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2024/03/31

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(2)

 [やぶちゃん注:今日は、明日、父のために買ったものの、封を開けずに残った百枚以上の紙オムツと、五回ほどしか乗らなかった車椅子を社会福祉士の方を通して施設に寄贈するために当該の方がくることから、父の家の大掃除を、朝五時頃から六時間ほどかけて、一階を清掃した。さらに、午後は一時に町内会(私は副会長をしている)の本監査であったため、この一本のみを、やっと公開することが出来た。]

 

   宿取て裏見廻ルやあか椿 壽 仙

 

 田舍宿の趣であらう。日高いといふほどでなくても、まだ明るいうちに宿を取つた場合と思はれる。夕飯にも多少間があるので、庭へ下りて見た。「見廻ル」といふ言葉は、今日では或目的を持つて巡囘するやうな意味になつてしまつたが、これは無論そんなわけではない。無目的な、輕い氣持でぶらぶらしてゐるので、偶然その家の裏に眞紅な椿の咲いてゐるのを發見した、といふだけのことである。「庭」と云はずに「裏」と云つたのは、實際裏であつたに相違無いが、つくろつた樣子の庭でないことも窺はれる。

 

   散花や猫はね入てうごく耳 什 佐

 

 庭前か何かの光景であらう。猫が睡つてゐる上に櫻の花が散りかゝる、睡つてゐながらも猫は時々無心にその耳を動かす、といふスケツチである。

 其角は四睡圖に題して「陽炎にねても動くや虎の耳」といふ句を作つた。多分猫から連想したのであらうが、この虎の句にしろ、猫の句にしろ、一句の主眼といふべきものは、睡つてゐても耳が動くといふ事實の興味にあるので、陽炎なり落花なりは背景として趣を添えてゐるに過ぎない。が、同時にこの背景によつて、その事實が麗な[やぶちゃん注:「うららかな」。]春の中に浮んで來ることは、俳句の特色として多言を要せぬであらう。

[やぶちゃん注:『其角は四睡圖に題して「陽炎にねても動くや虎の耳」といふ句を作つた』個人ブログ「press-Yahantei」のこちらの記事(「酒井抱一句集」の紹介ページ)によれば、榎本其角の「其角發句集」(其角の死後、約百年後の文化一一(一八一四)年・刊坎窩久蔵(かんかきゅうぞう)の考訂になるもの)に、『「四睡図」という前書が付してあり、『其角発句集(坎窩久臧考訂)』では、「豊干禅師、寒山、拾得と虎との睡りたる図」との頭注(同書p180)がある』とあり、『其角が、どういう「四睡図」を見たのかは定かではないが、実は、其角の師匠の芭蕉にも、次のような「四睡図」を見ての即興句が遺されている』として、 

    月か花かとへど四睡の鼾(いびき)哉  ばせお 

『(真蹟画賛、「奥羽の日記」)』が紹介されてあって、『この芭蕉の句は、「おくの細道」の「羽黒山」での、「羽黒山五十代の別当・天宥法印の『四睡図』の画賛」なのである』とある。以下、本邦の「四睡図」の図が当該ウィキから引いて掲げられている。そのリンク先にもある通り、「四睡圖」とは、『豊干、寒山及び拾得が虎と共に睡る姿が描かれた禅画』、『道釈画の画題で』、『禅の真理、妙理、境地を示すとされる』。但し、『豊干禅師と寒山、拾得は親しい関係にあったが、この三人と虎を一緒に描くことの根拠となる文献は見つかっていない』とある。なお、ブログ主は、さらに、解説して、『其角の「かげろふに寝ても動くや虎の耳」の「虎の耳」は、芭蕉の「月か花かとへど四睡の鼾哉」の「四睡図」に描かれている「虎の耳」を背景にしているのかも知れない。と同時に、この其角の句は、同じく、芭蕉の、その『猿蓑』に収載されている「陽炎」の句の、「陽炎や柴胡(さいこ)の糸の薄曇」をも、その背景にしているように思われる』。『この「柴胡(さいこ)の糸」というのは、薬草の「セリ科の植物のミシマサイコの漢名、和名=翁草」で、その糸ような繊細な「柴胡」を、「糸遊」の別名を有する「陽炎」と「見立て」の句なのである』。『そして、其角は、芭蕉の、その「糸ような繊細な『柴胡』=「陽炎」という「見立て」を、「かげろふ」=「陽炎」=「薬草の糸のような柴胡」(芭蕉)=「蜉蝣(透明な羽の薄翅蜉蝣・薄羽蜉蝣・蚊蜻蛉)」(其角)と「見立て替え」して、「蕉風俳諧・正風俳諧」(『猿蓑』の景情融合・姿情兼備の俳風)から「洒落風俳諧」(しゃれ・奇抜・機知を主とする俳風)への脱皮を意図しているような雰囲気なのである』と優れた考証をなさっておられる。]

 

   ひよどりの虻とりに來るさくらかな 細 石

 

 芭蕉に「花にあそぶ虻な食ひそ友雀」といふ句がある。材料は大體同じであるが、この句はさういふ主觀を加へずに、花に遊ぶ虻を鴨が取りに來る、といふ眼前の事實をそのまま敍したものである。

