譚海 卷之九 相州秋田家士小野寺桂之助事
[やぶちゃん注:標題及び本文の「相州秋田」はママ。国立国会図書館本の「目錄」でも同じであるが、以下が「秋田家士」であり、本文も以下の通り、「相州」ではなく、「羽州」であるので、「目錄」の「相州」は「羽州」の誤りである。
なお、この前の話「駿州吉川吉實家藏鈴石の事」は既にフライング公開してある。]
○羽州秋田家中に小野寺桂之助と云(いふ)あり。
先祖某(ぼう)は、甲州武田家の名士にて、晚年、秋田に寄食し、九十二歲にて卒せり。
其人、老後、行水(ぎやうずい)せし時、家來に、肩を、あらはせけるに、肩先に「こぶ」ありしかば、
「あらふ。」
とて、すり落(おと)したるに、落(おち)て、聲(こゑ)、有(あり)ければ、家來、取揚(とりあげ)て見るに、鐵炮玉(てうぱうだま)の、肉に、くるまりて、「こぶ」に成(なり)てありしなり。
則(すなはち)、主人に、とふに、
「いか成事にや、おぼへぬ。」
よし。
「但(ただし)、前年、某(ぼう)の戰場にて、鐵炮にて、脇はらを、うたれし事ありしが、その玉の、肩ヘのぼりて、「こぶ」に成(なり)たるにや。」
と答ける、とぞ。
[やぶちゃん注:手塚治虫先生の名作『ブラック・ジャック』の第二十九話「ときには真珠のように」(初出『少年チャンピオン』一九七四年七月一日号)を思い出す。主人公ブラック・ジャックが少年の時の瀕死の事故に遭い、それを救い、謂わば、彼の恩師となった医師本間丈太郎のウィキから引くと、『BJ』(ブラック・ジャック)『の家に突如、奇妙な殻に包まれたメスが届く。宛名には「J・H」と書かれており、それが本間から届いたことに気付く。BJは急遽本間の家へと急ぎ、布団で寝たきりの本間を見舞う』。『そこで本間は昔、BJの手術中に体内にメスを置き忘れ』たことに気づくが、七年も経って『再び手術をした際に』、『カルシウムの殻につつまれたメス、すなわちBJの元に届いたメスを発見したことを話し、懺悔する。本間は』、『そのことがきっかけで、生命の不思議さと医学の難しさに気づいたのである』。『懺悔を終えた本間の意識は遠のき』(以下は同作の台詞のままに示す)、
「……な なあ ど どんな医学だって せ 生命のふしぎさには…かはわん…」「に 人間が 生きものの生き死にを じ 自由に し しようなんて おこがましい とは お お 思わんかね……」
『と言い残して意識を失う』。『BJは』、『本間を近くの病院へ搬送して手術するものの』、『彼の意識は戻らず、まもなく死亡が確認される。死因は老衰、つまり限りなく自然に近い「人の死」だった。完璧な処置をしたにもかかわらず』、『恩師を救えなかったことで悲嘆に暮れるBJの脳裏に、先述の本間の言葉が過』(よぎ)『るのだった』というストーリーである(但し、レッジコミュニティ・Q&Aサイト「Quora」当該話についての質問に対し、医師の複数回答では、メスを忘れるというのは、まず極めて稀れであり、鉗子ならあり得るかも知れないと言った感じで答えられてあり、別な回答者は、『カルシウム沈着が起こるのは正常な体では、唾液と歯がある場所か、あるいは造骨細胞が働いている場所のみで起こります。造骨細胞は骨の表面や内部でしか活動しませんし、沈着対象は他の種類の細胞が取り付いていないコラーゲン組織です。体組織が石灰化する難病は存在しますが、特定の場所だけに都合良く発現するようなものではありません』。『ステンレスメスですと、ニッケル等を含んでいるので異物として見なされ』、『炎症反応が起きます。体腔内であれば』、『普通は腹膜炎になります。作中でも奇跡扱いだったと思いますが、実際にあれば奇跡だと思います』とあったことを言い添えておく)。病院の玄関外で、しゃがみ込んだ憔悴したブラック・ジャックに、本間先生の影が寄り添って、先の台詞を語る最後のコマが、脳裡に焼きついている一篇である。]