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2024/02/04

「蘆江怪談集」 「惡業地藏」

[やぶちゃん注:本書書誌・底本・凡例は初回を参照されたい。本篇の底本本文の開始位置はここなお、この前のページのパート標題は、実は、「惡 業 地 獄」となっている。しかし、「目次」では「惡 業 地 藏」となっている。しかし、本文の左ページの柱は開始位置から最後まで「惡 業 地 藏」である。『ウェッジ文庫』版の奥附の前にある編集部による「編集附記」の最後に、『「悪業地蔵」は原本作品扉に「悪業地獄」と記されているが、本文柱・目次等では「悪業地蔵」と記載されており、また内容から推しても扉の表記は誤植と考えられる。本書では「悪業地蔵」とした』と記してある。これらから、『ウェッジ文庫』編集部の見解が正しいと考え、特異的に標題を「惡 業 地 藏」と訂することとした。読みは、私の判断で「あくごふぢざう」と読んでおく。

 

 

    惡 業 地 藏

 

 

         

 

 根岸に手頃(てごろ)な家を見付(みつけ)けましたので、引移(ひきうつ)しました。目當りもよし、間取(まど)りもよし、第一家賃が、馬鹿に格安(かくやす)な上に、庭も相當(さうたう)廣(ひろ)くて、どことなくのんびり出來た家でした。

 引移しの騷(さわ)ぎが、すつかり片付いたのは夕方(ゆふがた)、行水(ぎやうずゐ)をすまして、表へ出ると、うしろからいつもの通(とほ)りジヨンがついて來(き)ます。

 まだ御行(おぎやう)の松が靑々(あをあを)と茂つてゐる頃でした。土地柄(とちがら)、蚊(か)の多いのは閉口(へいこう)ですが、皆、しもた家のつゞきで夕方の散步(さんぽ)ごゝろもよし、煙草の烟(けむり)だつて、ふわりふわり[やぶちゃん注:ママ。但し、底本では後半は踊り字「〱」。]と淀(よど)むやうな靜かな町です。左へ出れば花見寺(はなみでら)、右へ出れば日暮里道と思(おも)ひながら片側町(かたがはまち)にさしかゝると、今までキヨトキヨト走(はし)つてゐたジヨンが、ぴつたり、足(あし)をとめて、そばの空[やぶちゃん注:「から」。]どぶをのぞき込みながら頻(しき)りと吠(ほ)え立(た)てます。

「ジヨンジヨン」と呼(よ)んでも犬(いぬ)は身動きもせず、

「へんな奴がゐるんですよ。一寸(ちよつと)こゝまで戾(もど)つて下さいまし」とでも、いひさうな顏(かほ)で、どぶに首をつゝ込んでは、吠(ほ)える。

「何だい、何(なに)を吠(ほ)えてゐるんだえ」

 といひながら、どぶを覗(のぞ)き込(こ)むと、圓い石に、目鼻の彫(ほ)つたのがころがつてゐる。

 地藏樣(じぞう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])の首らしいと、思つて、どぶの向(むか)ふを見ると、そこには首のない地藏の胴體(どうたい)が、臺座(だいざ)の上でのんきさうに立(た)つておいでになる。

 首なし地藏なのです。いや地藏樣の首(くび)をチヨン切(ぎ)つて、どぶへ捨(す)てゝあると云つた方が早判(はやわ)りです。

「ジヨンの奴(やつ)、いやに信心氣(しんじんき)を出して、お地藏樣の首を拾(ひろ)つてやれといふのか」

 私はかう思つて、首(くび)をひろひました、十二三の子供(こども)の頭ほどもありましたが、兩手(りやうて)に持つて、づゝしり持重(もちおも)りのするほどなのを、どうやら持上(もちあ)げて、胴體(どうたい)の上へ載(の)せて見ますと、割れ目がぴつたり合つて、地藏樣(ぢぞうさま)はニツコリお笑(わら)ひになつた。かと思はれる氣持です。

