譚海 卷之七 房州西山の山崩れて寺一宇土中に落入し事
[やぶちゃん注:標題の「落入し」は「おちいりし」。]
○寬政二年四月十七日、安房國西山と云(いふ)所の山、くづれたり。
二、三日以前より、夥敷(びただしく)、山、嗚動せしかば、かねて、人々、
「變、有(ある)べし。」
と、飼置(かひおき)たる牛馬など、切(きり)はなし、資財を運びうつしなど、せしかば、一人も怪我はなかりしかど、終(つひ)に、十七日の晝、山、われ、へこみて、山上に有(あり)ける淨土宗の寺一宇、土中へおち入(いり)て、山上の其所(そのところ)、沼と成(なり)、寺の屋根、むねばかり、水中に、わづかにみゆるほどに沒したり、とぞ。
その後(のち)、
「山に數(す)百年へし杉、多く有(あり)けるも、皆、さかしまに、沼へ落入(おちいり)て、木の根計(ばかり)見へける。」
と、いへり。
いとあやしき事どもになん。
[やぶちゃん注:「房州西山」千葉県鴨川市西山(グーグル・マップ・データ航空写真)であろう。
「寬政二年四月十七日」グレゴリオ暦一七九〇年五月三十日。ネット上では、地震或いは山体崩壊その他の災害がここで起こった記録は見出せなかった。雨と地下水脈による単純な地盤の陥没かと思われる。
「淨土宗の寺」現在の西山の周辺には、浄土宗の寺は見当たらない。
「沼」とあるが、「ひなたGPS」の戦前の地図を見たが、それらしいものは見当たらない。南東直近に「山居堰(さんきょせき)」という千葉県鴨川市天面(あまつら)にある灌漑目的のアースダム(主に土を用いて台形状に形成して建設したダム)があるが、ここは西山耕地整理組合の事業で昭和一四(一九三九)年に竣工したものであり、「ひなたGPS」の戦前の地図を見ても、普通の谷戸の奥であって、沼らしき地形は見当たらないし、西山の山上でもないから、違う。]
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