譚海 卷之十二 藝州家士生田權左衞門事
[やぶちゃん注:本文頭の「又」は、前の複数の話の「安藝守」に関わる話であるため。]
○又、安藝守樣、御留守居に、生田權左衞門といふ人、有(あり)しが、「きりもの」にて、役義も、すぐれて、勤(つとめ)たりける。遊所(ゆうしよ)にも、度々、遊びて、江戶・大坂、ともに、人にしられたる人にて、藝州へ、大坂より出立(いでたつ)には、新町の傾城、殘らず、船まで送り、酒宴に及びて、別れをなす事、例のやうに成(なり)たり。
然(しか)る處、中年の後(のち)、耳、聞えず成(なり)て、首尾好(しゆびよく)御暇(おいとま)給はり、國隱居(くにいんきよ)せし。
是は、誠の「耳しひ」には、あらざりし。つくり病(やまひ)なる、よし。
「退(しりぞ)くべき時を、しりて、かく、はかりける。かしこきわざなり。」
と、人、申(まうし)あへり。