「ジヨンや、これで氣(き)が濟(す)んだかえ」といへば、ジヨンの奴(やつ)も、滿足(まんぞく)さうに小首をひねつて、またウーウーと呻(うな)つてゐる。

「もしもし、そんないたづらをしちやいけません」

 突然(とつぜん)、橫あひから聲をかけたのは、大家(おほや)さんでした。

「いたづらなもんですか、勿體(もつたい)ない、お地藏樣の首を、どぶの中へ轉(ころ)がしてあつたから胴體(どうたい)へお載(の)せ申(まを)したんです」

「飛(と)んでもない、これは首なし地藏で通(とほ)つてゐるんです。此首(このくび)をつなぐと、祟(たゝ)りがあります」

 大家さんはかう云(い)つて、いろいろ先例(せんれい)を並(なら)べはじめました。此前の住人(ぢうにん)は、此首をつないだゝめに腦溢血(なういつけつ)で死んだの。其前の人は夫婦別(ふうふわか)れをしたの。ある通りがゝりの人が、首(くび)をつなぐと、何丁もあるかぬ中に、踏切(ふみきり)で汽車に轢(し)かれて死んだの、……凄(すご)い話ばかりです。

 私も一寸(ちよつと)驚(おどろ)きましたが、如何にも理窟(りくつ)が合はない。

 「冗談(じようだん)云(い)つちやいけない、大家(おほや)さんの前だけれど、お地藏樣の首(くび)を刎(は)ねて、どぶの中へ蹴轉(けころ)げしたらそれこそ罰(ばち)が當(あた)るつて事もあるだらうが、とれたお首をつないでわるいんです」と、こんな風(ふう)に云(い)ひ張(は)つて見ました。すると、大家さんは、

「へん、勝手(かつて)になさいまし、人のいけないといふ事(こと)をやつて、いまに思(おも)ひ知(し)る事があるから」と、づけづけ云(い)つてゐます。さりとて、此首(このくび)を橫(よこ)あひから、他の人が乘(の)せたつて、災難(さいなん)をのがれるわけのものぢやないさうで、結句(けつく)、首(くび)なし地藏(ぢざう)は私によつて、首あり地藏となつたのです。

 ところが、それかあらぬか、私のうちでは覿面(てきめん)に不幸續(ふかうつゞ)き、災難つゞきといふわけです。私が病氣(びやうき)になる。私の仕事にまちがひが起る、家族(かぞく)の誰れかれが病氣になる。遠國(ゑんごく)にゐる伯父(をぢ)さんまでが電車にはね飛(と)ばされて、瀕死(ひんし)の重傷を負ふといふ風で、いやもう散々(さんざん)です。

「きつと、あのお地藏樣が、祟(たゝ)つたんでせう」と、家内は怖(こは)がつてしきりに、お地藏樣の首(くび)をはづして置(お)けといひつゞけるのです。

「あ、その中(うち)に、はづすよ」とは云つたものゝ、私としては、折角(せつかく)どぶから拾(ひろ)ひ上(あ)げたお首を、私の手で引(ひつ)ぱづして、どぶへ捨(すて)るつて事がいかにも勿體(もつたい)なくて、出來兼(できか)ねます。つひつひ、其儘に過(す)ごして、お地藏樣の首は安穩(あんをん)につながつておいででした。

 

          

 

 ところへ、もう一つ不思議(ふしぎ)が持上りました。不思議といふのは、每晚(まいばん)夜半(よなか)の二時といふ時間にきまつてジヨンが遠吠(とほぼ)えをはじめる事です。始めの中は

「火事(くわじ)でもあるしらせか」などゝ云(い)つてましたが、あんまり每晚(まいばん)つゞくので、ヘンだなといふ事になりました。

「泥棒にでも覘(ねら)はれてゐるのか」

「二時ごろから啼(な)きはじめて、あけ方の四時(じ)に、ぴつたり止(や)める、といふのがをかしい」

 ある晚(ばん)、犬がほえはじめた午前二時に、私は下男(げなん)をつれて、鳥打帽子(とりうちばうし)に尻(しり)ばしより、木太刀(きだち)と棍棒(こんぼう)を抱込(かゝへこ)んで、家のまはりを見(み)まはりはじめました。

 裏口から出て、塀(へい)に沿ふて、表の方へと、家の裏手(うらて)へかゝると、そこに、ジヨンの奴(やつ)、足を踏(ふ)んばりながら、家の中に向つて、やけに吠(ほ)えつゞけてゐます。そこは物置(ものおき)のあるところです。

