譚海 卷之八 酒井雅樂頭殿の馬の事
[やぶちゃん注:本書の執筆時から考えて、播磨姫路藩第三代藩主で雅楽頭系酒井家第一六代酒井忠道(ただひろ 安永六(一七七七)年~天保八(一八三七)年)か。本巻の書かれた最も新しい記事は、彼が家督を継いだ寛政二(一七九〇)年であるから(九月三日家督相続)、父の先代の酒井忠以(ただざね:当該ウィキをリンクさせておく)の可能性もあるか。]
○酒井雅樂頭(うたのかみ)殿に、尾の長き馬、有(あり)、ながさ、七間[やぶちゃん注:十二・七三メートル。]、有(あり)といふ。公儀にも、壹疋あれど、此尾のながさに、およばず。雅架頭殿、至(いたつ)て祕藏ありて、五、六日に一度づつ、尾を、あらひ、毛のかずを數(かぞ)へ置(おく)ほどの事なり。猥(みだり)に拔(ぬき)とる事を禁ぜらる。厩別當(うまやべつたう)、尾の毛、ぬくる事あれば、其度(そのたび)ごとに、申上候ほどの事なり。
駿馬(しゆんめ)にて、上手の人、騎(のり)はしらしむるときは、飛(とぶ)がごとく、尾、地につかずして、はしる。馬場の隅に乘詰(のりつめ)、四角に馳(はせ)て、隅より、隅へ、乘𢌞(のりまわ)すとき、尾は、なほ、此かたのすみに、のこりて有(あり)、といふ。
尋常にも、尾のながき馬はあるものなれども、五間[やぶちゃん注:九メートル九センチメートル。]までは見たる事なれども、七間といふにおよびたるは、いまだ、見ざる事、といへり。