譚海 卷之九 同所漁獵の事
[やぶちゃん注:前話の続きで、「七浦」の漁業版。かなりリキが入っているので、最後の注を除いて、私なりのリキも入れておいた。]
○七浦の地、土用波とて、三伏(さんぷく)のころは、波、ことに高し。
[やぶちゃん注:「三伏」夏至の後の第三庚(かのえ)を「初伏」、第四の庚を「中伏」、立秋後の初めての庚を「末伏」と称し、その初・中・末の伏の称。五行思想で、夏は火(か)に、秋は金(ごん)に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして、夏の火気におさえられ、やむなく伏蔵しているとするが、庚の日にはその状態が特に著しいとして「三伏日」としたもの。]
夜陰、汐(しほ)のひきたるをうかゞひ、籃(かご)を提(さげ)て、婦人、海濱にいたり、波に打(うち)よせられたる魚を、ひろひとるなり。每曉(まいげふ)、行(ゆき)て、いくらも拾ひとる事、とぞ。
冬月、獵師、「ふぐ」を取得(とりえ)ては、肝(きも)を、さき、江戶へ、いだす。其肝をば、獵師の家ごとに、釜に入(いれ)てせんじ、魚燈(ぎよとう)[やぶちゃん注:「魚燈油」。鰯・鰊(にしん)・鯨などの脂肪から採った油。灯火用とするが、臭気が強烈である。]をとる。せんじ、あつむれば、肝は、消(きえ)うせて、殘らず、油に成(なり)なり。然(しか)して、水能にて、漉(こ)し、樽へ詰(つめ)て、江戶へ、いだす。甚(はなはだ)、淸き油なり。眼のかすみたる人共(ひとども)も、用(もちふ)れば、よく眼を明(あきら)かにすると、いへり。
[やぶちゃん注:「ふぐ」鰭綱フグ目フグ科 Tetraodontidae 。私の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚 寺島良安」の「河豚(ふぐ)」が最もよい(昨年、全面リニューアルした)。携帯で見られない方は、益軒の語りが辛気臭く、あまりお勧めではないのだが、「大和本草卷之十三 魚之下 河豚(ふぐ)」の総論がある。七浦で釣れる種は、釣り人の記事から、フグ科トラフグ属トラフグ Takifugu rubripes 、フグ目フグ亜目フグ科トラフグ属ショウサイフグ Takifugu snyderi(潮際河豚・潮前河豚)、外道で嫌われるトラフグ属クサフグ Takifugu alboplumbeus が獲れることは確実である。
「水能」これは「水囊(すいなう)」の当て字であろう。食品や液状のものの余分な水や部分を取り除くために用いられる目の細かい篩(ふるい)で、馬の尾・針金・竹・布で底を張ったもの。「みづぶるい」「みづこし」「羅斗(らと)」等とも呼ぶ。
「眼のかすみたる人共も、用れば、よく眼を明かにする」フグの肝臓には脂肪酸が含まれているので、効果はあるのかも知れぬが、テトロドトキシン(tetrodotoxin)は過熱分解しない猛毒であるから、少しでも含まれていれば、大いに危険である。私なら、こんな点眼薬、お断り蒙る。]
又、「さんま」といふ魚を取得(とりう)れば、皆、しぼりて、油をとる事にするなり。千、二千頭ほどづつ、一釜に入(いれ)て、せんじて後(のち)、「しめ木」にかけ、魚燈をとる。をびたゞしく[やぶちゃん注:ママ。]、油、出(いづ)るものなり。
[やぶちゃん注:「さんま」ダツ目サンマ科サンマ Cololabis saira 。「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚 寺島良安」の「佐伊羅(さいら) のうらき」の項を見られたい。なお、そちらの「鱵(さより)」の私の注で引用したが、『江戸時代中期以降にはサンマも「サヨリ」と呼ばれ、サンマをサヨリと偽って売られたということである。これを区分する為に、サヨリを「真サヨリ」と称したという。西日本では今でもサンマを「サヨリ」と呼ぶところがある』とった。しかし、本篇では、後で、私がサヨリと推定比定するものが出ることと、油を搾るという点から、以上は確かな現在のサンマであると断定する。]