「いつでも、こゝで吠えるやうだな」

「さうでごぎいます。ご時打つと同時に吠(ほ)えはじめて、四時(じ)が打つと、ぴつたりやめて、犬小屋(いぬごや)へ入(はい)つて了(しま)ふやうです」

「塀(へい)の下に、蛇(へび)でもゐるんぢやないか」

「あるいは物置の中に鼬(いたち)か貂(むじな)でも死んでるのかも知れません」

 兎(と)に角(かく)といふので、翌日(よくじつ)、物置と、塀(へい)のあたりを、家中總がゝりで調(しら)べはじめました。

[やぶちゃん注:「貂(むじな)」の漢字はママ。「貂」は「てん」で、「むじな」とは読まない。「貉」の誤植か、或いは、蘆江の思い込みの誤用か。因みに、「むじな」は狭義にはニホンアナグマを指すが、本邦の民俗社会では、ホンドタヌキ、或いは、ハクビシン(私はハクビシンは近代に台湾から齎された外来種と考えているので、「貉」と同義とすることには否定的である)を指す。]

 

         

 

 全體(ぜんたい)この家は、以前、ある大身(たいしん)の旗本が下邸(しもやしき)に建てた家で、廣い母屋(おもや)の外に隱居所(いんきよじよ)のやうな離れが出來てゐます。その離(はな)れを、先住者の軍人が二つに仕切(しき)つて、一方を馬丁(ばてい)の住居に、殘(のこ)りの一しきりを物置(ものおき)に使つてゐたらしく、私が往(す)むやうになつてからは、別に馬丁(ばてい)などもゐないので離れそつくりを、物置(ものおき)につかつてゐましたのです。

 で、早速(さつそく)、翌日は早朝(さうてう)から、その物置の大掃除(おほそうぢ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])をはじめました。部屋の中、床下(ゆかした)、屋根(やね)うらまで、手の屆(とゞ)く限り掃除もし、つゝきはしても見ましたが、鼬(いたち)の死骸(しがい)も出なければ、大蛇などのもぐつてゐる穴(あな)もありません、結局犬の吠える理由(りいう)は判(わか)らずじまひでした。

 次の日は朝から雨で、近頃(ちかごろ)めつきり陰氣(いんき)になつた家の中が、更に欝陶(うつたう)しさを增(ま)しましたので、家中集まつて花合(はなあは)せでもしようかといふ事になりました。といふのは、きのふ、物置の掃除(さうぢ)の折に、思ひがけない場所へ、花札(はなふだ)をしまひ込んでゐた事を發見(はつけん)したからです。

 で、物置の簞笥(たんす)のひきだしまで、花札(はなふだ)をとりに行つた女中が、戾(もど)つて來る時に、顏色(かほいろ)をかへて

「あのね、奧樣(おくさま)、物置がへんなんでございますよ」といひます。

 一同の目は女中の顏(かほ)へ集(あつ)まりました。

「簞笥(たんす)の橫から、靑い火が、ポツポツと燃(も)えてゐます」皆、ぞつとしました。

 兎に角と、皆(みんな)がつながるやうに行つて見ると、なるほど、簞笥の橫手(よこて)に、もやもやとけむりのやうな火(ひ)のやうなものが見える。

 きのふ、掃除の時に、簞笥(たんす)の置(お)き場(ば)をかへたのですが、丁度(ちやうど)靑(あを)い火のもえてゐるところは、前に簞笥(たんす)のかげになってゐた場所です。

「化(ば)けもの正體(しやうたい)が、こゝにあるんだな」

 懷中電燈を照(てら)して見ると、別に何もない。只(たゞ)疊(たゝみ)が五寸四方ばかりづゝ三ケ所、どす黑(ぐろ)く腐(くさ)つたやうになつてゐるだけです。

「血(ち)の痕(あと)ぢやありませんか」

 だれかゞずつと昔(むかし)、この疊で腹でも斬(き)つたのが、あとになつて……などゝすぐに考(かんが)へましたが、

「だつてお前、この疊(たゝみ)は、うちでかへたんだから」といふわけで、どうも、シミの原因(げんいん)が判(わか)らない。

 疊(たゝみ)をあげて見ると、ねだ板が、ヘンに腐(くさ)つてゐます、ねだ板のくさりが疊の底(そこ)から上へ通(とほ)したのかと思はれるやうなくさり方です。

「たしかに、血(ち)の痕(あと)だ。ずつと以前、恐らくこの家が旗本邸(はたもとやしき)であつた時分、そして、此の物置が隱居所(いんきよじよ)の佛間でゞもあつた頃、こゝで切腹(せつぷく)をした人があるのかも知れないよ」

