譚海 卷之九 江戶新材木町加賀屋長兵衞主人に忠盡せし事
○享保年中に、江戶、新材木町(しんざいもくちやう)、加賀屋長兵衞といふ者、有(あり)。奉公せし主人、微祿になりて、居宅の屋敷をうりはらはんとせしに、二度迄、其屋敷を請得(うけえ)て、主人の身の上を引興(ひきおこ)したり。
此事、上聽(じやうちやう)に達して、稱美(しようび)ありて、
「主人ヘ忠節の趣(おもむき)、板(いた)にゑりて、御觸(おふれ)ながしあるべし。」[やぶちゃん注:「板にゑりて」瓦版にして。]
と、ありしに、長兵衞、申上げるは、
「左やうにては、主人の名折(なをれ)と相成候も迷惑にぞんじ奉候間、御用捨可ㇾ被ㇾ下。」
段、願(ねがひ)ければ、御感心ありて、其刻(そのとき)より、公儀の門松の御用被二仰付一、今に、其家、絕(たえ)ず有(あり)。
[やぶちゃん注:「享保」一七一六年から一七三六年まで。
「新材木町」現在の中央区日本橋堀留町一丁目(グーグル・マップ・データ)。]