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2024/02/02

譚海 卷之六 藝州巖島祭禮幷神靈の事

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。正確な標題表現は「藝州巖島」(いつくしま)「祭禮神靈」(しんれい)「の事」で、「幷」は「ならびに」と読む。]

 

○藝州巖島明神の祭禮、每年六月十七日、十八日なり。近國の人まで、參詣、群集する事、限(かぎり)なし。

 祭る神輿(しんよ)を、船にうつし奉り、往來(わうらい)有(あり)。船を停(とむ)る所にて、音樂、有(あり)。甚(はなはだ)、神妙なる事なり。

 當日、拜見の船、神輿往來の道を明(あけ)て、其餘は、海上、悉(ことごと)く、船、集(あつまり)て、陸地の如し。

 又、巖島の別島に「黑髮」といふ所、有(あり)。其かみ、明神、ましませし所にて、今に、社頭鳥居、のこりて有(あり)。

「此島に、犬、なし。犬の吠(ほゆ)る聲を、にくませ給ふゆゑ。」

と、いへり。

 巖島には、雉子(きじ)、なし。是も、

「にくませ給ふゆゑ。」

といふ。

 いつくしまにては、甚(はなはだ)、火を忌(いむ)。

 死人あれば、そのまゝ、死骸を船にのせて、他所(よそ)へ、うつし、しばらくも、おく事、なし。

 又、「月の女」[やぶちゃん注:生理期間中の女性。]、別に往(ぢゆう)する所、島のかたすみに、一村、有(あり)、月水になる時は、高貴人妻(かうきひとづま)なりとも、婢(ひ)をつれ、此村に、うつりて居(を)る事也。

 いつくしまは、神靈の地にて、奇異、おほし。

 笹・竹の類(るい)、ある事、なし。

「若(もし)、人、笹の類を眼に見る時は、かならず、怪異あり。」

とて、甚、是を恐(おそる)る事也。

 いつくしまの彌山(みせん)參詣は、晝八つ時まで也。

「そののちは、天狗のために、人、とらるゝ。」

とて、まゐる事、なし。

[やぶちゃん注:「巖島祭神社」公式サイトのこちらを見られたい。現在は月次祭は各月十七日に固定で、『三月十七日は祈年祭』、『六月十七日は例祭』、『十月十七日は神嘗奉祝祭』とある。詳しくは、各月をクリックされたい。また、当該ウィキの、「穢れの忌避」の項には、『島全体が神域(神体)とされたため、血や死といった穢れの忌避は顕著であった』。戦国時代から安土桃山時代にかけての厳島神社神官であった棚守房顕(たなもりふさあき)の記した「棚守房顯覺書」に『よれば、島に死人が出ると』、『即座に対岸の赤崎の地に渡して葬っている。赤崎は現在のJR宮島口駅のやや西にあり、遺族は喪が明けるまで』、『島に戻ることができなかった。「~の向こう」と言うと』、『「あの世」を連想するため、「~の前」と言い換えていた。この風習は第二次世界大戦頃までは続いていた。また、島には墓地も墓も築いてはならず、現在でも』一『箇所も』一『基も存在しない。島の妊婦については』、「棚守房顯覺書」に『「婦人、児を産まば、即時に子母とも舟に乗せて地の方に渡す。血忌、百日終わりて後、島に帰る。血の忌まれ甚だしき故なり」とあるように、出産が近づくと対岸に渡り、そこで出産を終えたのち』、百『日を過ごすことで』、『血の穢れが払われれば、ようやく』、『島へ戻れるという仕来りがあった。 厳島神社の境外摂社を「地御前神社」(所在地:廿日市市地御前、江戸時代における安芸国佐伯郡地御前村)というように、ここでいう「地の方」とは対岸の本州を指す。また、生理中の女性も、やはり血の穢れを忌避されて、町衆が設けた小屋に隔離されて過ごした。この様子を』、「棚守房顯覺書」は、

『「あせ山」とて東町・西町の上の山にあり。各々。茅屋數戶を設けたり。「あせ山」は「血山」なるべし。島内婦人月經の時、その間、己が家を出て、此處に避け居たりし。』

『と記している』とあった。ここに出る「別島」「黑髮」は不審。厳島の西南五十三キロメートルの位置に、山口県周南市大津島の「黒髪島」があるが(ここには、ごく小さい祠の厳嶋神社(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)がある)、余りにも離れ過ぎているし、ここが同神社の元の地であるとする記載も見出せなかった。

「犬、なし」当該ウィキの、「鹿・猿との共生」の項には、『厳島に棲息するニホンジカは太古から棲息していたと見られるが、歴史時代に入ると奈良の春日大社にある神鹿(しんろく)思想の影響も受けつつ、神使として大切に扱われるようになった。それ以来、厳島では、鹿が家に入らないように「鹿戸」を立て、家々で出た残飯は「鹿桶」に入れて与えるようになった』。「棚守房顕覚書」に『よると、鹿を害するのを避けるため、島内では犬を飼わず、外から犬が入り込むと』、『島民が捕まえて対岸に放したという』。『厳島に棲息するニホンザルは古くから、彼らが家に入り込んで食べ物を盗っていっても捕まえて罰することはなかったという』とあった。

「雉子、なし」確認出来ない。

「彌山」宮島(厳島)の中央部にある標高五百三十五メートルの弥山(みせん)。古くから信仰の対象になっている。

「晝八つ時」不定時法で、夏至の頃で午後二時半過ぎ、春分・秋分点で同二時十五分頃、冬至で同二時。

「天狗」神霊の地なのに、天狗がいるのは、笑止だ。優れて清浄な神聖の地なればこそ、対する魔界への通底器でもあるということか。]

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