 話はかういふ風に解決しました。併(しか)し、犬の吠える原因(げんいん)については何の解決もつきません。

「あの隱居所で、だれが切腹(せつぷく)したんですか」と、大家(おほや)さんへ、カマをかけて見ましたら、大家さん、目を丸(まる)くして

「誰にお聞きでした」と問(と)ひかへす。

「一寸(ちよつと)あるところで聞いたのですが」と、話(はなし)の糸口(いとぐち)を引ぱり出すと、

「實は、お聞(き)かせするやうな話ぢやありませんが、旗本邸(はたもとてい)であつた時分、その主人が切腹(せつぷく)をしたのださうで」と云ひました。

 どんな理由(りいう)で切腹をしたにもせよ、こんな腐(くさ)つたねだ板(いた)を、其儘(そのまゝ)にして置くのは氣持が惡(わる)いからと大家さんにも相談(さうだん)の上、ねだ板を仕(し)かへる事になりました。

 すぐに大工(だいく)を入れましたが、仕事(しごと)にかゝつた大工が

「もし旦那、あの隱居所(いんきよじよ)には、かくれ間(ま)がつくつてあるのですか」と聞きに來た。

「いや、かくれ間なんぞ、そんなものはない筈(はづ[やぶちゃん注:ママ。])だが」

「さうですかねえ、實はあの板ばりへ金槌をあてたら、カーンカーンと響(ひゞ)いて、へんな音を立てますんでねえ」と迂散(さん)くさゝうに云ひます。

「どんな音(おと)がするんだ」

「羽目板の向ふに、もう一間、祕密(ひみつ)の部屋が出來てゐるやうなんです」

「をかしいね、第一、そんなゆとりはないぢやないか、すぐ外(そと)は堀(ほり)なんだから」

「さあ私も、さうは思(おも)つてゐるんですが、それにしてもへんだな」

 大工は小首(こくび)をひねつて、合點(がてん)のゆかぬ樣子でしたが、

「あの羽目板を、少しばかりはづして見(み)てもよいでせうか」といひます。

 恰度(ちやうど)幸(さいは)ひ、殊(こと)によつたら、犬の吠(ほ)える理由も判るか知れないと、板張(いたば)りを外させる事にしました。

 板ばりは食ひ合せのしつかりした、手丈夫(てじやうぶ)な仕事になつてゐましたが、どうやら外(はづ)して見ると板の向ふから、すうつと冷(つめ)たい風(かぜ)が來るといふのです。

「やつぱりさうだ、この奧(おく)に隱(かく)し部屋(べや)がつけてあるんですよ」

 五寸巾(すんはゞ)の板を二枚(まい)はづしたら、果して、板ばりの向ふは奧行(おくゆき)二尺ぐらゐの空地(あきち)をとつてあるやうで、眞暗(まつくら)でつめたくて、何となく悽慘(せいさん)な氣持です。

 と思ふ途端(とたん)に、ジヨンの奴(やつ)が盛んに吠えはじめました。火のつくやうな聲(こゑ)で吠(ほ)えるかと思ふと哀しさうに遠吠(とほぼ)えをします。而(しか)も、尻尾(しつぽ)をすっかり股(また)の下へ折り込んでゐるところを見ると、怖(こは)くてたまらない、といふ樣子(やうす)なのです。

 到頭大工は板を三枚ほどめくりました。そこへ懷中電燈(くわいちうでんとう)をさしつけると、今まで、隱居所(いんきよじよ)の板張だと思つたのは、上(うは)ばりで、その奧(おく)へ更(さら)に二尺ぐらゐ隔(へだ)てたところに本當の壁(かべ)がついてゐる。つまりこの部屋(へや)は不思議な二重張(ぢうばり)の壁(かべ)になつてゐるのだといふ事が判(わか)りました。

「祕密室(ひみつしつ)でもないやうですが、妙(めう)な事をしたものですね。廣(ひろ)くつかへる部屋に、わざわざ、こんな仕切りをつけて、狹(せま)くするなんて」獨(ひと)り言(ごと)をいひながら大工は、氣昧惡(きみわる)さうに、仕切りの中をのぞき込(こ)んでゐましたが、

