譚海 卷之十一 江戶神田明神平將門の靈なる事
○江戶神田明神は、正しく平將軍將門の靈を祭る社(やしろ)也。
淺草、日輪寺は遊行派(ゆぎやうは)也。
其寺に、將門の石塔、有(あり)て、寺庫(てらのくら)に收め有(あり)。
法名は「貴阿彌陀」といふ也。
「是は、そのかみ、將門の靈、其阿(きあ)上人[やぶちゃん注:「他阿上人」とも表記するようである。]の許(もと)に行向(ゆきむか)ひ、解脫を願ひし時、上人、弟子に被ㇾ成(なられ)、法名つけてとぶらはれし故(ゆゑ)。」
と、いへり。
「さるがゆゑに、神田明神社頭の鍵(かぎ)は日輪寺にありて、九月祭禮の前日には、五日輪寺の僧、明神へ參りて、「あみだ經」讀誦して、厨子の鍵を明(あけ)て、祭禮を行ふ事也。しからざれば、神輿(しんよ)、あへて出(いづ)る事、なし。」
と、いへり。
此事、俊鳳(しゆんほう)和尙といふ人の物語り也。俊鳳和尙は淨家の人にして、禪學の旨をも、ふかく、えられし故、日輪寺の招待にて禪法を說(とか)れし故、時々、遊行上人にも、出府の時は、對面ありて、講談に及びし也。
元來、遊行派の宗意(しふい)は禪法より出(いで)て、念佛を修(しゆ)する事ゆゑ、禪宗の旨を會得せれば、宗旨の立意、明らめがたき事也。
此俊鳳に就て、白隱和尙の會下(ゑか)の僧俗、多く悟入を得たる者、有(あり)。
白隱和尙は、「禪宗の智識」と稱する人なれど、不辯(ふべん)にて、人を說得する事、ならぬ人故(ゆゑ)、未底(みてい)の者は、俊鳳の示教(しきやう)によりて發明せし事也。
[やぶちゃん注:「淺草、日輪寺」東京都台東区西浅草にある時宗神田山日輪寺(グーグル・マップ・データ)。将門の霊が神田明神に祀られた経緯は、サイド・パネルの同寺の説明版の写真を見られたい。
「未底の者」見たことがない熟語だが、時宗の真底にあるところ禅宗との通底するところの宗派の真意を弁えていない者の意であろう。]

