譚海 卷之十一 深川靈嚴寺住持忍海上人の事
○靈嚴寺(れいがんじ)住持、忍海上人へ謁して、度々、淨土門のことを論じける頃、上人、禪宗の旨は、徹底なかりしにや、ある時の物語に、
「祟(たたり)の人は、妄念を消滅して、悟入せんとすれども、妄念を拂ひ盡(つく)さん、成(なり)がたき、わざなり。」
と、いはれしかば、
「其時、『まよひぬる心の外(ほか)に道も、なし。』と、其まゝに、念佛して、ゆけ。」
と申せしかば、承伏せられける。
[やぶちゃん注:「靈嚴寺」浄土宗道本山東海院霊厳寺。当時と現在では位置は同じで、ここ。当該ウィキによれば、寛永元(一六二四)年、『雄誉霊巌上人の開山により、日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島(現在の東京都中央区新川)』(ここ)『に創建された。数年後に檀林が設置され、関東十八檀林の一つとなった』。しかし、明暦三(一六五七)年一月十八日から二十日にかけて、『江戸の大半を焼失した』「明暦の大火」に『より』、『霊巌寺も延焼』し、『境内や周辺で』一『万人近くの避難民が犠牲になったという』。而して、翌『万治元』(一六五八)年、『徳川幕府の火事対策を重視した都市改造計画の一環として、現在地に移転した』とある。
「忍海上人」不詳。]