又、「ほうぼう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「はうぼう」。]」といふ魚をうるには、海の底に付(つき)てある物ゆゑ、長き繩に、いくらも、釣針を付(つけ)て、島陰・岩のはざまなどに沈めをけば、一繩に、四、五十頭づつ、かゝる。甚(はなはだ)、見事にみゆるものなり。餌には、「おほうを」といふ物を、こまかに切(きり)て、釣にさし用(もちふ)るなり。
[やぶちゃん注:「はうばう」は「魴鮄」で、カサゴ目ホウボウ科ホウボウ Chelidonichthys spinosus 。「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚 寺島良安」の「保宇婆宇(ほうばう)」(ママ)の項を見られたい。私が魚類中、最も天然色が美しい魚と思う種である。実際に二十一の頃に富山湾の磯で、一度だけ、釣りあげたことがある。因みに、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種の和名の由来については、『古くから一般的に使われていた呼び名である。頭部が方形であることと、釣り上げるとしきりにホーホーと鳴くことからとされている』とあるが、事実、その時、「ボゥボゥ」と泣いたのを覚えている。]
鯛と「ひらめ」は、生(いき)たる「ひしこ」の餌ならでは、釣得(つりえ)がたし。其ゆゑに、獵師、舟の内(うち)に、瓶(びん)をのせ、水をたゝへ、「ひしこ」を、はなし飼(かひ)て、餌に用(もちふる)事なり。「ひらめ」は江戶へ送るに、舟の内を萩の枝にて、笠をかき[やぶちゃん注:「かけ」であろう。「懸け渡して」。]、その上にならべ置(おく)時は、釣(つり)たる時のまゝに、赤きいろ、かはらずしてあるなり。
[やぶちゃん注:「鯛」スズキ目スズキ亜目タイ科 Sparidae の魚類の総称。及び、生体や、切り身の肉の見た目や、魚肉の味が類似した別科の魚類にも、現在も用いられる名であるが、やはりここは一番、タイ科マダイ亜科マダイ Pagrus major を掲げておきたくなるのが、縁起担ぎの日本人の人情というものではある。因みに、真正のタイ科 Sparidae だけでも全世界で三十六属約百二十五種が属している。「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚 寺島良安」の冒頭の「たひ 鯛」、及び、ブログの「大和本草卷之十三 魚之下 棘鬣魚(タヒ) (マダイを始めとする「~ダイ」と呼ぶ多様な種群)」を参照されたい。
「ひしこ」ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus の異名。目が頭部の前方に寄っていて、口が頭部の下面にあり、目の後ろまで大きく開くことが同種の特徴で、和名「片口鰯」も「上顎は下顎に比べて大きく、片方の顎が著しく発達している」ことに由来する。私の「大和本草卷之十三 魚之下 鰛(いはし) (マイワシ・ウルメイワシ・カタクチイワシ)」の注で、細かく説明しておいた。
「ひらめ」魚上綱条鰭(硬骨魚)綱カレイ目カレイ亜目ヒラメ科ヒラメ属ヒラメ Paralichthys olivaceus に、カレイ目カレイ科 Pleuronectidae のカレイ類も含めておいた方が無難である。その理由は、私の「大和本草卷之十三 魚之下 比目魚(カレイ) (カレイ・ヒラメ・シタビラメ)」を参照されたい。]
鰹は、「ふぐ」の皮をはぎて、戶張(とばり)にして、紙のごとく白く成(なり)たるを、付木(つけぎ)のはしほどに切(きり)て、牛の角(つの)に鉤(はり)を付(つけ)、それにかけて、餌となし、釣るなり。「ふぐ」の皮、なき時は、付木を角に付ても、用(もちひ)るなり。