「アツ」と奇妙(きめう)な聲をあげました。

「何(なん)だ、何があるんだ」

「あそこに、あそこに、へんなものが」

 少し慄(ふる)へ聲(ごゑ)です、大工の指す方へ電燈(でんとう)をさしつけると、古(ふる)い古い藁(わら)むしろをかぶつたものが薄暗(うすぐら)く冷(つめ)たい空間(くうかん)に、しよんぼりと立つてゐます。

「人間の屍骸を、菰(こも)でまいて、立たせてあるんでせうか」

 大工はかう云ひました。私も無論(むろん)さうだと思つて、その莚(むしろ)づゝみのあるあたりの破目板(はめいた)がはづれた時、そつと、莚(むしろ)の𨻶間(すきま)をのぞくと、この人型(ひとがた)の莚づつみの内側には、荒繩(あらなは)がまきつけられてある。

「莚(むしろ)をとつて見ませうか」

「お待ち、警察(けいさつ)へ屆(とゞ)けなけあいけないだらう」

「さうでござんすね」大工は尙(な)ほ仔細(しさい)に隅々を檢分(けんぶん)してゐましたが、

「旦那、こいつは人間の屍骸(しがい)ぢやございません。人間の形(かたち)はしてゐるが、石の地藏(ぢぞう[やぶちゃん注:ママ。])のやうなものですよ」

 それなれば別段(べつだん)、警察(けいさつ)にも及ぶまい、稍々(やゝ)安心(あんしん)してむしろを取りのけました。

 身の丈二尺ほどの石の地藏をこんな狹くるしいところへ建(た)てた上に、荒繩(あらなは)で、がんじがらみに縛(しば)り上(あ)げてあるのです。

 

         

 

 この家は妙(めう)な家だ。表には首(くび)なし地藏(ぢぞう)、裏には縛(しば)られ地藏、一體(たい)何(なん)のいはれで、このお地藏樣たちは、あんな慘たらしい責苦(せめく)にお逢(あ)ひなさるのだらう。

 と、その晚、例(れい)によつて、犬が吠(ほ)えはじめた時(とき)、私たちは云ひました。

「ジヨンはあのお地藏さまを吠えてゐるんでせうか」

「さうかも知(し)れない、始めに、表(おもて)の首なし地藏の首に吠えたんだ」

「あなた、あのお首(くび)を早く、引ぱづして、どぶの中へ戾(もど)して下(くだ)さい」女房は、これをしきりに氣にしてゐました。

「うん、さうかも知(し)れない」と私はいひましたが、翌朝(よくてう)になると、不圖(ふと)考(かんが)へました。首なし地藏と縛(しば)られ地藏、何か關係(くわんけい)があるに相違(さうゐ)ない。とすると表(おもて)のお地藏樣のお首をつないであげたのだから、裏(うら)のお地藏樣のお繩(なは)も解(と)いてあげたら、好いではないか。で、早速(さつそく)、表のお首(くび)を引ぱづす代りに、裏(うら)の地藏の繩(なは)を切りほどいて了(しま)ひました。丁度、表の地藏と同じやうな大きさで、同じやうなお姿(すがた)です。で、繩を解きほごした時、地藏の胸(むね)のあたりからぱらりと落(お)ちたものがある。ぼろぼろになつた手紙(てがみ)一通(つう)です。何十年縛られてゐたものか、ぼろぼろになつて、字性(じしやう)も判(わか)らず紙質も黑(くろ)ずんでゐますが、文字(もじ)のどす黑い樣子(やうす)が、血で書いたものではないかと思はれる。

 四十二歲男……石切國七郞……奉祈(ほうき)……墮地獄(だじごく)……

 などといふ文字(もじ)が拾(ひろ)ひ讀(よ)まれました。紛(まぎ)れもない呪咀(じゆそ)の文言(ぶんげん)です。私は、地藏を水で洗つてあげて、胴體(どうたい)をすつかりしらべて見ると、ずつと裾(すそ)の方に、かすかな刀(かたな)のあとがあつて、

 願主(ぐわんしゆ)二十二歲女。とあります。

 その文字を讀(よ)みとつてゐる中に不圖(ふと)氣(き)がつきましたので、すぐに、表へ出て、表の地藏の裾(すそ)のあたりをよくしらべて見ると、これにも果(はた)して、

 願主(ぐわんしゆ)廿二歲女。とありました。

 同じ二十二歲女とあるからは一人の女が、二人の男(をとこ)を呪ふために建(た)てた地藏かあるひは[やぶちゃん注:ママ。]、二十二歲の女の思ふ男二人を誰(だれ)か他(た)のものが呪(のろ)つたのか、何れにしても、二體(たい)の地藏尊につながりのある事だけは判(わか)りました。

