが)つてもさうして頂(いたゞ)きたい位よ」と女も無造作(むざうさ)だつた。昨夜一夜の雨でお互ひに心持は充分(じうぶん)判(わか)り盡してゐた。
「うん、きまりが早(はや)くて好(い)い、さうしちまはうよ」
「え、どうぞお願(ねが)ひします」
「これも緣(えん)だらうさ」
「ほんとに奇體(きたい)な御緣(ごえん)ですわね」と二人はすがすがとした心持になつてゐた。
「さう極(きま)つたら早速(さつそく)、家を探(さが)す事にしよう、今日中に私は當用(たうよう)を片付けて、それから場所を探さうぢやないか、其の代り私の東京にゐる間(あひだ)は店(みせ)の用もしてくれなければならないよ」
「私(わたし)に出來るなら」
「出來るさ、出來ない用向(ようむき)には私が出て來るから」
「好(い)いわね、好いわね」と女は子供のやうに喜(よろこ)んで、重助の男らしい顏(かほ)をしげしげと見た。
重助はのびんのびとして莨(たばこ)を燻(くや)らしながら廊下(らうか)を出た、それは夜前(やぜん)、おすみが氣分を惡(わる)くした方の廊下(らうか)であつたが、其處へ出た重助の目(め)の前(まへ)にはキラキラと光るものがあった、と思ふと庭の一隅(ぐう)から火が燃(も)え出して、それが庭一面に擴(ひろ)がつた、ハツと思ふ途端(とたん)に、重助の身體はトンと倒(たふ)れた。
庭には三株(かぶ)四株のつつじの花が眞盛(まつさか)りであつた。女はアツと云つて重助の身により添(そ)つた。
重助の身體はおすみの介抱(かいはう)で間もなく治(なほ)つたが、治つた時、おすみは重助の前に手をついて聞(き)いた。
「貴郞(あなた)にはお内儀(かみ)さんがおありでせう」
「うむ」
「あの、折角(せつかく)お親切(しんせつ)にお考へ下すつたんですけれど、只今のお約束(やくそく)はおやめなすつて下さいませんか、私は氣兼(きが)ねでも矢張り兄の家の食客(ゐさうらう)になります」と淚(なみだ)と共に云つた。
重助は何(いづ)れとも返事はしなかつたが、長い嘆息(ためいき)をついてゐた。
[やぶちゃん注:本篇は、上州の停車場での未明の二人の出逢いから、凡そ十二時間足らずの越後屋の宿部屋を舞台時制としている。怪奇現象は、概ね、山崎すみの回想によるものであるが、あたかも、その異様なホラー・シーンが読者の脳裡に適正確実にフィードバックするように、リアルに語られており、遂に、最後には、重助も、実際に「火焰つつじ」の怪異に襲われることになる。まことに、「燻(いぶ)し銀」の文体で、無理が全くない。重助はさかんに、彼女の語りを、「神經」の齎した幻覚であると評する。私も、読みながら、「奥樣」に対する申しわけないという心理が、強迫神経症的な妄想幻覚を惹き起こしたものと考えていたのを思い出す(但し、「生靈」とは、やはり、「奥樣」の無意識化の嫉妬が引き起こしたものとは言えるように今も感ずる。「易者」は、明らかに「奥樣」とグルである。重助の遭遇した怪火と短時間の昏倒も、重助自身が、山崎すみへ、半ば確信犯的に、懸想してしまっていることへの、同じく一過性の強迫神経症による重助の自責の念が生み出した幻覚であるとも、今も、私には思われる)。しかし、重助自身が、その怪異を見てしまうというコーダは、甚だ、鮮烈である。本篇は、それらを総合して、優れた怪奇談の逸品と言えるのである。]