[やぶちゃん注:「鰹」スズキ目サバ亜目サバ科カツオ属カツオ Katsuwonus pelamis の一属一種であるが、そうでない複数種も古く「鰹」と呼ぶ。ここは、私の「日本山海名産図会 第四巻 堅魚(かつを)」がよいだろう。]
「海走(うみばしり)」・「とび魚(うを)」などの、「ひれ」ある魚の類(るゐ)は、皆、網にて、とるなり。網を、一夜、海に張置(はりおき)て、あしたに行(ゆき)て見れば、みな、網のめに、「ひれ」をつらぬきて、かゝりあるを、とる事なり。
[やぶちゃん注:「海走」この異名は不詳だが、恐らくは海水面直下を素早く走り泳ぐ条鰭綱ダツ目ダツ亜目トビウオ上科サヨリ科サヨリ属サヨリ Hyporhamphus sajori であろう。「大和本草卷之十三 魚之下 鱵魚(さより)」を参照されたい。
「とび魚」ダツ目トビウオ科 Exocoetidae のトビウオ類の総称。詳しくは、私の「大和本草卷之十三 魚之下 文鰩魚(とびうを)」を参照されたい。]
「さめ魚」は、齒、ことに、するどにして、尋常の釣繩をば、かみ切(きる)ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、ふとき繩に鉤(はり)を付(つけ)、桶を筌[やぶちゃん注:これでは「うけ」「もじり」等と呼ぶ割竹等で作った漏斗状の漁具で、内側に狭くなった口から入ってきた魚介類を閉じこめて捕獲するそれで、おかしい。底本では、編者による訂正傍注で『(浮子)』とある。「大型の固定型の浮(うき)」のことである。]にして、はなち置(おく)なり。鮫、懸りたる時は、桶、動(うごき)て、沖のかたへ出(いづ)るを合圖に、船を漕(こぎ)よせて、繩を、たぐり、「さめ」を船ばたに引(ひき)よせて、「もり」といふ物にて、つき、よわめて後(のち)、引揚(ひきあぐる)なり。「もり」を、いくらも、さす事なり。然らざれば、鮫、にげんとして、船ばたを、かみ、舟を損ずる事、多し。鮫をとりて、膓(はらわた)を、さきて、油に、にて、とるなり。「さめ」のはらには、「もり」、いくつも、あり。大抵、「もり」にてさゝれては、鮫、よわらぬゆゑ、所々のうらにて、さゝれたる「もり」、腸(はらわた)[やぶちゃん注:漢字の異体字の混用はママ。]より、いづるなり。「もり」に其主(ぬし)の姓名あるを、其所(そこ)の獵師へ、かへしやる。かしこにても、こなたのものあれば、歸し送る事なり。
[やぶちゃん注:「さめ魚」広義のサメ類。「大和本草附錄巻之二 魚類 フカノ類 (サメ類)」の私の注を見られたい。]
蛸は、常に、海老・「さゞえ」のたぐひを、好(このみ)て、くらふ。蛸のよりたる磯には、「ゑび[やぶちゃん注:ママ。]」・「さゞえ」、凡(およそ)、皆、からにて、ある事なり。「たこ」は、白きものを、うかぶれば、夫(それ)に取付(とりつく)ゆゑ、「たこを」つるには、大根に針を付(つけ)て、繩にて、ながしやれば、やがて、蛸、浮び來(きたつ)て、大こんに、取付(とりつく)故(ゆゑ)、鉤(はり)にかゝりて、釣(つれ)るなり。「いか」も、おなじ事、しろきものに取付故、大根にて釣(つる)事なり。「たこ」・「いか」のたぐひをつるには、蓑(みの)をきて、出(いづ)るなり。釣たるとき、黑き氣(き)を、はくゆゑ、蓑などにあらねば、衣服、汚れて、黑き氣、落(おち)がたし。
[やぶちゃん注:「蛸」私の記事では、腐るほどあるが、ここは「日本山海名産図会 第四巻 蛸・飯鮹」を挙げておこう。
「海老」「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚 寺島良安」(分類巻はママ)の「鰕(ゑび)」(ママ)を参照のこと。
