譚海 卷之八 枇杷葉湯に昆布毒の事
○天明の比(ころ)より、「京都烏丸(からすまる)枇杷葉湯(びはえふたう)」とて、數人(すにん)、大路を賣(うり)て往來する事、たえず。
箱の内に藥爐(やくろ)を仕(し)つけて、途中にて、往來の人に、のましめ、渡世とす。
寬政二年七月の比、ある浪人、いとあつきに、たへず、此(この)「びはよふ湯」を呼(よび)て飮けるに、其夜、悶絕して、人心地(ひとごこち)なく、目ばかり、きらめき、臥(ふし)たりしに、召仕(めしつか)へる僕(しもべ)、松前の者にて、驚き怪(あやし)み、
「是は、晝、昆布を料理して喰れたるゆゑ、批杷、のみあはせ、あしく、かく、あたられたる成(なる)べし。」
とて、やがて、昆布の毒をけす藥を、はしり行(ゆき)て調(ととのへ)、歸りて、主人へ飮(のま)せければ、蘇生したり。
仔細を尋(たづね)たるに、
「在所、松前には、枇杷の樹を生(しやう)ぜず。寒國(さむきくに)といへども、昆布の出(いづ)る地には、必(かならず)、生ぜざる。」
よし。
「されば、昆布と枇杷とは、合せ喰(くふ)事を禁じて、恐るゝ事、甚(はなはだ)し。萬一、枇杷、昆布、喰合(くひあは)せて、毒にあたりける時は、『あらめ』を、せんじて飮(のむ)時は、やがて解(かい)する事故(ゆゑ)、心付(こころづき)て、かく、せし。」
と、かたりぬ。
[やぶちゃん注:「枇杷葉湯」枇杷の葉の毛を除いて乾燥させたものに、肉桂や甘茶などを細かく切って混ぜた散薬。また、それを煎じた汁。食傷・暑気あたり・急性痢病などに効くという。京都烏丸に本舗があり、江戸では馬喰町三丁目で山口屋又三郎が販売した。「本家京都烏丸、枇杷葉湯山口屋又三郞」と記した長方形の箱の中に、茶釜・茶碗等を入れ、天秤で担いで、往来で煎じて飲ませた。また、夏期には、烏丸の本舗及び江戸の取次店では、店頭に調製しておいたものを通行人に無料で飲ませた。「からすまる」とも呼ぶ。ここに出る、枇杷葉湯と昆布の禁忌は本当かどうかは、よく判らないが、コンブは、甲状腺疾患(この武士の急性症状は、それを指しているようには見える)を罹患している人の場合、ヨードが非常に多く含まれるため、絶対禁忌とされている。しかし、枇杷葉湯が、さらにヨードを増やすかどうかは、判らない。ただ、甚だ不審なのは、下僕が「あらめ」等毛植物門褐藻綱コンブ目レッソニア科 Lessoniaceae アラメ(荒布)属アラメ Eisenia bicyclis を与えていることである。アラメはヨードが多いんですけど? アラメについては、私の「大和本草卷之八 草之四 海藻類 始動 / 海帶 (アラメ)」及び注のリンク先を、また「昆布」は種が多様なので、是非、「大和本草卷之八 草之四 昆布 (コンブ類)」の私の注を見られたい。因みに私は海藻・海草のフリークである。]