 で、もう一度(ど)大家(おほや)さんへ行つて、旗本(はたもと)の名前といふのを聞きますと、

「さあ、私も、よくは存(ぞん)じませんが、服部(はつとり)とかいふやうに聞いて居ります。何でも彰義隊(しやうぎたい)の戰爭に出た人だとかいふ事でございますよ」といひました。中年者(ちうねんもの)の大家さんですが、俄成金(にはかなりきん)で、この家を買(か)つたまでの事で、文字(もじ)[やぶちゃん注:ここは「學問」の意であろう。]もなければ、趣味(しゆみ)もないといふ人物(じんぶつ)ですから、これ以上、話相手にはなりません。前(まへ)の家主が、山の手に、逼塞(ひつそく)してゐるやうだから、あしたになつたら、聞きに行つて見ませうと思ひ思ひ、其晚(そのばん)はやすみました。[やぶちゃん注:最後の一文は、ちょっと不全である。]

 不思議に其晚から、犬(いぬ)が吠(ほ)えなくなりました。

「それ御覽(ごらん)、お地藏樣のお繩を解(と)いてあげたからなんだ」

 かう云つて、私は好(い)い心持(こゝろもち)になつてゐました。

「きつと二十二の女が、自分の良人(をつと)か情人(じやうにん)かを、四十二になる岩切何某(いはきりなにばう)といふ男にいぢめられるのがくやしくつて呪(のろ)ひをかけたんぢやないか」と私がいひますと、

「でも、それならば縛(しば)つたり首(くび)を落(おと)したりする筈(はづ[やぶちゃん注:ママ。])はないぢやありませんか」と女房がいひます。

「いや、それは、岩切といふ奴(やつ)が殘つたんだらう」[やぶちゃん注:「殘つた」「そこなつた」と訓じておく。]

「でも、お地藏樣(おじぞうさま)二體(たい)おまつりするのは、どういふわけでせう」

「さあこれが、つまり女つてやつは、執念(しうねん)が深いし愚痴(ぐち)なもんだから、一つで足(た)りなくて――」

「え、え、どうせさうですよ」

 女房(にようぼ)はツンとして了(しま)つた。いつものヒステリーが起(おこ)りはじめた、えらい事になりさうなところまで行つた時、天井(てんじやう)で、カタリと音(おと)がした、かと思ふと、トンと落ちて來たものがある。それが丁度女房と私の枕(まくら)の眞中です。

 見ると、疊の上に、短刀(たんたう)が一本、ぬき身の儘(まゝ)で、疊に突(つ)き剌(さ)さつてゐます。短刀の柄(つか)には紐(ひも)が結(むす)びつけてある。

 天井はと見ると、丁度、短刀(たんたう)の刄先(ほさき)がえぐりぬいたほどに割(わ)れてゐる。

「あぶないなア、此短刀を屋根うらからつりさげてあつたんだぜ。紐(ひも)が古(ふる)びたものだから、自然(しぜん)に落(おち)て來(き)たんぢやあるまいか」と、私がいひましたら、女房が凄(すご)い顏をして、

「今まで隱(かく)してゐましたが、實(じつ)はこれと同じ短刀が、あの隱居所(いんきよじよ)の天井にもつるしてあつたのをはづさして置(お)いたんです」といひました。

「兎に角、あしたの事だ。この家(うち)にゐる[やぶちゃん注:ママ。「ゐた」の誤植か。]前の家主に聞いても判るだらう」と、その晚は不審(ふしん)ながらも寢入(ねい)りました。

 翌日(よくじつ)、前の大家さんといふのもすぐに見付(みつ)かりました。そして、二體地藏(たいじぞう)の始末(しまつ)がどうやら判りました。

 旗本(はたもと)は服部半左衞門と云つて、立派な若者(わかもの)だつたさうですが、同じ旗本から二十二になるおさめといふ女を嫁(よめ)にもらひました。ところが、外に薩藩(さつぱん)の岩切長七郞といふ人の妹(いもうと)おときといふのが、この半左衞門に惚(ほ)れて、命にかけても、自分の良人(をつと)にしたいと云(い)ひ張(は)つた上、おしかけ女房にやつて來ました。亂暴(らんばう)な話ですが、どうも大變(たいへん)氣(き)の强(つよ)い女だつたらしい。半左衞門はいろいろ斷りを云つて、おときを岩切家(いはきりけ)へかへさうとしたのですが、長(ちやう)七郞(らう)が、馬鹿な妹思ひだものですから、却々(なかなか)おいそれと引取つてくれません。おまけに、服部家(はつとりけ)では、前々から岩切家によつて、救(すく)はれた事があるといふわけで、斷(ことわ)りを押し通すわけにいかない。

