譚海 卷之八 うさぎ腹つゞみをうつ事
[やぶちゃん注:この前の「蟹鳥に化したる事」は、既にフライング公開している。]
○兎も鼓(つづみ)をうつ事、有(あり)。
伊豆の國へ行(ゆき)たる人の、かたりしに、
「かしこに新左衞門村と云(いふ)所有(あり)、往古の河津(かはづ)の領したる地にて、三千石の村なり。今は其地に河津氏を神に祭(まつり)て、「三社明神(さんしやみゃうじん)」とて有(あり)。山谷(やまたに)の入(いり)まじりたる所にて、兎抔(など)、殊に多し。其地の老人、ある年、三社へ參詣して、歸路に山中を過(すぎ)けるに、何やらん、物の音、きこゆ。挾箱(はさみばこ)をになひ行(ゆき)、釻(いしゆみ)の、箱にあたりて、鳴(なる)音の如し。ふしぎにおもひて、其音する所、うかゞひたるに、兎數(す)十疋、つらなり、圓居(まどゐ)して、皆々、立あがり、兩手にて、おのが腹を、うつ音なり。一度にそろひてうつ故、此音、高く聞ゆるなり。ふしぎに思ひて詠(ながめ)ゐたるに、老人、風邪(かぜ)、煩(わづら)ふ頃にて、咳(せき)を忍(しの)びたれども、こらへがたく、せきたれば、其音におどろきて、兎、殘らず、林中へかけ入(いり)たり。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「新左衞門村」「河津氏の領したる地」「三千石の村」「今は其地に河津氏を神に祭(まつり)て」「三社明神」不詳。河津周辺には三嶋(島)神社は多数ある(個人的には「社」は「嶋」の誤記のような気はする)。「山谷の入まじりたる所」とあるから、天城峠越え附近とは推理されはするが、全体、まともに読める話ではないので、考証もする気にならない。
「釻」ここは、「木などの弾力を利用して石を弾(はじ)くようにした武器」の、その弾丸に当たる「石」の意で読みを振った。にしても、この老人、かったるい比喩を用いている。「兎の腹鼓み」の音は「挟み箱を荷って歩いている者のその箱を狙って撃った石弓(弩:いしゆみ)の弾(たま)がその箱に当たって鳴ったような音」だったというのである。「老人」で「風邪」を引いており、くしゃみをしたら、兎どもが蜘蛛の子を散らすように逃げ失せた、というのは、もう、百二十%、阿呆臭い作り話だ。]