譚海 卷之七 同國熱海大瀨明神の事 附天木山絕景世家の漁師ある事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。国立国会図書館本のそれが正しい。「同國」は前の前の記事と、前の記事を受けたもので、「豆州」であり、「天木山」は「天城山」が正しい。「世家」は「せいか」で、一定の地位や俸禄を世襲していた家柄及び、その名家の家系を記録したものを意味する。]
○同國熱海の南に大瀨(おほせ)と云(いふ)所有(あり)。海上へ、三十町、さし出(いで)て、幅三、四町[やぶちゃん注:三百二十七~四百三十六メートル。]ほどある崎なり。
[やぶちゃん注:「同國熱海の南に大瀨と云所有」これは正確には「西」或いは「西南西」で、西伊豆の静岡県沼津市西浦江梨(えなし)の大瀬崎(グーグル・マップ・データ。以下同じ)のことである。]
そのとまりに、「大瀨大明神」といふ社(やしろ)、有(あり)。
「威靈(ゐれい)なる事にて、其出島の、石にても、草木にても、持歸(もちかへ)れば、祟らせ給ふ。」
とて、甚(はなはだ)、愼(つつしみ)て、侵(おか)すもの、なし。
[やぶちゃん注:「大瀨大明神」現在の大瀬神社。大瀬崎の先端部にある。]
其邊(そのあたり)、「柏(びやく)しん」の樹、多くて、二(ふた)かゝへ、三かゝへなる物、有(あり)。
[やぶちゃん注:「柏しん」「柏槇」(びゃくしん)で、裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus 。「大瀬崎のビャクシン樹林」や、「大瀬神社 御神木」(同種)が確認出来るが、ここのビャクシンはビャクシン属Juniperus 節イブキ栽培品種カイヅカイブキJuniperus chinensis 'Kaizuka'と思われる。同属は低木に分類されるものの、大樹となり(最大高二十メートル)、しかも幹が捩じれ、樹皮が縦長に裂けて薄く剝がれる。これが自らの内実を裂いて成長するように見えることから、禅宗の寺院に好んで植えられてあるのを、よく見かける。]
社前に、又、淸水(しみづ)わき出(いづ)る所、有(あり)、至而(いたつて)、淸冷(せいれい)なり。潮(しほ)の氣(け)、絕(たえ)てなき事を奇異なる事に、いへり。丹後「天の橋立」にも、松原の中に、淸水、出(いづ)る所有(あり)。地脈のゆゑによる事、はかりがたき事なり。
[やぶちゃん注:これは、「大瀬明神の神池」である。当該ウィキによれば、『大瀬崎の先端にある、最長部の直径がおよそ』百『メートルほどの池で』、『伊豆七不思議の一つ』に数えられている。『国の天然記念物である「ビャクシンの樹林」に囲まれてはいるものの、海から最も近いところでは距離が』二十『メートルほど、標高も』一『メートルほどしかなく、海が荒れた日には』、『海水が吹き込むにもかかわらず』、『淡水池であり、コイやフナ、ナマズなどの淡水魚が多数』、『生息している』。『駿河湾を挟んで北方およそ』五十『キロメートルの富士山から伏流水が湧き出ている、などとする説もある一方、海水面の上下に従って水面の高さが変わるとも言われており、何故淡水池であるかは明らかにされていない。神域であり、古くから池を調べたり』、『魚や動植物を獲ったりする者には祟りがあるとされてきた。また実際に』、『池の水が層状に分かれていた場合などに』、『機材や人などが池に入ると』、『取り返しのつかない環境破壊となる恐れが強いこと、透明度が低く』、『池の底の観察が難しいと考えられること、などから』、『今もって詳しい調査はなされておらず、水深すら不明である』とある。私は静かな西伊豆が好きで、かなりの回数、旅しているが、未だここは訪れていない。]
此邊(このあたり)、絕景にして、漁獵(ぎよれふ)の舟、常に、つどふ所なれば、伊豆の人、往々、遊山して、海味(かいみ)を、卽(そく)、そこにて、調理して、くらふ。賞翫、いはんかたなし、とぞ。
又、同國天木山(あまぎさん)も秀麗なる山なり。東海道の駅路、絕頂より眞下に、みゆ。行先は濱松の邊(あたり)までも、見とほさるれども、遠所(ゑんしよ)は目力(めぢから)およばず、蒼茫として、わかちがたし。駿州さつた・田子の浦邊は、手にとるやうに見ゆるなり。
[やぶちゃん注:天城山は静岡県賀茂郡東伊豆町のここ。私は、恐らく、六度以上、峠越えをしている。
「駿州さつた」現在の静岡県静岡市清水区由比西倉澤にある薩埵峠。
「田子の浦」歌枕として知られるそれは、現在の静岡県富士市のここ附近。]
又、同國「かく山」といふところよりは、いにしへ、うしほを、くみて、内裏の藥院に奉れるよし。その折の御製とて、かしこに、いひつたふる歌とは、
「かく山のふもとのうしほ藥にも
いたとはいふぞ内裏ことばに」
[やぶちゃん注:国立国会図書館本では、「た」の右に『しイ』(「イ」は異文の意)とあるが、これは前の「い」のそれであろう。]
と、よみて玉(たま)はせしよし、いへり。
[やぶちゃん注:「かく山」静岡県富士市今井にある「天(あま)の香久山(かぐやま)砦跡地」ぐらいしか、浮ばない。この「御製」とするもの、文献にはないようである。私は短歌嫌いなので、いい加減、調べるのに疲れた。悪しからず。]
同所諸郡に、世家の農夫、おほし。東照宮御滯留ありしものの家、二軒あり、いづれも漁獵、無年貢にて、其船には「御免」といふ文字を書(かき)たる「のぼり」さして、往來すと云(いふ)。
世家の農(のう)、持高(もちだか)によりて、高下(かうげ)もさまざま有(あり)。
世家は、今時(こんじ)衰(おとろ)ふといへ共(ども)、敢て、賤民、抗(こう)せず、尊敬する事、主君の如し。もし、その同列に備(くはは)らんとすれば、世家の内にて、家、絕(たえ)たるを、「つぶれ株」といふ物有(あり)、其「潰れ株」を買(かひ)て、住居(すまい)すれば、世家の農と、まじはりを、ひとしくせらるるなり、とぞ。
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