譚海 卷之七 豆州南海八丈島風俗の事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。]
○八丈島は伊豆海邊(かいへん)より、船路七十里なり。
島の周圍十六里にて、其中央に、山、有(あり)。山の廣さ、島を三分にして一ほどなり。
その餘(よ)、人家等にて、千軒ほど、あり。田は漸(やうやう)二萬石程有(あり)。其餘は、畑のみなり。
人の食、米穀、少き故、麥五合を、一日、十人の食に充(あて)、其麥ヘ「八丈草(はちじやうさう)」と云(いふ)物の菜、「あざみ」の葉などを、まぜて、蒸(むし)て、くふなり。
女は、織物にのみ、かゝりて、是をもちて、年貢とするゆゑ、男は、耕作にのみ、かゝりて居(を)る。女は白晢(はくせき)[やぶちゃん注:膚が白いこと。]にて、髮、至(いたつ)て長く、立(たち)てありくに、地に、ひくなり。それを、四つに折疊(をりたたみ)て、背中へ、かづきて、所作をする事なり。
船着(ふなつき)、至(いたつ)て、あしければ、船着(ふねつく)時(とき)は、陸へ引上(ひきあげ)ておく故、大船は、かよふ事、叶はず。
島ぶね、長さ九間[やぶちゃん注:十六・三六二メートル。]、幅三間[やぶちゃん注:五・四五四メートル。]を最(もつとも)第一の大舟(おほぶね)とす。
江戶より極星(きよくせい)[やぶちゃん注:北極星。]二度(にど)を、たがふ故、春・夏・秋のみ、三季の國にて、冬、なし。雪、ふらず。
山歸來(さんきらい)、至て、よし。肉桂もあれど、是は下品なり。
陣屋、有(あり)、吏(り)、官[やぶちゃん注:底本では「官」に右補正傍注をして『客』とある。]に居(をり)て[やぶちゃん注:「客扱いとして在勤し」か。]、萬事を奉行す。
古へ、久敷(ひさしく)往來をせぬ國にて、年貢等を出(いだ)し、附庸(ふよう)[やぶちゃん注:本邦に従属し、その保護及び支配を受けている存在。]と成(なり)たるは、小田原北條氏より此かたの事なり。
八丈島、くろき糸は、田澁(たしぶ)[やぶちゃん注:田の水あか。田の水錆(みずさび)。]にひたし置(おき)て、數日(すじつ)有(あり)て取出(とりいだ)せば、染(そま)るなり。黃色は「八丈草」を、くだき、其汁にて、そむる、とぞ。
女は、淫(みだら)にして、夫を持(もた)ざる以前に產するもの、儘(まま)、有(あり)。是(これ)を、「偏五郞」と唱(となへ)て、家ごとに育(いく)す。
「『野合郞(やがふらう)』といふ心なるべし。」
と、いへり。
寬政三年[やぶちゃん注:一七九一年。]夏、官醫田村元長(げんちやう)、採藥御用にて渡海し、六十日、彼(かの)島に在留せし事、有(あり)。
[やぶちゃん注:「八丈草」セリ目セリ科シシウド属アシタバ Angelica keiskei の異名。当該ウィキによれば、『和名アシタバ(明日葉)の名は、強靱で発育が早く、「今日、葉を摘んでも明日には芽が出る」と形容されるほど』、『生命力が旺盛であることに由来する』とあり、『日本原産で、関東地方以西の南部、房総半島から紀伊半島南部(太平洋側)と伊豆諸島・小笠原諸島の太平洋岸に自生する』。『伊豆諸島・伊豆半島・三浦半島および房総半島の個体は、古くから自生している個体であるが、紀伊半島の個体は近年紀伊大島に移植された株である』とあり、『野菜としてアシタバが常食される八丈島は、産地として有名なことからハチジョウソウ(八丈草)の名でも呼ばれている』。『特産地の八丈島や伊豆諸島では昔から若い茎葉が食べられていたが、高い栄養価と滋養強壮効果が健康野菜として注目されて、市場にも流通するようになった』。『セリ科』Apiaceae『植物特有の香りと』、『ほのかな苦味があり、お浸しや汁の実、天ぷらなどに使われる』。『古くから薬効がある山野草として利用されてきた』歴史があり、『アシタバが利用されていた古い記録は江戸時代までさかのぼり』、貝原益軒の「大和本草」(宝永六(一七〇九)年)には、『「八丈島の民は多く植えて朝夕の糧にする」との記載が見られ』、「八丈物産誌」(寛延四・宝暦元(一七五一)年)には『栽培・収穫方法についての記述が残されている』とある。「大和本草」の記載は、二箇所あり、一つ目はウィキの言っているのは、本文立項のもので、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの板本で当該部が視認出来る。「鹹草(アシタ)」である。二つ目は右丁二行目の「鹹草(カンサウ)」がそれ。同前でこちら。それらを読むと。「本草綱目」や「文獻通考」で八丈島を「女國」と称しているのが、興味深い。