「さゞえ」腹足綱古腹足目サザエ科リュウテン属 Turbo サザエ亜属 Batillus サザエ Turbo cornutus 或いは Turbo (Batillus) cornutus 。たまには、博物画の私の『毛利梅園「梅園介譜」 榮螺(サヽヱ)』(ママ)をどうぞ。博物誌は手っ取り早くは、私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 榮螺」を見られたい。]
「なまこ」は、海底に、ひそみ、まろび、ありく。汐(しほ)のひたるとき、步行(ありき)にて、おり立(たち)て、とる事なり。「なまこ」をとり、歸(かへり)て、「をし木」[やぶちゃん注:ママ。「折敷(おしき)」であろう。]の上に、おき、汐のさすときは、なまこを「をし木」の上にて伸(のば)して、腹にある沙を、吐(はき)いだすなり。「わら」[やぶちゃん注:「藁」。]にて、つかぬれば、つかれたる所より、きるゝ、「わら」は「なまこ」に禁物なればなり。それゆゑ、「なまこ」をくひて、食傷せしには、藁をせんじて飮(のむ)時は、卽時に、いゆると、いへり。
[やぶちゃん注:「なまこ」私はナマコ・フリークで、サイト及びブログで、多数、本草書(絵入り多し)その他を電子化注している。ここは食用のものであるから、ブログの「日本山海名産図会 第四巻 生海鼠(𤎅海鼠・海鼠膓)」がよかろう。博物学では、「畔田翠山「水族志」 (二四七) ナマコ」の私の注が最も詳しいか。ちょっと古いから、問題があるが、ブログ版「ナマコ分類表」もある。]
又、「海うなぎ」あり。其所(そこ)にては、「なまた」と稱するなり。太き茶わんほど、長さ、一、二丈のもの、有(あり)。磯にあるは、一、二尺、三尺に過(すぎ)ず。皮のいろ、こまか成(なり)小紋の形、ありて、うつくしきものなり。膏(あぶら)のなきものゆゑ、しひて[やぶちゃん注:ママ。]とる事を、せねども、時々、鉤(はり)にかゝるをば、獵師、にて、くらふに、骨、ありて、下品成(なる)ものなり。然れ共、江戶にて、「かまぼこ」に製するには、鮫に、「なまた」の肉をまじへて作ると、いへり。磯の岩間に潛(ひそ)みをるをば、人、殊に、恐るゝ。夜陰、婦人など、常に、濱邊にいでて、魚をとるときに、あやまちて、「なまた」をふむ時は、足の指を、かむ事なり。それを、おどろきて、引(ひく)ときは、指を、くひきるゆゑ、其まゝにして、しばらく、立(たち)やすらへば、「なまた」、口を、あく。其時を合圖に、足を引取(ひきと)る時は、けが、なし。
[やぶちゃん注:「海うなぎ」『其所にては、「なまた」と稱す』「ナマタ」はウナギ目ウツボ亜目ウツボ科ウツボ亜科ウツボ属ウツボ Gymnothorax kidako の江戸の異名。]
荒海ゆゑに、すべて、貝の類(たぐひ)、「はまぐり」・「あさり」などは、なし。鮑(あはび)ばかりなり。海藻も「あらめ」は、なし。「みるめのり」のたぐひなり。「のり」は島ねの岩に付(つき)てあり。至(いたつ)て、香氣(かうき)、はげしく、又、「つのまた」と云(いふ)「ところてん」に似たる藻、有(あり)。「しつくひ」に、ねりまずるもの故、江戶に出火あるごとに、「つのまた」、殊に用(よう)あれば、日々、力(ちから)を究(きはめ)て、とる事なり。壹俵、百五、六十錢のあたひになる事と、いへり。
[やぶちゃん注:貝類も海藻類も、私のフリーク・テリトリー。私の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部 寺島良安」あり。「文蛤(はまぐり)」(ハマグリ類)・「淺蜊(あさり)」(アサリ)を参照。「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類 寺島良安」あり。「海帶(あらめ)」、「みるめのり」は「水松(うみまつ)」(ミル)、「のり」は「海藻(うみのも)」その他、「つのまた」は「鹿角菜(ふのり)」(フノリ)をご覧あれかし。]