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2024/02/20

譚海 卷之八 備中吉備津宮御釜の事

○備中吉備宮の「釜祈禱」といふは、銀拾二匁、奉納すれば、おこなはるゝなり。

 其願主に成(なり)たる人、ものがたりせしは、

「釜殿とて、別に社内にかまへたる所、有(あり)。禰宜、案内して釜殿の拜殿へ、いざなふ。

 釜殿は、いたじきにて、それより坐して見れば、前にひろき土間あり。土間に、竈、二つありて、釜、二つ、すゑ有(あり)。釜の口、さしわたし三尺斗(ばかり)、盃(さかずき)のかたちのごとく、ひらきて、腹に、橫すぢ、入(いり)たる鐵釜なり。普通の釜にかはる體(てい)にあらず。

 しばらくして、大嫗巫(だいうふ)[やぶちゃん注:かなり年老いた巫女。後の「巫嫗」も同義。]、二人、「ちはや」をかけ出來(いできた)る。首髮(かうべがみ)、ことごとく白くして、殊勝に覺えたり。

[やぶちゃん注:「ちはや」小忌衣(おみごろも:斎戒用の衣)の一種で、神事に奉仕する巫女が袍(ほう:綿を包み入れた衣服)の上に着る白地の単(ひとえ)。ヤマアイ(山藍)で、水草・蝶・鳥などの模様が染めてある。袖口は縫わずに、「こより」で括(くく)る。]

 この巫嫗(ふう)、願主に揖して、

『信心を凝(こら)すやうに。』

と、いましめて後(のち)、桶より、其米(こめ)を、𪭜子[やぶちゃん注:不詳。「杓子(しやくし)」か。]に、一すくひ、とりて、かまの中(うち)へ入終(いれをは)れば、件(くだん)の禰宜、松葉、一枚づつ、二つの釜に、さしくべ、火を鑽(きり)て、付木(つけぎ)に點じ、松の葉に、さしそひて、焚(たく)。

 其時、巫嫗、しばらく、默禱して、釜の側(かたはら)の圓座に居(を)る。

 やがて、釜、音をたてて、微(かすかな)音に鳴出(なりいづ)るが、後(のち)には、其昔、甚(はなはだ)、大(おほき)くひゞきて、旁(かたはら)にて、ものいふ聲も、聞えざるやうに鳴動す。

 奇成(なる)事、いふばかりなし。

 一枝の松に點(てんじ)たる火、既に消盡(きえつくし)て、灰に成(なり)たるのちも、釜のなる事、少しも、かはらず。

 やうやう、時をへて、次第々々に、其音、減じて鳴り收(をさむ)る。」

とぞ。

「すべて、釜の鳴(なる)事、半時餘(あまり)成(なる)べし。」

と、いへり。

「鳴(なり)やみて、巫嫗、

『御釜、御きげんよく鳴玉(なりたま)ひし。』

と云(いひ)て、去れる事。」

とぞ。

「拜殿よりは、釜の内、見えざるゆゑ、あまりに鳴(なり)ひびくとき、ふしぎに思ひて、素足に成(なり)て庭中(にはうち)におりて、竃の前後、一周、𢌞(まわり)ありきて見たりしに、何のあやしき機關(からくり)も見えず。水は、元より、釜中(かまうち)に入(いれ)てありし事と見えたり。かほど、ふしぎ成(なる)事、いまだ、見聞(みきき)せず。」

と、物語せり。

「旅宿に歸(かへり)ても、御釜なる事のふしぎ成(なる)事を思居(おもひをり)て、主人にいひしかば、主人、いひけるは、

『此御釜のみに限り侍らず。我等家のかまにても、あの巫嫗、來(きたつ)て、右のごとくに、おこなひ候へば、どうやうに鳴申(なりまふす)事。』

と、いひしよし。

「ますます、不思議の事。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「備中吉備宮」岡山県岡山市北区吉備津にある吉備津神社(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。嘗ては、「吉備津彥神社」と称した。ここに示された特異な神事は、上田秋成の名作「雨月物語」の「吉備津の釜」で知られるそれで、ウィキの「鳴釜神事」の「吉備津神社の鳴釜神事」の項に、『同神社には御釜』(御竈)『殿』(おかまでん)『があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽』(そうじゃしあぞ)『地域』(ここ)。『住所では同市東阿曽』及び『西阿曽の地域に相当する)から阿曽女(あそめ、あぞめ。伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神職の娘、即ち巫女とされる)を呼んで、神職と共に神事を執り行った。現在も神職と共に女性が奉祀しており、その女性を阿曽女と呼ぶ』。『まず、釜で水を沸かし、神職が祝詞を奏上、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、混ぜると、大きな炊飯器やボイラーがうなる様な音がする。この音は「おどうじ」と呼ばれる。神職が祝詞を読み終える頃には』、『音はしなくなる。絶妙なバランスが不思議さをかもし出すが、この音は、米と蒸気等の温度差により生じる熱音響効果』『とよばれる現象と考えられている』。百『ヘルツぐらいの低い周波数の振動が高い音圧を伴って』一ミリメートル『ぐらいの穴を通ると』、『この現象が起きるとされ、家庭用のガスコンロでも』、『鉄鍋と蒸篭』(せいろ)『を使って生米を蒸すと再現できる』。『吉備津神社には鳴釜神事の起源として』、『以下の伝説が伝えられている。吉備国に、温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、吉備津彦命に首を刎ねられた。首は死んでも』、『うなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしても』、『うなり続け、御釜殿の下に埋葬しても』、『うなり続けた。これに困った吉備津彦命に、ある日』、『温羅が夢に現』わ『れ、「温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛』(あぞひめ)『に神饌を炊』(かし)がし『めれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げよう」と答え、神事が始まったという』とあった。]

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