譚海 卷之六 大坂にて猫を盜て三味線の皮にせしものの事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。標題の「盜て」は「ぬすみて」と訓じておく。]
○大坂にて、人家の猫を盜て殺すもの、有(あり)。
其事、露顯(ろけん)して捕へられ、
「千日に於[やぶちゃん注:「おいて」。「て」は原本の脱字であろう。]、樹上へ、くゝり釣(つり)さげられ、終日、ありて、責(せめ)られぬ。」
といふ。
是は、此もの、猫の皮を剝(はぎ)て、三味線の皮とせんため、町々を、うかゞひありき、人なきひまを、うかゞひ、その家にある猫を、とらへ、やがて袂(たもと)の内へ入(いれ)て、其まゝ、ねぢ殺す。
猫、聲をも、たてず、そのまゝ死する也。
「猫の首を、とらへ、橫に、まげて、首骨を押折(おしを)れば、心易(こころやす)く死ぬる事。」
といふ。
「それを持(もち)て、雪隱(せつちん)抔(など)に入(いり)て、小刀(こがたな)にて、卽時に皮をはぎ取(とり)、肉をば、そこにすてて置(おき)、皮をはぎたる所、甚(はなはだ)奇麗にして、血にも、まみれざる物故(ゆゑ)、紙をたゝみたるやうに何疋も重ね、風呂敷に包(つつみ)てさりげな體(てい)にして、ありきたる事。」
と、いへり。
「人を殺す咎(とが)には、比(ひ)しがたけれども、如ㇾ此(かくのごとく)、數日(すじつ)しばしば、惡行(あくぎやう)をなせし故、こらさん爲(ため)、捕へられぬ。」
といふ。
[やぶちゃん注:あまり理解されていないので言っておくと、現在の高級な三味線でもやはり猫の皮が使用されている。安い物は豚皮であるが、音が各段に異なる。私の妻は琴の名手だが、三味線もやりたいと言い出し、買ったが、やはり猫皮で、ちゃんと乳が見える。買った店主に質問したところ、言葉を濁して、某半島(実際には半島名を言ったが、敢えて隠した)の某所で、専用に飼育しているという答えだった。
「千日」地名。現在の大阪府大阪市中央区千日前(せんにちまえ)附近から東の広域(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。ウィキの「千日前」によれば、『江戸初期には近郊農村であった西成郡難波村と西高津村の一部であった』。「大坂の陣」後の慶長二〇・元和元(一六一五)年、『市内の墓地の整理により』、『竹林寺』(ここ)『の南東一帯に「千日墓地」と呼ばれる大規模な墓地がつくられ、刑場・焼き場も併設された。これが後にさまざまな噂話や因縁話の原因にされることとなる。なお、大坂西町奉行所近辺にあった牢獄から本町橋を渡り西へ向かい、西横堀川で南下、道頓堀川を東へ向かい』、『千日墓地手前の刑場に向かうのが市中引き回しルート』であった、とある。まあ、流石に、市中引き回しには、ならなかっただろうがね。]
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