譚海 卷之八 備前國洞穴鍾乳の事
[やぶちゃん注:サイト「岡山観光WEB」のこちらによれば、岡山県の「井倉洞」と「満奇洞」がある(写真・地図有り)。さらに、西直近に平案時代には既に知られていた日本最古の鍾乳洞とされるスケールの大きい岡山県真庭(まにわ)市上水田(かみみずた)の「備中鐘乳穴」(びっちゅうかなちあな)(同前の独立ページ)があり、これも含めていいだろう。問題は、標題と冒頭の「備前」で、これは「備中」の誤りである。]
○備前の邑久郡(おくのこほり)[やぶちゃん注:底本に「邑久」の右に編者の補正注で『(奥の)』とある。「邑久郡」は確かに備前にあったが、瀬戸内海沿岸域で、旧邑久郡には知られた鍾乳洞はない。]に洞穴あり。
入口、盤石(ばんじやく)をうがちて、出入(でいり)するに、さはらぬやうに、かまへたり。
入(いり)て、十町[やぶちゃん注:一・〇九メートル。]程ゆけば、高き石上にのぼる、その道は、石をうがちて、階(きざはし)になせる十級(きふ)斗(ばか)り有(あり)、のぼりて見れば、そのうへ、たひらか成(なる)事、「むしろ」をしきたるごとく、座地、廣(ひろく)、甚(はなはだ)ゆるやかにして、約(やく)する[やぶちゃん注:「に」が欲しい。]、三、四十間[やぶちゃん注:五十四・五四~七十二・七二メートル。]もあるべし。
それより又、くだる道あり。おなじく、階をつくりて、くだりはてたれば、洞中、みな白璧(しらかべ)のごとく、みゆ。松明(たいまつ)に、てらしてみれば、ことごとく、石鍾乳(せきしようにゆう)なり。火うち石の如く、稜(かど)ありて、石より、垂出(たれいで)たり。それを過(すぎ)て、三町ほどゆけば、流水、有(あり)、尋常の川に異ならず。
「はじめ、渡る時は、脛(すね)を沒す。中流にては、水、臍(へそ)におよぶ。」
と云(いふ)。
「わたる向ふのきしは、又、水、脛に及(およぶ)ばかりなり。是を探(さぐり)たる人、水を恐(おそれ)て、歸りたり。水のあなたは、又、洞中の道ありて、行(ゆく)時は因幡の國へ出(いづ)る。」
と云(いふ)。
「甚(はなはだ)、近道なり。」
とぞ。
「洞口より、因幡まで、一里半ばかり有(あり)。」
と、案内の者、語りし、しなり。
[やぶちゃん注:内部のスケールと最後の「因幡」に抜けるという記載から、「備中鐘乳穴」(グーグル・マップ・データ)の可能性が高い。]