譚海 卷之八 因幡・石見・伯耆銀札の事
○因幡・石見・伯耆三ケ國は、國中(くにぢゆう)、皆、銀札(ぎんさつ)通用にて、金銀を、いまだ、目に見ざる者、おほし。剩(あまつさへ)、領主限(かぎり)の銀札ゆゑ、それをしらずして、此國の銀札を持(もち)て、他領へ至れば、僅(わづか)小路(こうぢ)ひとつ、家一つ鄰でも、
「他領の銀札成(なり)。」
とて、もちひざるゆゑ、案内をしらぬものは、往來に無益の損毛(そんもう)ありて、いたづらに銀札を道に捨(すて)て行(ゆく)者、おほし、とぞ。
[やぶちゃん注:「銀札」江戸時代、銀で額面を表示した紙幣。藩札・私札のうち、大部分を占めたが、匁・分を貨幣単位とする銀札は、金札に比べて小額で、額面単位の刻みも多くできたため、種類も豊富で、発行者にとっても重宝であった。原則として、銀貨との交換が発行者によって保証されたが、乱発によって減価したり、交換が困難になる事態も見られた。明治元(一八六八)年の「銀目廃止」に伴って、多くの藩で金札や銭札に改めた(山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」に拠った)。]
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