譚海 卷之七 眞言宗の僧盜賊と旅行せし事
[やぶちゃん注:底本では「目錄」の順列に問題がある。国立国会図書館本のそれが正しい。]
○眞言宗の僧、江戶に有(あり)けるが、官金二百兩、齎(もたら)し、上京しけるに、品川のほとりより、男壹人道づれに成(なり)て、親しく物がたりなどして、晝は、殊更、夜も同じ宿に泊る事にして、片時(へんじ)、側(かたはら)をはなれず、付(つき)まとひければ、此僧、
『是は。盜人(ぬすつと)なるべし。我等、金子懷中せるを察して、かく、ねんごろにするなるべし。』
と、心に、甚(はなはだ)、うるさく思ひやりて、
『何とぞ、道づれを、避(さけ)ん。』
と、はかりて、ある夜、又、一宿せしに、此僧、ひそかに、忍起(しのびおき)て、しられぬやうに、宿を、にげ出(いで)、
『今は、心やすし。』
と、思ひて、ゆくゆく、夜のあくるほど、松原の末成(すゑなる)茶屋に到(いたり)ければ、此男、いつのほどにか、そこに待居(まちをり)て、詞(ことば)を、かはし、
「今朝は、よくも、すかして御立(おたち)ありけり。和尙の懷中に金子もたせ給ふ事は、いよいよ、しりて侍り。いかにすかし給ふとも、京までは、是非、御供つかふまつるべきを、さのみ、いとひ給ふな。」
と、うちわらひて、又、同じさまに、つれだち行(ゆけ)ば、此僧、
『今は。いかやうにするとも、のがれがたし。ともかくも、佛の御(おん)しるべに、まかせて、ものすべき。』
と、思ひさだめて、そののちは、あへて、いとふ心もなく、同道せしに、ある夜、一宿せしに、外(そと)より、人、來りて、此男を呼聲(よぶこゑ)す。
『扨は、今宵、此ものらにころされぬべきにや。』
と、此僧、いよいよ、おそろしく成(なり)て、ねも、やらず、あるに、此をとこ、何(な)にかあらん、來(きた)る人と、ひそかに、しばらく物がたりして、かへしぬ。
此男、かへりて入(いり)、ふしたるが、夜中に僧を呼(よび)をこし[やぶちゃん注:ママ。]、
「急用、出來(でき)たれば我(われ)申(まふす)に隨(したがひ)て、いそぎ、こなたに來り給へ。」
とて、此僧の具も、我物をも、ひとつに取(とり)したゝめて、家のうしろより、ひそかににげ出(い)で、竹藪などを分(わけ)つゝ、やうやう、十町[やぶちゃん注:一・〇九一キロメートル。]ばかりも、きぬらんと、おもふとき、
「あれ、御らんぜよ。」
と、此男のいふまゝ、僧、ふりかへりてみれば、ありし宿のかたに、失火ある體(てい)にて、火焰、天をこがし、おびたゞしく燒(やく)るさまなり。
いよいよ、いかなる事ともしらねど、おそろしさに、いそぎ、道をもとめ行(ゆき)て、其日も、事なくて暮(くれ)つゝ、又、同じ宿(しゆく)に泊りぬ。
さて、一日、二日、行(ゆき)て、ある夜(よ)、暮(くれ)ふかく成(なる)まで、未(いまだ)、やどりを、とらず、此男、
「しばし、しばし、」
といふまゝに、それにまかせて、くらき松原の間(あひだ)を行(ゆく)ときに、あなたより、いそぎくる馬の鈴の聲(こゑ)、聞ゆるに、此男、僧に、いふやう、
「今宵は、大事のわざ、出來(いでき)たり。こなたへ、おはせ。」
とて、僧を、道より、廿間[やぶちゃん注:三十六・三六メートル。]ばかりへだてたる稻ふち[やぶちゃん注:「稻緣」で「田圃の傍」の意か。或いは「稻淵」で田に水を引く川の淵の謂いか。]の内へ、いざなひ、
「必(かならず)、我等、よびまゐらする迄、こゝに、うごかずして、おはすべし。」
と、いひて、男は、もとの道ヘ、かへるとき、やがて、此馬、近づくとおぼゆるに、あやまたず、てうちんを、うちけし、その跡は、何(な)にか、物音、はしたなく、うちあふやうにて、あやめもわかず、僧、わななき、わななき、聞居(ききをり)たるに、やうやう、ものおとも、しづまりて後(のち)、此男、きたりて、
「こなたへ、おはせ。」
とて、つれだちて行(ゆき)ぬ。
其夜、あけて、宿にて、きけば、よべ、跡(あと)の宿の松原にて、金飛脚(かねびきやく)のもの、切殺(きりころ)され、同じく、馬士(うまかた)も、ころされつつ、金・荷、とられたるなど、かたるを聞くに、僧、心におもふやうは、
『宵(よひ)、さはがしかりしに、まつたく、此男の、せし事なるべし。』
と、おもふに、肝魂(きもたま)も、うせて、いとど、せんかたなく、
『ともかくも、此男のすべきまゝに、身を、まかすべし。』
と、おもひて、今は何事もあらそはず、いふまゝにして、每日、同道するに、いとよく、此男、世話をなして、つひに京まで恙(つつが)なく着けり。
京、着(ちゃく)せし其夜、此男、僧に申(まふし)けるは、
「われら事、まことは、海道をはたらく、盜人(ぬすびと)に侍るが、和尚の連(つれ)になし給はりしゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、こゝまで、心安くまいりたり。それがために、しり給ふごとく、道にて兩度迄、よきわざして、金子も思ふさまに得たる事なれば、此禮に、是を奉(たてまつ)る、」
とて、金子二百兩、取出(とりいだし)て、あたへければ、僧、大(おほき)におどろき、種々(しゆじゆ)に、ことわりをのべて、金子をば、返しけり。
「僧のつれにてあるやうに見せしかば、人も心おかで、おもふまゝに、ぬすみなしける。」
と、いひて、かいけちて、うせぬる、とぞ。
[やぶちゃん注:「かいけちて」「搔き消して」の音変化。]