 といふ騷(さは)ぎのところへ、彰義隊(しやうぎたい)の戰爭がはじまりました。そしておさめの弟の光岡大助(みつをかだいすけ)といふのと共に半左衞門は上野(うへの)の山へ走らうといふ相談(さうだん)をしてゐる、それを立聞(たちき)いたのがおときで、思ふ男を戰爭(せんさう)にやつては一大事と長七郞にダヾをこねたのです、ところが長七郞の方は元より薩州藩(さつしうはん)ですから、いざ戰爭となれば、上野の山を攻(せ)めなければならない、いつその事半左衞門を味方に引入れた方がなどゝ考(かんが)へて、長年の恩誼(おんぎ)をかせに足どめにかゝつた。

 困(こま)つたのは半左衞門です、おときとおさめは、彰義隊(しやうぎたい)も薩州もない、自分の思ふ男をそばに引つけて置(お)けば好(い)いのだから、その目的(もくてき)の爲めに、それとなく地藏樣のお姿(すがた)に僞(いつは)りて、おときは大助を、おさめは長(ちやう)七郞(らう)を目あての地藏をつくらせた。そして、一方は首(くび)を刎(は)ねてのろひ、一方は縛(しば)り上げてのろつたのださうです。

「でも兩方(りやうはう)とも、二十二の女とありますが]と云つたら、大家さんは

「いや、おときも、おさめも同じ年なんです」と云つた。

 ところが、こののろひが相方に利(き)いたものか、長七郞は上野の山下で討死(うちじに)をする、大助は捕(とら)はれの身となつたが、良人(をつと)の半左衞門は一旦(たん)彰義隊(しやうぎたい)に入つたが、首尾(しゆび)よく落人(おちうど)となつて、我家へこつそり戾(もど)つて來た。

 その時、おさめとおときは隱居所(いんきよじよ)と、母屋(おもや)の書齋とに、双方(さうはう)とも、閉(と)ぢこもつて、お互に相方の女をのろひ殺す爲めに斷食の行(ぎやう)をしてゐたといふ事が判つた。

 そのもの凄(すご)い有樣を見た半左衞門は、白分の身體(からだ)は彰義隊のお尋(たづ)ねものである上に、二人の女に、かほどまで怖(おそ)ろしい思はれ方をしてゐる事が辛(つら)くなつて、隱居所の簞笥(たんす)のかげで腹を切つたのだといふわけでした。天井(てんじやう)につるした短刀は、女二人が、自分たちの斷食荒行(だんじきあらぎやう)に、身を責(せ)める爲めの道具(だうぐ)だつた。

「それで、女二人の最期(さいご)といふのがあはれですよ。目當(めあて)の男がかへつて來たのも知らず、切腹したのも知らず、一心に念じつめた揚句、二人とも、餓鬼(がき)のやうになつて、殆(ほと)んど同日同刻に死んでゐたさうです」と大家(おほや)さんは云ひました。

[やぶちゃん注:展開は読ませるが、怪奇談としては、個人的には食い足りない終わり方で、二人の女のおぞましい怨念とするのも、今一、好きになれない。二人の女の映像が、少しも脳裏に浮かばないのが瑕疵である。但し、次の「縛られ塚」の冒頭にある筆者の附記によれば、これは『実話から生み出した』作品(『ウェッジ文庫』の東雅夫氏の解説によれば、当時、文人の間で盛んに行われた怪談会や『百物語等で語られた実話怪談』とされる)であることを明かしてはいる。だとすると、詳細を聴き出し、人物像をリアルにさせることは、出来ぬことではないが、話者が蘆江と親しくない場合、やり難い。或いは、最後の因縁話が痩せているのも判らなくはない。にしても実話そのままではないわけで、エンディングのバラシは、もう少し、二人の女の造形を浮き彫りにすべきであったと思うのである。]

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