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2024/02/22

譚海 卷之九 房州七浦風土の事

○房州、七浦と云(いふ)所は、銚子のみなとにちかくして、東には、めにかゝる島、なし。北にあたりて、「根中の鼻」といふ、海中へさし出(いで)たるしまあり。

[やぶちゃん注:「七浦」千葉県安房郡(旧朝夷(あさい)郡)に嘗つてあった七浦村。現在の南房総市の東部(旧千倉町)。七浦漁港(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)等に、その名を留めている。

「根中の鼻」不詳。以下、不審な島名・地名が多出する。一つ、気なったのは、千葉県夷隅郡御宿町(おんじゅくまち)岩和田(いわわだ)にある「ノットの鼻」である。個人ブログ「千葉県発二日酔いまでの後悔街道の2」の「御宿3つの海を何度も行く小浦海岸1-3トンネルから海」というのが、この「ノットの鼻」を訪れたブログ主の記事と写真である。それを見ても、これは「島」では、ない。そもそも「鼻」は「岬」の異名で、島の名に附す語ではないのだ。]

 その沖の方(かた)、南に當(あたり)て、「洲の先」と云(いふ)大きなる島、有(あり)。この「洲の崎」と「根中」との、あはひ、はるかにへだたりて、天氣はるゝ日は、其間(そのあひだ)より、伊豆の島々、手にとるやうにみゆ。大島・八丈島・みやけ[やぶちゃん注:三宅島。]・砥明(とあけ)[やぶちゃん注:「利島」(としま)のことであろう。]などいふ七島、段々に沖につらなりて見ゆ。甚(はなはだ)、奇觀なり。みな、靑く見えて、草木の色は、わかたず。唯(ただ)、「みやけ島」のみ、常に、火、もえて、白くみゆるなり。晝は、けむりの、そらに立(たち)のぼる事、たえず、みゆ。夜は、火勢、赤くみゆると、いへり。

[やぶちゃん注:『「洲の先」と云大きなる島』現行、その名の島は存在しない。但し、以上のロケーションから見ると、房総半島の東京湾側の南西端に千葉県館山市洲崎(すのさき)という岬の地区ならば、ある。

「夜は、火勢、赤くみゆる」私は昭和五八(一九八三)年の三宅島の噴火の際、夜の江ノ島近くで、紅蓮の柱二本を見た。]

 七島の末にあたるを、「砥あけの島」といふ。豆腐を切(きり)たてたるごとく、四角に見ゆる島なり。

[やぶちゃん注:『七島の末にあたるを、「砥あけの島」といふ』不審。伊豆七島の「末」は八丈島である。]

 又。「すの崎」にならびて、野島といふあり。大き成(なる)島にて、人のかよひて、獵など、する所なり。其島、南へ向ひたる所、二、三丈四方、たひらかにして、砥石のごとく奇麗成(なる)事、いふばかりなし。其たひらか成(なる)眞中に、三尺四方ばかりの池あり。沖中(おきなか)に蓮花(れんげ)の形したる石、自然に生じあり。高さ四尺計(ばかり)も有(ある)べし。蓮花は一本なり。其外、島の内に、銚子・ひさけ・盃臺(さかづきだい)などとて、石にて、作りたるやうにみゆるものあり。みな、わたり、二尺ほど、高さも是に準じてあり。人作(じんさく)の、をよぶ[やぶちゃん注:ママ。]所にあらず、とぞ。

「賴朝卿遊覽の地なる。」

よしをいひ傳ふ。

[やぶちゃん注:「野島」不詳。但し、南東九十キロメートルも離れた位置だが、千葉県館山市相浜に、ごく小さい野島という島はある。「ひなたGPS」で見られたい。しかし、ここに池があって云々というような島とは思われない。次注参照。

「賴朝卿遊覽の地」「南房総市」公式サイトの「南房総市にまつわる民話」の「白浜の民話」の「頼朝の隠れ岩屋」の解説に、治承四(一一八〇)年の『昔、伊豆の』「石橋山の戦い」に『敗れた源頼朝は』、『安房に逃れてくると、味方を増やそうと精力的に動き、白浜の野島にも立ち寄りました』。『野島』(☜)『では、祀(まつ)られている弁天堂に、かたわらの岩へ、「野島山」の三文字を刻み、武運再興の願掛けをしましたが、その時、突然の時雨(しぐれ)に合い、近くの岩屋に身を寄せ雨を凌(しの)いだというのです』。『その岩屋は、「頼朝の隠れ岩屋」と称して、今も残っていますが、いつの頃からか、その岩屋には、深海に棲むという、創造の大蛸(おおだこ)が海神として祀られたのです』。『頼朝伝説を秘めた岩屋へ祀るには少し似合わない神ですが、その大蛸の海神は、海面を鎮め、豊漁を授け、そして人々に幸をもたらす事であろうというのです』。『海神となっている大蛸の前には、大鮑(おおあわび)やサザエの殻が供えられて、そこに願いを掛けた賽銭(さいせん)を投げ、見事(みごと)に貝の中へ入れば、開運間違いなしとのことです。なぜなら、貝運は開運に繋がるからというのです』とあった。ここである。ここも島ではなく、「野島埼」という岬である。]

 又、野島より、東にあたりて、黑島といふ有(あり)。是も大き成(なる)島にして、東國渡海の舟人(ふなびと)は、此黑島を殊に恐れて、「鬼ケ島」と、いひならはせり。大なるしまゆゑ、沖より、波の、よせきて、島に、うちあててかへるたびに、うづまき、おびたゞしく波の立(たつ)事ゆゑ、渡海の船、用意せねば、うづにまかれて、くつがへさるゝゆゑなり。

[やぶちゃん注:「黑島」「鬼ケ島」不詳。それに当たる島を見出せない。]

 此黑鳥に、千鳥、多く棲(すみ)てあり。朝日、東に出(いづ)れば、數千(すせん)のちどり、羽をのべて、日に、さらし、しばらくありて、ことごとく、東にむかひて、つれたちて、とびさる。

「おもしろき事。」

とぞ。よるは又、ことごとく立(たち)かへりて、島にやどる、といふ。

[やぶちゃん注:「千鳥」博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴴(ちどり)」を見られたい。チドリ目チドリ亜目チドリ科 Charadriidae に属する種の総称(「チドリ」という種は存在しない)。本邦では十二種が観察され、その内の五種が繁殖する。]

 全體、ひがしへ、さし出(いで)たる地にて、西北に、山、ひとつ、へだてて、江戶より見ゆる内海[やぶちゃん注:「江戶灣」。東京湾。]、めぐりてあれば、いづかたよりも、濱づたひならでは、行(ゆき)がたし。舟にのるにも、山を三里あまりこゑて、房總の内海にいたり、それより一日に、江戶へ來(きた)る事なり。濱つゞき、總州の方(かた)へは、ゆかるれども、「てうし」[やぶちゃん注:千葉県銚子市。]のかたへは、濱邊(はまべ)の山岸にて、汐(しほ)、さしくるゆゑ、ゆきがたき所、おほし。

 總州の濱つゞき、舟にてかよふよりは、道めぐりて、遠き所なり、とぞ。

[やぶちゃん注:津村の聴き書きの誤り、バクハツだゼッツ!!!

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