 昆蟲學者の書いたものを見ると、蟲の多く集る花の上は卽ち强食弱肉の小世界で、蜜を吸ふ以外に何の用意も無い蝶や虻などは、しばしば悲慘な運命に陷るといふ。季節は違ふけれども、螳螂なども花のほとりに身を潛めて、得意の斧を揮ふものらしい。その點は人の多く集るところに犯罪者が入り込み、それをつけ狙ふ探偵も亦こゝに集る、といふのと略〻[やぶちゃん注:「ほぼ」。]傾向を同じうするやうである。莊子の言を借用すれば「一蟬方に美蔭を得て而して其身を忘れ、螳螂翳を執りて而して之を搏たん[やぶちゃん注:「うたん」。]とし、得るを見て而して其形を忘れ、異鵲[やぶちゃん注:「いじやく」。奇妙な姿のカササギ。]從つて而して之を利し、利を得て而して其眞を忘る」といふところであらう。

 芭蕉は風雅の眼から、雀が花に遊ぶ虻を食ふことを憎んだのである。この句はさういふ寓意なしに、ただ鵯が虻を逐つて櫻のほとりに來ることを詠んでゐる。鳥を配し蟲を配するだけなら敢て珍とするに足らぬが、鳥蟲交錯の世界を描いたところに、櫻の句としてはいさゝか異色がある。

[やぶちゃん注:『芭蕉に「花にあそぶ虻な食ひそ友雀」といふ句がある』「續虛栗(ぞくみなしぐり)」に載る、

   *

     物皆自得(ものみなじとく)

   花にあそぶ虻(あぶ)なくらひそ友雀(ともすずめ)

   *

「蕉翁句集」では貞享四(一六八七)年四十四歲の時の作とする。草稿があり、そこでは中七を「虻なつかみそ」とある。宵曲の言う通り、この句の根源は「莊子」の「外篇」の「山木篇 第二十」の「八」で「蟷螂搏蟬」(とうろうはくせん)の成句で知られるもの。幾つかの記事を比較して見たが(私は教員三年目の夏に一ヶ月かけてメモや疑義を書き添えつつ「荘子」全篇を精読した。漢籍の哲学書で完璧に読み尽くしたのは「荘子」のみである)、京都大学人文科学研究所教授古勝隆一氏のサイト「学退筆談」の「身を忘れること」がよい。]

 

   岨を行袂の下のさくらかな 潘 川

 

 ちよつと變つたところを見つけてゐる。岨の下に櫻が咲いてゐる、と云つてしまへばそれまでのことであるのを、「岨を行袂の下」と云つた爲に、その岨道の細いこと、その道のすぐ下まで花の梢の迫つてゐることなどが連想されて來る。「袂の下」といふ言葉はかなり際どい云現し[やぶちゃん注:「いひあらはし」。]方であるが、この場合は細い岨道をとぼとぼと步みつつある姿を髣髴し得る點で、成功してゐると云はなければなるまい。

[やぶちゃん注:「岨」「そは」。崖。

「行」は「ゆく」。

「潘川」丈艸の知人で大津附近に住んでいた俳人と思われる。芭蕉没後、丈艸が彼に宛てた書簡が残る。]

 

   むし立る饅頭日和や山櫻 理 曲

 

 山中の茶店などであらうか、蒸し上つた饅頭の湯氣が、濛々と春日の空へ立騰る、あたりに櫻が咲いてゐる、といふ光景である。同じ白い湯氣であつても、寒い陰鬱な空に立つ場合と、麗に[やぶちゃん注:「うららかに」。]晴れた空に立つ場合とでは大分感じが違ふ。「饅頭日和」[やぶちゃん注:「まんぢゆうびより」。]といふのは隨分大膽な言葉であるが、恐らく作者の造語であらう。一見無理なやうなこの一語によつて、櫻の花に湯氣の立騰る明るい感じを受取ることが出來る。俳句獨得の表現である。

 

   山吹の岸をつたふや山葵掘 支 浪

 

 これは吾々が見馴れてゐる庭園の山吹ではない、山中の景色であらうと思ふ。山葵掘の人が淸らかな流れに沿うて岸傳いに來る。山吹はその淸流に影を願して咲いてゐるのである。

 子規居士の早い頃の句に「山吹の下へはひるや鰌取」といふのがあつた。景色は違ふけれども、調子は大分この句に似てゐる。或目的を持つた人物を山吹に配した點も、共通してゐるといふべきであらう。

[やぶちゃん注:「山葵掘」「わさびほり」。

「山吹の下へはひるや鰌取」下五「どぢやうとり」。「寒山落木」巻二に所収する。明治二六(一八九三)年の作。帝国大学文科大学哲学科を退学し、日本新聞社に入社した翌年で、数え二十七歳の時の句。季語は「山吹」で晩春。]

 

   杉菜喰ふ馬ひつたつる別かな 關 節

 

「餞別」といふ前書がついてゐる。如何なる人が如何なる人を送る場合か、それはわからない。わかつてゐるのは送られる方の人が、これから馬に乘つて行くらしいといふことだけである。

 名殘を惜しんで暫く語り合つたが、どうしても出發しなければならなくなつて、馬を引立てて行かうとする。今まで人間の世界と沒交涉に、そこらに生えてゐる杉菜を食つてゐた馬が、急に引立てられることによつて、二人は袂を分つわけになる。「杉菜喰ふ」で多少その邊の景色も現れてゐるし、「ひつたつる」といふ荒い言葉の裏に、送る者の別を惜しむ情が籠つてゐるやうに思はれる。餞別句としては巧なところを捉へたものである。

 

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