「あざみ」キク目キク科アザミ亜科アザミ連アザミ属 Cirsium の総称。アザミの若葉は食用とされ、下茹でしたりして、種々の料理に使う。そのまま天ぷらにしてもとても美味い。なお、あまり知られているとは思われないので次いでに言っておくと、「山牛蒡の漬物」として販売され、寿司屋等で呼ぶそれは、真正のヤマゴボウ(双子葉植物綱ナデシコ目ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属ヤマゴボウ Phytolacca acinosa 。葉は食用になるが、有毒植物である)ではなく、キク目キク科アザミ属モリアザミ(森薊)Cirsium dipsacolepis・オニアザミ(鬼薊)Cirsium borealinipponense・キク科ヤマボクチ属オヤマボクチ(雄山火口)Synurus pungens の根である。
「山歸來」本来は生薬(地下の根茎を利尿・解熱・解毒薬として用いる)知られる単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属ドブクリョウ Smilax glabra のことを指すが、これは本邦に自生せず(中国・インドシナ・インドに分布)、ここでは同じように生薬として用いられる本邦にも産するシオデ属サルトリイバラ Smilax china の別名である。ウィキの「サルトリイバラ」を参照されたい。グーグル画像検索「Smilax china」も併せてリンクしておく。前者リンクによれば、『薬用』として『秋に掘り上げて日干し乾燥させた根茎は薬用に使われ、利尿、解毒、皮膚病に効果があり、リウマチの体質改善に役立つと考えられてきた』。『漢方では菝葜(ばつかつ)とよんで、膀胱炎や腫れ物に治療薬として使われる』。『民間療法として、おでき、にきび、腫れ物などに、乾燥根茎』を『服用する用法が知られている』とあり、『食用』の項には、『若葉は』五~六『月、果実は』十~十一『月ころに採取し、食用にできる』。『若葉は』、『くせがなく、軽く茹でて』、『水にさらし、おひたしや和え物、炒め物などに調理される』。『赤い果実は、そのまま生食したり、焼酎に果糖を加えて漬け込んで果実酒にもできる』。『四国地方などの西日本の地域では、葉で菓子や柏餅を包む風習もある』。『紀州や中勢地域などでは、サルトリイバラの葉で包むので柏餅とはよばず、五郎四郎餅』や、「いばらまんじゅう」と『よばれる。かつては、葉を乾燥させてお茶代わりに飲んだり、タバコに混ぜたりしたといわれる』ともあった。
「肉桂」先の「譚海 卷の七 江戶源兵衞店水戶家藏屋敷肉桂の事」を参照されたい。
『夫を持ざる以前に產するもの、儘、有。是を、「偏五郞」と唱て、家ごとに育す』これは、ここに限ったことではなく、当時の日本の民俗社会では普通に行われた風習である。運命共同体たる村落集団では当たり前のことであった。嬰児放棄や子殺しの蔓延している現代の方が、遙かに野蛮である。
「田村元長」(元文四(一七三九)年~寛政五(一七九三)年)は幕医で本草家。名は善之、号は西湖。同職であった日本最初の「物産会」を平賀源内らと開いたことで知られる田村藍水の長男。優れた博物学者であった栗本丹州の兄。江戸生まれ。ここに記された伊豆諸島での薬草採集は、後に博物誌「豆州諸島物產圖說」に結実した。]
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