譚海 卷之九 同國福島領かひこ飼事
[やぶちゃん注:「同國」は前話(仙台)を受けて、「奥羽國」を指す。標題中の「飼」は「かふ」と訓じておく。]
○奧州福島邊は、「かひこ」を、專ら、業(なりはひ)とするなり。十里餘の間、畑は、みな、桑の木ばかり植(うゑ)て有(あり)。其桑を見るに、五、六尺に至れば、先を切斷(きりたち)て、生長させず。其根より、「ひこばへ」を、おほく生(しやう)ずるやうにして、枝のうら迄、葉、とり盡(つく)さるゝやうにせしなり。
「かひこ」にかゝるころ、行(ゆき)かゝりしに、一村、戶を、とぢ、戶の穴ある所にも、紙にて「めばり」をして、風をふせぐ事、甚(はなはだ)、嚴密なり。
「風を、うくれば、かひこ、生(おひ)たたぬ。」
よしを、いへり。
又、其所(そこ)にては、
「年々、『かひこ』の爲に、僧をしやうじ[やぶちゃん注:「招じ」。]、とぶらひをなす。」
と、いへり。
又、羽州秋田にても、
「鮭、數萬(すまん)、每年に獵するゆゑ、鮭のために卒都婆(そとば)[やぶちゃん注:「卒塔婆」。]をたて、法事をいとなむ。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:『「かひこ」にかゝるころ、行(ゆき)かゝりしに』直接体験過去の助動詞「し」(「き」)の仕様で判然とするように、これは津村の実見談である。彼は、時期は判然としないものの、奥羽地方を来往しており、秋田には実に三年も滞在しているのである。]