譚海 卷之七 同國天木江川太郞左衞門宅の事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。国立国会図書館本のそれが正しい。「同國」は前の記事を受けたもので、「豆州」であり、「天木」は「天城」が正しい。]
○伊豆天木に江川太郞左衞門と云(いふ)は古き家にて、代々、そこの御代官にして、血脈(けちみやく)、今に、たえず相續有(あひつづきあり)。
その住居(すまい)の棟札(むねふだ)[やぶちゃん注:]は日蓮上人の筆にて、今、六百年まで燒亡せざる家なり、とぞ。
[やぶちゃん注:「江川太郞左衞門」詳しい当該ウィキがあるので、参照されたいが、そこに、『伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山町)』(ここ。江川邸(韮山役所跡)として残る。グーグル・マップ・データ)『を本拠とした江戸幕府の世襲代官である。太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称である。中でも』第三十六『代の江川英龍』(えがわひでたつ:当該ウィキあり)『が著名である』とあるが、「譚海」の執筆時は、その前代の第三十五代で武士の江川英毅(ひでたけ 明和七(一七七〇)年~天保五(一八三四)年)で、講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」によれば、江川英征(ひでゆき)の子で、江川英龍の父。寛政三(一七九一)年、伊豆韮山代官職と第三十五代太郎左衛門を継いだ。新田開発・植林などに勤め、儒者として知られた朝川善庵や、朱子学者柴野栗山(りつざん)らと交遊があった文化人でもあった。
「棟札」(「むなふだ」とも呼ぶ)は寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念・所縁明記として、棟木・梁等の建物内部の高所に取り付けた札。]
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