譚海 卷之八 江戶靑山熊野權現堂安產の符の事
○江戶、靑山、熊野權現堂下と云(いふ)所に、「すいほう和尙」と云(いふ)人、すめり。
此人、ふしぎの法(ほふ)ありて、安產の守(まもり)を出(いだ)す。產婦あれば、行(ゆき)て願ふ時、使(つかひ)を、またせて、御符を出(いだ)す。禮物(れいもつ)として、三百錢、贈る也。
產に臨(のぞん)で、此符を、婦人、右の手に持て居(を)るに、極(きはめ)て安產なり。
七夜(しちや)に至(いたり)て、封をひらき見るに、熊野三所本地(くまのさんじよほんぢ)の御形(みかた)に、其(その)生れし子供の名を書入(かきいれ)て有(あり)、男なれば、男子の名、有(あり)、女子なれば、女の名、書(かき)て有(あり)、生れし子の男女を、たかへず。
よりて、皆々、ふしぎがることなり。
三七日(さんしちにち)も立(たち)て、又、右の符を返しまゐらする事にて、持參すれば、あたらしき符に取(とり)かへこ[やぶちゃん注:ママ。]すなり。是は出產の時用(もちひ)たるは、けがれたるゆゑ、とりかへもろふ[やぶちゃん注:ママ。国立国会図書館本は『もらふ』。]よしなり。此度(このたび)は、禮物、二百錢、贈る事なり。
此和尙卜筮(ぼくぜい)にてもせらるゝか、狐などをつかふて然(しか)るにや、みな人(ひと)、いぶかり思(おもふ)事なり。寬政の頃、もつぱら、はやりたる事なり。
[やぶちゃん注:「熊野權現堂」現在の東京都渋谷区神宮前の熊野神社(グーグル・マップ・データ)。
「七夜」子どもが生まれて七日目の夜。命名など種々の祝いの行事をする。
「三七日」出産後二十一日目に行なう祝い。産後七日目ごとの祝いの三回目。「みなぬか」と読んでもよい。
「寬政」一七八九年から一八〇一年まで。]